また桜の季節がくる
- カテゴリ:人生
- 2012/04/01 23:22:19
連続してマジメな話ばかりで申し訳ないです。
次回は輸入食品をお試し買いした時の愉しい話を書きたい所です。
(あ。約束の幽霊の話も書かないと。)
私は家族を癌で失っています。
母方が癌の家系でして、残念でならない所ではあります。
確か、私達身内が再発の宣告を主治医にされたのが夏当りで、
『治せません。半年持ちません。』と言われました。それは次の年の桜が観れないという意味です。
その時、私達も出来る事は何でもやったと思います。
ヘビースモーカーでしたが、願掛けで煙草をピタリと止めたし、非力ながら毎日 水行もした。
煙草は物凄く吸いたい時がありましたが、そういう時に我慢してこそ願いが叶うと信じ、一口も吸わなかった。
(今じゃ人様の煙も嫌いになっちゃったけどねえ。)
何と言っても本人の"生き抜く意思の強さ"が絶大で次の年、花見をする事が叶いました。
更になんと、その翌年も何とか観る事が出来たのです。が その年の納め観音の日に召されました。
最後の年は家族全員で花見をしましたが、今は私達夫婦だけしか花見をしません。
参加しない者は、やはり桜を観るのがつらいようです。
しかし私達は、必ず行くようにしています。
私は色々な経験から、魂の存在を肯定しているので、
お弁当を少し多めに持って出かける様にしています。
今年も花見に行って来ました。
弁当はコーヒーとサンドイッチでした。
供えた分のコーヒーの味が味気なくなっていました。
最近、仏壇にコーヒーが上がっていないのを思い出しました。
上げる機会を増やさないといけないです。
私どもの家の墓地は車で30分くらいの所です。
感謝しないといけないですね。
コドモの頃は墓参りはバックレたかったですね。
不届き者でした。(みんなそうだとおもうなーw)
一緒に桜を見ていた人がいない春は寂しいけれど、それでも「自分はがんばっているよ!」という気持ちで
花を見上げると、なんだか相手も笑ってくれているような暖かい気持ちになります。
我が家もよくお仏壇に故人の好きだったものを見かけると、誰彼ともなくお供えする家庭なので
M.OBrienさんが「お弁当を少し多めに持って出かけるようにしている」とブログに書いていらっしゃるのを見て
なんだか心がホワッとあたたかくなりました✿
教科書は去年と違って少しサイズが大きくなったそうです。
これからの勉強についていけるか心配です、
次のブログ、楽しみにしてます(`・ω・´)
でも,ふと,亡くなった親族のことを思い出すことがあります。
そんな時は,思い出せてよかったな~,と思います。
先方がいつもいつも
私らと行きたがっているか迄は判らない所でして。
他の誰かと行くかも知れんしね。
只、用意だけはしておかんと・・
お花見が出来る喜び。
目を閉じて、笑顔で語り合う。
そんな時間が心を満たすのでしょね。
おっしゃるとおりですね。
私の家族は仏の弟子になったので、
家を守ってくれる様になりました。
世話になりっぱなしです。あと、時々叱られます。
人それぞれでございますもの。。。
その方がそれでいいと思う方法が一番よいのございましょう。
だって 亡くなった方のことを思ってのこですからね。
今年も人の数だけ思いをのせて桜は各地で咲くのですね。
お察しいたします。
そういう方の話を聞くと、
近くにいる者としては何かして欲しい事をお願い事をされた方が楽になりますね。
自分勝手ですけどね。
もうこちらへは長くINしておられないですが、別のブログは携帯電話からか
時折更新しておられ、痛みとの壮絶な闘いの様子を語っておられます。
正直、新年が迎えられるのかと思ったほどでしたが、桜の花を見て頂けそうです。
ブログを読むのはこちらも辛いですが、ブログの一文字一文字が、彼女が生きている事を
示しています。ほころびはじめた桜を見上げる時、彼女と一緒に見上げている気分になります。
お名前もお顔も存じ上げませんが、桜の花を待ちわびています。
寒気が強かった冬はソメイヨシノは綺麗に咲くらしいので
楽しみにしているのです。
でも、春は天候が不順なのでそれが心配。
たったひとつの答えは、各々の中にしかないと思いますし。
皆様が楽しめるように、今年の桜が綺麗だといいですね。
そうですね
たのしいことします^^
私事なんで他のお宅はわかりませんが、
『ウチは出来るだけこうしている』事を書きます。
ウチは故人の好物だった物等を仏壇に上げると、
ちゃんと"不味く"なります。そうすると、『ああ食べたんだな』と私は解釈します。
"不味く"なるとは、鮮度が落ちるという意味ではないです。
香りがほとんど無くなります。突然自分が風邪ひいたのかと思う位です。
お供えは半日程度でいいそうですが、仏が受け取るのは午後3時までとなっています。
下げた食品はどんなに不味くても必ず頂くようにします。
特別な会食に行くと、『後から一人遅れて来ます』と言って一人多く申告します。
で、取り皿を貰って自分がクチを付ける前に供えたりします。
(すっかり忘れちゃって掻っ込んじゃうこともありますが・・・)
浄土真宗は魂の存在を否定しているので、(実はウチもそう。)
こういった事をしてると僧侶に言うと、無意味だとバッサリやられます。
また、来ました^^
父の3回忌も終わって、一区切りついたような気がします。
桜が咲いたら、父、そして12歳で亡くなった息子の同級生を想いだしてあげたいと・・・。
それが供養になるのかな・・・。
それができれば、私も解放されるのかもしれませんね。
拝見したブログの件も考えましたが、やはり人生は人それぞれでしょう。
冗談ではなく、気が向いたら一緒に来ている様なので弁当は多めです。
ただ、他の人と行く事もあると思います。そこまでは解らないんですが。
私はどんちゃん騒ぎする人達も嫌いじゃないんです。
私が祝っている日に誰か泣いているかも知れない。
また、逆も真なりです。
私のブログを読まれたかもしれませんが、以前は大好きだった桜が嫌いになりました。
理由は2つです。
1つは、桜が咲いている息子の卒業式に悲しい出来事があったから・・・内容は重すぎて書けませんが・・・。
もう1つは、私の父が桜の季節に亡くなったから・・・今日は3回忌でした。
桜を観るのがつらい・・・私だけじゃないんですね。
桜のせいじゃないことはわかっていますが・・・。
その一方でチーフのように少し多めにお弁当を持って花見に行く・・・。
はっとさせられました。
それも供養?になるんだなって。
拒絶するばかりでなく、ちょっと考え方を変える・・・大事なことなんだと思いました。
ありがとうございます。