頑張った事、覚えてないけど、頑張ったらしい。
- カテゴリ:人生
- 2009/06/20 01:54:03
身体が小さい頃から弱くって、
「覚悟して下さいね」が、何度となくあったらしい。
今程の医学じゃないからってこともあるんだろうけど、
やっぱ生死は彷徨ったんでしょ。
大きくなっても、大して丈夫には育ってなくて、
やっぱりしょっちゅうオオゴトはしてる。
もう二十年近くになるけど、
卵管を破裂させてしまった。
それに気が付かなくって、オナカのあまりのイタさに
救急車を呼んで、そこで気を失った。
失う前に、かろうじてドアの鍵を開けていた。
だから救急隊員の人が、入ってこれたんだ。
あっぱれ!
オナカの中で、全血液の三分の二以上が、
出てしまっていたらしい。
母に言わせれば「一回死んでた」んだって。
「最善をつくします」ってお医者様が言ったって。
「尽くしますが、10%にかけてるんです」だって。
目を開けると、いろんな顔があって、
「よく頑張ったね、よく頑張ったね」
と、口々に言われた。
「お帰り」「おはよう」
自分で頑張ったって思ってないけど、頑張ったんだね、私。
脳死ってなんだろ。
有り得ないっていわれても、
「頑張って目覚める日」が、必ず無いって思えない。
もしかすると、長い長い夢の途中かもしれない。
移植を待ってる人も居る。
でも、待たれてる人の気持ちを考える。
私たちが「死」としていても、「夢の途中」だったらどうする。
私は、夢の途中から、何度も帰って来たんだよ。
あーーーーっ!
魔法の粉の話ね!
見た見た、それ見た!TVで。
うん、無限の期待を、私も寄せます。
その期待に応えてくれそうです。
『生体マトリックス』、成分は良く分かりませんが、粉的な物(コラーゲン等の混成?)を
傷に付けると、例え指などが欠損してしまっていても、再生する療法だそうです。
TVで見た程度の知識ですみません。
無限の可能性を秘めていると、期待してます。
うん、判断できるのか、していいのかっ、素朴に思うんだ。
うん、そう。
更なる悲しみ。。それを避けたいよね。
医療がね、追いついてないだけ。。。ほんとそうなのかもしれないんだよ。
それを定義したら、早急過ぎかと思う。
そしてそれは「移植」ありきで、出した答えだもの。。。
独身ってさ、ほんといろんな事に淡泊になるじゃない。
欲がさ、無くなって来るのよね。
お金もさ、「生きていく事」にもさあ。。。
だから、とてもフラットに考えられる問題って、沢山あるよね。
そう、chocoさんがおっしゃる「弱い立場の人」
そこを危惧するんだ、私も。。。
また、「デリカシーがない意見」に、双方が傷つく事がないように。。。とも願う。
ないしろ、難し過ぎるよ。。。
こちらこそ、ありがとうございます。
未婚の友達と話した時に、みんなで意見が一致する事。
「結婚って境目が無いから、私たちはいつまでたっても諦めが悪い」
それと
「いつまでたっても、確固たる居場所を見出せないでいる」
です。
「ワタクシってなに?」
の疑問に、答えを探せないでいるの。
「自分が生きている、自分の生まれた意味」それがないんだ。
だから「ナニに対しても淡泊」
だからね、ホビットさんがおっしゃる「確かなもの」、なんとなくわかります。
「恥じるに似た気持ち」、これも自己愛の現れだと思うんです。
そう思わないと自分が「格好わるい自分」だからなのかもしれないです。
どのみち、私、自己愛のカタマリです。
脳死問題、私もきなこさんと同意見かなぁ。自分の意思がなくなったら私は生きていると自分を見れない、
それなら私も独身だししがらみがないのでそこで終わりにして欲しい、と。脳死法案、衆院通りましたね。
