ほんとは小さな、大自然
- カテゴリ:日記
- 2012/04/24 22:47:40
この前の「掌の上に地球」の話は、今回の前振りですん。僕の書くことがいい話だけの訳がない。w
でまあ、「きれい」「美しい」「癒される」地球の姿なのですが、見て思うのが雲がへばりついてるって事ですね。本当に地球は地球儀のように真ん丸で、凸凹が見えない。本当なの? って話
「もし世界が百人の村だったら」ではなくて「もし地球が百㎝の玉だったら」で考えましょう。地球の直径は一万数千キロありますが、簡単のためにぴったり一万キロとします。「頭を雲の上に出し...」ってくらいで、雲の高さは大体数キロ程度しかありません。安全でもあるし、基本飛行機は雲の上飛んでますね。じゃあ、空気はどのくらいの高さまであるのかってえと、世界で一番高いエベレストよりも少し上の10キロくらいと考えても、そんな間違いないです。だいたい海抜5キロにいたら普通に高山病になりますし、それ以上になると生きていられなくなります。「山のように高く、海のように深い」海の深さも一番深い海溝の底で十数キロ。なので、海の底から空気が無くなるところまでの厚さは、ほぼ海抜±10キロとなります。覚えやすいね。そして計算も楽です。
地球の直径一万キロに対して、±10キロってのは。百㎝の玉に対して、±1mmの凸凹があるって事です。iPhoneとかで見てれば、直径100㎜もないので0.1mm以下!! 真ん丸で凸凹が見えない、雲の厚みが分からないのも当たり前です。ダイエットやトレーニングで使うバランスボールは直径70cm程度、大抵筋が入ってますが、エベレストってのはあの筋なんかよりも低いわけ。今まで持ってたイメージとはだいぶ違うと思います。
分厚い雲に覆われてると気分が滅入りますが、分厚い雲ってのも、だから現実はだいぶ違う。台風の雲はドーナツのように分厚いイメージを持ってると思います。僕もそうでした。でも、大型台風で本州並みの大きさだと直径千キロ以上。それに対して厚みは10キロ以下。だから、実際にはドーナツではなく、CDよりも薄っぺらいと考えて、差支えありません。
とまあ、大宇宙の中で地球は芥子粒のように小さいのですが、その小さい地球の中でも人間にとって居心地の善い「素晴らしい大自然」なんて場所は微々たるものです。人間はその貴重な場所を奪い合ってる生き物だってことを、知って貰えればなと思います。
●地球の絵 この日記よりも、ちょっと暗い話も書いてるかもw
http://www.friedpost.com/world/earth-will-reach-700-million-inhabitants-in-months-1960.html
「無い」かっていうと、地球上に無いわけではないような気もする。
人が入れないのなら手も入れようが無いとも言える。そして、「人が除外されて形成されている生態系のバランス」は現代人には過酷であるとw
ただ、人が入れば当然「人も含んだ」バランスが形成されるので、人だけがいなくなると荒れるし、朽ちるし、場合によっては全体が滅ぶ。
まぁ、ゴルフとか「能動的に遊ぶ」とか「建造物」を見るのと違って、有機物をフィーチャーしたテーマパークなので、趣旨の違いはあるのだけど、これもまた「何を基準に」評価するかだろうなぁ。
でもまぁ、「手が入っていない」ということを重視するかしないかの気もする。
「もののけ姫の島」屋久島に行って感動するのは、リゾ-ト地やゴルフコース、教会や神社仏閣の境内の景色に感動するのと五十歩百歩だと思う人は、あまり居ないと思うんだな~。全く自然かのように見せるのが、管理する方の腕の見せ所だけど。その事に思い至らない人が出るのは、やるせない事ではある。
そして、相対値の基準をどこにとるか?ではないかと。
更に芥子粒どころじゃない人間を基準にすれば、10kmって歩きたくもない距離ですし十分「分厚い」ですいやもう縦方向に10lkmは「厚い」じゃなくて「高い」ですから。
主観となる基準の側を固定したまま、物事を見るから穴あきクレープ同然のペッタンコが、ごーぢゃすなドーナツじゃないかと思ってしまうのですよ。
でまぁ、「大きな存在になったつもり」で「芥子粒以下の誤差みたいな俺たち」だから「電気使いまくり、化石資源使い捨て、たまには核分裂とか、お隣の国に向かって花火」くらいしてもいいよねwとか鈍感な感覚になっちゃうのはどうかとは思うのです。矮小な存在のままで、手の届く範囲にフォーカスしたりその影響を考える「視点」もまた、俯瞰から以外に必要だと思うのですよ。
んで、その大きな玉があくびをしたら表面の常在菌たるわれわれは、その酸のような生産物とともに吹っ飛ばされたりつぶされたりしちゃうわけですが。
むしろ「大自然」じゃ暮らせなくなってますがね…。