「脳死は人の死」と定義しちゃいましたね。今までは「臓器提供をする場合に限り脳死は人の死」だったのに。
脳死は人の死、と定義しちゃうにはまだ早いと思う。やっぱり大事な人や弱い立場の人、特にまだ人生を
全然楽しんでいない子供達にはもしかしたら医療が追いついて助かるかも知れないとか、血が通ってる頬
を見ているだけでもいいから生きていて欲しいとかそういう思い、あると思うし。。。
人工臓器、早くできるといいよね本当(´∵`)。。。移植を待たれる家族の悲しみ、移植のことが頭にあって
助けられるかもしれない患者を助けない可能性、更なる苦しみは排除したいよね><
子供に対する感情は、私の場合、たぶん自己愛なんだろうなと思うのです。自分のことを大好きです、とはおおっぴらに恥ずかしくていえないけれど、自分の分身である(そもそもこの考えが身勝手)子供がこの世の中で一番大切なもの、ということはゆるぎない事実。私は子供が生まれる前までは、何事も不確かで、自分にとって確かなものなど存在しないと思っていたけれど、わが子がこの世の中で最も大切なもの、ということは確かなものであると信じることができた。とんでもない人と思われようが、自分勝手だといわれようが、子供のためなら何でもできる。きっと、臓器移植を待つ方も、呼吸器をつけたお子さんを介護する方も、同じ気持ちなのかな・・・
わが子一番、わが家族一番、と思うからこそ、他の方が苦しんだり、悲しんだりしている時に、自分も同じ目線で考えてあげられる、そんなふうでありたいですね。従妹さんの出来事にまつわる感情を「恥じるに似た気持ち」と思えること、そこがKINACOさんの素晴らしいところ、そして私もわが子を愛するだけでなく、そんな目を持っていかなくちゃと思いました。
そうだなぁ。。。高名欲だけとも思えないんだ。
私のお友達に、医局にまだ居るお医者さんが多くて、
その人達がまだ「青く」いるからかもしれないけど。
「お金」云々は、極論過ぎかとも思う。
先生方から見れば「脳死」は「死」かもしれない。
でも、その先生方の中ですら、意見はわかれてる。。。それが脳死かと。。。
でもね、おっしゃるとおりと思うよ。
招きさんのおっしゃる事はわかる、とっても。。。
とにかく「いい臓器」を作って欲しい。
そうすれば、だれも悲しまなくてすむよ。。。
ほんとにそうだね。
その図式(待つ人、待たれてる人)そんな想いをしている双方が、ホントに辛い。
これ以上「倫理」に欠ける悲しみは無いんだから、
「人工臓器」の「倫理観」は、この際ね、どうなの?なんです。
はやく、はやく、作って!
みんなを楽にしてあげて!なんです。
心が辛過ぎです、きっと。
うん、わたしも同じく「最小限」なんだ。
私の死に「最小限」以外の「責任」やら「しがらみ」やらが、ない。
気楽なんだ。
だからさ、「自己愛」で「死の境目」を選べる喜びがある。
よろこびっちゅうか、「選ばせて!」がある。
うん、苦痛だけは、避けたいな。
それ以外は、私も「夢の途中」でかまわないっていうのが、本音。
うん、ほんとうだね。
めっちゃくちゃ、神の領域だとは思うんだけどね、それでもいいからって思う。
マトリックスってさ、たしかラテン語の「子宮」からの言葉だよね。
「生み出す」ってことかな。
そう思うとさ、「生み出すもの」に「罪」が伴わないはずだわ。
うん、そう言って下さってありがとうござます。
長いか短いか、解らない人生だけど、自分で自分らしく最後まで自分で生きていたいと思います。
死にかけたり、ガンだったり、そなたもろもろ「ご病気デパート」みたいな私なんだけど、
なんで生きてるのかなぁ。。。っておもいます。
なんかの理由はあるんでしょうね。
にぼしさんも、どうか自分のために、家族のために、健康であってください。
そう言う時代が、早く来ればいいのに。
倫理って、ほんと大事な事なのはわかる。
私の大学はね(もちろん私は医学部では無かったんだけど)
第二次大戦のときの「生体実験」の大罪を背負っている大学なの。
だから必修に「医道」があるの。
「海と毒薬」の大学よ。
だからね、東大京大に、いつも遅れをとるっていうか、「倫理」に対してとてもナーバスで、
「倫理」が通らないの。
「肝移植」も、ずっとずっと後になったの。
だから、「倫理」の大事さはわかるのね、おぼろに。
だけどね、こんな問題においては、優先順位を変えて欲しい。
「人の死」が、「死」の悲しみ以外に悲しい事がついて来るなんて、辛過ぎると思うんだ。
うん、「今をしっかり生きる事」それがほんとに一番大事な事だよね。
私もそう思う。
健康であったらいいなぁ。。。というのは、「必要だった時に必要な人にあげれれば」いいなぁ、
そう思っての事なんだ、私。
私ね、私の肝臓じゃだめ!って言われた事があるの。
それがショックでね。。。
あげれるものなら、あげたかったのよ。
「健康」でないと、人に無いもしてあげられないってことを学んだんだ。
そのときに。。。
うん、考えれば考える程、悲し過ぎて難し過ぎて、考えられない。
「いい臓器」はやく出来ないかなぁ。。。
「いい臓器」の「製造待ち」「予約待ち」そっちがいい。
それに保険も使えて、誰にでも行き渡るように。。。。
病気ってことも、「脳死」も、それだけで悲しい事なのに、
それ以外の悲しみを、だれも背負わない状況が、いい。
その日を、本当に待っているんだ。
うん、そうなんだ。そうですよね。。。
立場立場でみると、本当に双方の気持ちがイタい。
「決めなきゃいけない」これがまたイタい。
そんな決め難い事決めなくていいように、どうか「いい臓器」作って欲しい。
そればかりなんだ。
こんね決めれない事、人間で決めたく無いよ。
ほんとにほんとに決めたく無い。
映画が好きだったりね、本が好きだったりする人ってね、
きっとね、そんな経験がある人が多い気がするのね。
身体が丈夫でなかったりするとね、家で遊ぶ事がおおいね。
「自分自身がお友達」って時期が、多いじゃない。
うん、なんか親しむよ、監督さん。
うん、そうなの。
むずかしいよね。。。
自分の事はいいのよ。。。なんか役に立つものがあるならね、どんどん取っちゃって下さい
それで誰かが喜ぶならば。。。って思うの。
キレイゴトでなくってね、それでいいんだ。
でもね、それを人に「強要」なんかできないし、する気も無い。
人にはそれぞれにね、「死に対しての望み」があると思う。
ましてやね、「子供」のこと。
判断出来ない。。。
だからね、はやく「いい臓器」作ってね、こんな問題を無くして欲しい。。。
どっちの親も辛いんだよね、きっとさ。
「脳」だけが「我が子の全て」だなんて、絶対に親は思えないと思うんだ。。。。
うん、とりあえず感謝だ。
感謝だけど、どうしてあんなに「ひどいヤツら」なんだろう。
もうちょっと弱ってくれないか。。。ともおもうんだ。
うん、なんとなくおばぁちゃまがおっしゃった事、わかる気がします。
「死ぬ」って「許されること」なのかもしれないと考えるとね、
死への旅路は、「許された人」の「花道?」なのかもしれないねぇ。
わたしね、死にたく無いとも、死にたいとも思わないのよ。
どっちでもいいの。
自分が決める事じゃ無い気がしてる。
「死の判断」「線引き」は、決めてはおきたいと思うもののね。
ありがとう、ありがとう。
いまのところダイジョウブです。
うん、そうなの。
素人にはわかんないでしょ!と言われてもね、「脳死=死」とは、
言い切れないように思うのよ。。。。
こと、「子供の事」になるとね、きっと割り切れない。。。
奇跡って、私たちが解らないから奇跡って言うだけで。きっと必然の無いかがあるのよね。。。
ほんとにね、難しいの。
私はね、ホビットさんもご存知のように、子供がいない大人なので、
「自分自身の事」は判断出来ても、「子供」の事、判断しかねるの。
どっちの選択も、辛いばかりで。。。
「わたしが子をもった親ならばどうする」ってことが、まったく浮かばないの。
従姉がね、家に居るのね。
小さい頃からちょっとした理由で私の家の家族になったの。
話したかな。。。その話。
私が24歳の時に、0歳と3歳の彼女達が、私の家族に成ってくれたんです。
その上の子が小学校の入学遠足の時に、いつも遊んでる女の子が、落石で亡くなったの。
そのニュースを聞いた時に、そのニュースに対してのショックの次に来た感情が、
「一緒に遊んでいたのが、うちの子じゃないのか」ってことだったの。
誤って「突き落としたりしたんじゃないだろうか」とか、
マノアタリにしたならば、ショックを受けてるんじゃないだろうか。。。とか。
結局は、その時は一緒に遊んでなかったみたいなんだけど、
私、自分で自分の感情を恥じたわ。
「かなしい」と言いながら、「わが家族のショック」を思ってしまったのね。
「自分の家族でなくてよかった」とまでは思わなかったけれど、思わなかっただけかもしれない。
友達の死は、ほんとうに心を壊すもので、従姉はショックで、
しばらく不登校気味の体調不良で、それと彼女は闘いました。
でも、そんなこと、突然我が子を亡くしてしまったご両親のことを考えると、
なんちゃないことで。。。。うちの家族の女の子は、生きているんだもん。
ほんと、いまでもその事を、恥じるに似た気持ちで、思い出します。
話は、大きくそれたんだけど。。。
許せないのは、そんなに難しい問題を、お金の事ばっかり考えてる先生方が決めてるって事。
医学は信じられない位進歩してるし、それでも治らない病気もある。
亡くなった命は2度と戻らないし、現状維持してても戻る保障は何にも無い。
治る身体と戻らない命。
生きる人と生きたい人。
やっぱ人は生きてるんじゃなくて、生かされているのだろうか・・・。
小さいころから頑張り続けてきたんですね~
「脳死=人の死」を投票で決めるのは???でした。
家族によって、いろいろ考え方があるので、
それぞれの考え方ではいけないのかなあ。。。
待ってる人の気持ちも待たれている人の気持ちも悲しいね。。。
ホントいい人工臓器が早くできるといいなと思います。
考えうる限り、苦痛の無い方法で殺して欲しいと思ってる。
それが夢の途中であっても、まぁ、いいかなぁ
嫁、子供が無い、最小限の「悲しむ人/困る人」しかいない気楽さ故に...
と考える、今日この頃です。
ほんとにそういう話を聞くと、生きてるってほんとに貴重なことなんだなって思います。
KINACOさんにであえて、本当にうれしいです~。
残りの人生も、大事に、一生懸命生きたいですよね^^。
すごいですね、人間が作れちゃう(精子と卵子が作れて、受精もできる~)
もちろん臓器も作れる、そういうところまで、研究はされてるようです
日本をはじめ、先進各国で研究が進んでるようですが
やはり、生命倫理の問題で、各国制約がされてるようです
日本では、受精禁止とかぁ
実用化にどのくらいかかるのかは、わかりませんが、そう遠くない未来には
「飲みすぎですねぇ。肝臓取り替えておきましょうかぁ」みたいな時代が来るかもです
だから、そういう話しを聞くと、アタシみたいなお気楽にはなかなか解らない経験なんだけど
とにかく、今の生に感謝しながら生きないとな、ってつくづく思う。
みんなの言ってる子供同士、ってのは、日本のニュースなのかな?
アタシには解らないけど。
医学が進んでるから、助かる人も増えてて、でも、だから、
犠牲になってる人もそれだけ居るってことなんだよね。
脳死も移植もギリギリのラインなんだと思う。
ゴメンね。 それぐらいしか理解出来てないんだな、アタシってのは。
ただ、ドナーに助けてもらうような事が、これからない、とは言えないし
アタシがドナーになる日がやってくるのかもしれない。
それを思うと、やっぱり今をしっかり生きることぐらいしか思いつかないや。
ご両親はさぞ心配なさったでしょうね。
脳死の問題、考えさせられますよね。
さまざまな意見を聞きますが、そのどれもが
「そうだよなぁ。。。」 と、思ってしまいます。
脳死と判定された方のご親族、
そして、待っている方も多数いらっしゃる。
難しいです・・・
夢の途中・・・そう、意識が無い心が無いなんて
本人以外にわかるはずない・・・はずなんだ。
いくら考えてもわからないことでも
立場が相反する人々が存在することでも
何かを決めなきゃ始まらないってところが
怖いところでもある・・・
子供の頃から何回も死線彷徨ったなぁ…。
よく今まで生きていたもんだと
知っている人にたまに言われる。
なんか似たような感覚なので
親しみ感じるよ!!
お陰でこうしてKINACOさんに出会うことができたのですものね^^
脳死の問題はほんとに難しいです。
あんなにあっさりと決めら得ることではないはずなのに。。。
どんなに考えても難しすぎてわからないけど
私はやっぱり脳死って受け入れられない気がする。
もちろん移植を待つ人の気持ちもとってもわかるけど
心臓が止まらない限りはやっぱり生きてるって思うかなぁ。
成長するんだもの。。。爪も髪も身長だって伸びるんだもの。
いつか奇跡が起こるかもしれないんだもの。
起こすもんだ。
人が生き延びるのを、皆どう考えるのだろう。
あっちの世界にいってしまった 友・親族などそういったものが「まだこっちへ来るな!」と
拒んだからこそ、戻ってこれた。
そう考えるのかな・・?はたまた、医療が発達してるおかげで。そう医者に感謝するのかな?
悪い聞こえ方かも知れないケド、俺は奇跡的に生還してきた人たち(脳死の人も含め)は
おっしゃる通り、夢の途中。「夢の果て」にいきつくほどの実力がない者たちが 改めてこの世界に戻されるのではないかと思う。
旅立った方々は、きっと全ての事を理解し。夢の果てまでいきつくことができた人たちなのではないのだろうか。
と、俺の死んだ婆ちゃんが言っていた。
「脳死=人の死」はどうなのかは、考えますね。
だって、奇跡が起こらないと限らないし。
KINACOさん、無理は禁物ですよ!
脳死・・・科学や技術が発展してくると、いろいろな物事が単純に考えられなくなってきます。皆さんがおっしゃっているように、自分の死については自分で判断できるから、その意思をなんらかの形でわかるようにしておくべき時代ですね。私もそろそろ、遺言を書いておく年齢だなと思っていたところなので(財産はないが)、一筆したためておくかな。
問題は、やはり子供です。自分で判断できない子供、これはやはり親が決めるしかないけれど、親は自分の子供がどんな状態だって、暖かい体のままでいてほしいと思うはず。私は、もし自分の子供がそんなことになったら、ずっと世話をしつづけると思う。いつか、医療が発達して、この子を救ってくれるのではないか、と思うに違いない・・・死の問題は、法律で決められる問題ではないんだ。もしかしたら、他の子の命が救われて、それによってわが子も生かされると思うなら、脳死を死として受け入れる方もいらっしゃるかもしれない。また、自分の子供が他の方の臓器の移植を受ければ救われるとなった場合、きっと私はそれを望むでしょう。自分のことしか考えられないんだな、恥ずかしいけれど・・・
本当に難しいし、悲しい、せつないテーマです。
臓器移植の問題は「闇の子供達」を読むと、さらに考えさせられます。映画は観ていないけれど、原作を読んで、自分の現在の状況に感謝しつつ、精一杯生きなくては、と思いました。なんだか、あたりまえの感想なんだけれど、現実がすごすぎて、自分には何もできない・・・と、へこみました。
うん、私自身は、「脳死」が「死」でいいの。
私自身の「死」はね。
あげれるものは、なんでもあげます。使えるうちに使ってね!なんです。
でもね、これが当たり前で「望まれる」ものである風潮はコワい。
「脳死」がホントに死かなんか、まだ解らない。
こと「子供」同志の話になると、こんな悲しい話は無い。
「死」が、本当に自分自身の、そして家族の問題っていう「シンプル」で、「本来の形」
これだけになってほしいんです。
その為には、早く早く、ほんとうに「いい臓器」が出来て欲しいんです。
研究は、スゴいとこまで言ってるんだとは思います。
でも、早く早く。。。
待っている子供達、待たれてしまっている子供達の決断をする「その子を愛している人達」
こんな関係、悲し過ぎます。
子供達だけでなくです。
お母様のような方々。。。望みを平等につなげる、誰かの悲しみの上に成り立つものでない、
その為に、「いい臓器」それを作ってもらいたいんです。
それが「神の領域」であったにしても、
なんだか、何と言っていいのか解らないんですけど。。。
私も麻酔はかけてもらおう。。。その事を家族に言うの忘れてた。。。
私も私自身の『死』には、「自己」「自我」が「自分自身の手中になくなったとき」
これを「死」として欲しいと思っています。
最後の幕引きを、自分に約束しておきたいんです。
もしかすると、とても自己愛が強いのかもしれないです。
私自身には「脳死」は死でかまいません。
あげれるものが在るならば、なんでも持っていってくれてかまいません。
使えるうちに、使って下さいって思います。
非情に微妙です。
とくに「子供」同志になるわけです、今回は。。。
これがツライ。
ほんとに「いい臓器」これを作って欲しい。早く早く。
そうすれば、だれも心を痛めずに、誰かの何かの上に「生命のツナギ」が成り立つものでなくなる。
そう成って欲しいんです。
うん、イタズラに苦痛を継続させたくないよね。
私もきっと、母や父のその場面には、そう思うだろうと思う。
自分自身の「死」をどこに置くかは、家族に話しているので、
尊重して欲しいと、言っているのよ。
家族もそれぞれ、そう自分自身の事を、伝えているのね。
だから、ちゃんと尊重しようと思っているの。
ねぇ、こんな「脳死」しかも「子供」のこの問題。
双方に「悲し過ぎる」「辛過ぎる」話だと思わない?
「いい臓器」が、早く出来たら、きっとこの話は無くなるのに。。。
早く出来て欲しい。
この問題がね、身近な問題にならないとも限らないじゃない。。。
自分が大好きな人が、この問題の渦中になることだって有り得る。。。
難し過ぎて、ずっとずっと考えてるんだよ。
亀吉さんがおっしゃってくださった「ジョニーは戦場へ行った」見た?
私はこれを、小学生の時に見たの。
見ていなければ、gooシネマかなんかで、あらすじ読むだけでも見てみて。
めっちゃ考え込みます。。。
生き帰って来てくれて本当によかったと思ってる。
今回の体調不良も心配だったけど…またこうして会えてほんとによかった。
うちの母は透析患者で移植の行列に並んでる。
いつ来るかもわかんない、長い行列に。
順番が来るのより、きっとお迎えのほうが早いねって笑ってるけど
誰かの臓器をあてにしなくても、その代替品を科学で作りあげられないかと
そんなことを思ったりするの。
薬の進歩や、倫理的には微妙だけれど「クローン技術」で臓器も作れないものかって。
わたし自身はすべて使えるものを使ってもらっていい、ただしもしかしたら
脳がきちんと機能していないとはわかりがたい部分もあると思うので
麻酔だけはかけてねって思っています<痛いのはいやだから(苦笑)
実際、数十年後に意識を回復された方もいらっしゃいますし。
色々反論等あると思いますが、私の基準では
脳波が有ること
なくても、呼吸器無しで自律呼吸している事
と思うのです。
『生きている』と『生かされている』の差です。
自然界でも、そうでしょう。
結構な数の『死』に立ち会いました。
私はそれで、『死』に慣れてしまったのかも・・・
これがさ、「自分自身の死の問題」であったならば、簡単なのよね。
「ここを死として下さい」、これでいい。
でもね、そうなのよ。子供の「脳死」と「移植で命がつなげることができる子供」
双方があるから、ホントに心が痛む。。。考え込む。
でもね「脳死」って、ホントに「死」なのかな。。。
私自身には「脳死」が「死」でいいんだけど、そう家族にも言ってるんだけど、
でも「私でない人の脳死」の問題。。。これは「死」なのか、ほんとうに。。。とおもう。
「脳」が「全て」でないと言える日が、くるかもしれないんだ。
「いい臓器」が、早く早くできればいい。
そうすれば「死」の問題が、「シンプルな家族だけの、自分自身だけの」問題に戻る。
その形に、早く戻れば良いなぁと思う。
切に切にねがうんだよ。
私ね、家族にいってるんだ。
「私の生の尊厳は、意志にあるから、精神を手放してしまったときを死として下さい」って、
予め言っている。
「ガン」になった時にね、最悪の事態も考えたのね。
最後まで「自分の精神を自分で握っていられるか」って問題ね。
モルヒネで、精神を手放すかどうかね。。。
ちょっとね、今の問題とは違うけど、「どこをもって自分の死とするか」
それをね、明確にしておきたい。そしてそれを尊重してほしいって。
私の祖母も、「外す外さない」の瞬間があったの。
母はね「彼女はここを『死』とすると言っていました」と、決断したの。
外しますって時にね、祖母は頷いたの。
頷くはず無いの。なのに頷いたの。お医者様が「待って!」という程。。。
穏やかな表情に、明らかになったの。
らんくるさん
なんて言っていいのかわからないのだけれど、
私には、その「穏やかな顔」が、祖母に事に関しての、全ての答えでした。
うん、さっとんさんのお話、お聞きしたかったんだ。
ありがとうございます。
待つ方も、きっときっと「自己嫌悪」や「浅ましくは無いか?」の自問自答や、
「生きたい」や、そんな入り乱れる気持ちに、潰されそうになるでしょう。
大人ですらそうだもの。
今回は、子供の「脳死」の問題だから、双方のお気持ちを考えると。。。やりきれない。
さっとんさん。
はやく「いい臓器」できないかなぁ。
そうであったなら、「死」が、「家族の問題」に、また戻って来るんだよね。
シンプルな、本来の形に戻って来るんだよね。
「助かる命」が、人の何かの上に成り立つものでない形が、一番いい。
切に願うんです。
ほんと、私もずっと考えてる。
脳死を「死」としなければ、「生命維持装置」を「取る」行為がどうなんだ、
の問題にまでなってくる。
そこは「大人」の自分としては、「意思表示」を「尊重」してほしいなぁと、
と、家族には言っている。
私の「尊厳」の問題だから。ここを「死」としてくれてけっこうだからとね。
ねぇ、こんな「待つ人」も「待たれてしまっている人」も、
心が痛んで、ツライ選択をしなくていいように、はやく「臓器」作って欲しい。
自分や家族の死を、そのことだけの本来の「シンプルな問題」に、戻して欲しい。
そう願うんだ。
難しいよね。
今の時点で自分自身が「当事者でない」ってところがまた、難しいんだ。
どちらの気持ちも、解るんだ。
わかるんだけど「解んないでしょ!」と言われれば、「ごもっともで」というしかない。
ことに、「子供」の「生と死」の問題だから、判断しかねるんだ。
少なくとも、自分の死を「どこを持って死として下さい」と、はっきりとした選択の明確さを、
まわりは尊重してくれる環境を整備してほしい、それしか言えない。
私は大人だから、それでいいんだ。
人の、それもまして子供の「死」を「誰かが待っている」「待たなければならない」この
「不健全」さを、「そもそも」から無くしたい。
臓器、作って下さい。
ほんとに作って下さい。早く早く。
って、思うんだ。
母親亡くなる前の一週間、もう肺にまで転移してたので、
呼吸もほとんどできなく酸欠状態ですごく苦しかったと思います。
苦しんでる姿を見ると、もう十分頑張ったから早く楽にさせてあげたい、と思いました。
見てるほうも辛いし、本人が一番辛いと思ったので。
でも脳死はどうなのでしょう?脳は死んでても身体は生きてる。
これっていくら考えても考えきれない問題ですよね。
まぁ、それはともかく、キナコさん、ご無事でなによりです。
まだ病み上がりなのですから絶対に無理しないで下さいね。
あとガラっとイメチェンぶりにキナコさん探してしまいました(笑)
素適ですよ~^^
これホントに微妙な問題ですよね。
脳の機能が完全に死んでしまっているにもかかわらず、身体機能は正常に働く、これは血縁者や親しい人たちには 「死」 として受け入れることが難しいでしょうね。
でも、何らかの突発的病気や事故での 「意識不明」 「昏睡」 とは違って、脳機能が 「死」 んでいる以上、人としての 「意識」 が回復することがないわけで…
今回の法案は、「子ども」 の脳死移植問題なので、さらに感情的な部分が大きく出てくるでしょうね。
いつか目が覚めるのではないか、と待つ親と、一刻でも早い臓器移植を待ちわびる親、この両極端の感情世論のぶつかり合いです。
もっともっと、活発に議論を出し、積極的に考えていく必要のあることですね。
ホント、KINA姐さん、よくお帰りになりました(^-^)
で、帰って来てから、飛ばしすぎじゃない?もっとゆっくりでも良いんじゃない?無茶しないでね?
夢の途中から、帰れて、よかったね
母が闘病中、10年あまりのうちに、何回も危篤になりました
そのたびに、医者から今夜が・・・と言われましたが、帰ってきました
最後の時はね、医者に「どうしますか」って言われて・・・
スイッチをね、切ってもらいました・・生命維持の装置の・・・
夢の中だったのかなぁ~・゚・(ノ∀`;)・゚・
ナースと患者でデビューがお揃い♪ 彼は心筋症、心臓移植しか助かる道は無い病気でした。
夜勤の消灯過ぎると眠れない彼からいろんな話を聞きましたよ。
「俺、誰かの心臓貰うほど立派な人間じゃない。そんな資格ないよ。」とも言ってました。
対応する看護師の意見はさまざまでした。
「そんな弱気でどうするの!! 奪ってでも生きる欲が無きゃ!!」とか。
移植は誰かの死を背負って生きるのですから重いですよね。
彼は29歳で亡くなりましたが、私のお仕事の原点です。
まだいっぱい用事があるから、
頑張らないで、頑張ってね。
脳死については、一昨日からだいぶ考えてます。
やっぱりそういう時も夢見てるのですかね。
ずっと夢の中って怖いなあ。
脳死ですか・・・難しいテーマですね
私がね、提供される側になった時は、提供してもらわないって決めてるの。
提供は、いくらでもするけど、提供は「待ちたくない」
待たれてる人の家族を考えるとね。。。
提供しないと「非人間」みたいな考え方だけは、押し付けられるベキじゃないと思う。
難しいね。
ナーバスだね。
自分が提供されない覚悟があるといっても、提供を待つ人を非難してはイケナイ。
「生きたい」「生かしたい」って思う気持ちは、わかるんだ。
難しいよ。
その映画、小学校の時に見たんだ。
夢に出る程、考えた。
最後さ、モールス信号で「殺してくれ」かな「死なせてくれ」かな?
コワかったんだ。
いまでもコワい。
そういえば、私、異常に火傷を怖がるんだ。
考えると、頭イタくなって来ちゃうな。
こういう問題ってさ。
私は、もし、自分がそんな状態になったら、生きている人(私の面倒を見てくれる人)が負担になるなら、
脳死=死んでるって事で良いと思ってます、医療費に、生命維持費にお金もたくさんかかりますからね・・・
(相手がいる事故で、こちらに非が無い場合は、相手側に費用払ってもらって生かしてもらいたいですが)
臓器は知人意外には提供したくないと思ってます。
KINACOさんが20年前に三途の川渡らなくて良かったです。
でないと、前日の様な面白日記には出会えなかったからね☆