『子どもの頃憧れた職業』
- カテゴリ:仕事
- 2012/05/20 14:18:45
小学一年生のとき、陶芸家になりたかった。
親父に速攻でダメ出しされた。親父は良い大学へ行って大企業に入って欲しかったらしい。
当時は大卒などの高学歴者は、社会全体の30%前後だった事もその事の要因のひとつになっていると思う。
しかし『良い大学へ行って大企業』というのは、漠然とした目標であって、それが何を意味するのか、当人には解り難い。
今思えば、人間らしい生活をできるのは、今も昔も一握りのヒトなので、
苦労の無い人生を目指して欲しかったのだな、という事は、いい加減いい歳なのでそれは解る。
しかし、どの職業も社会にとって絶対必要であるなら、
収入も平等であるべきだ。目指していく生活は、皆大体いっしょなんだから。むぅ。社会主義の考え方だね。
(この辺りで北朝鮮や中国はこういった言葉を隠れ蓑にしているのだな。と、いう事が解る。)
しかし、『何の職業に就きたいか?』という問いは、
『何を日々成して生きていくのか?』という問いであって、生活水準そのものの問いではない。
すいません。
最近ストレス溜り気味でして、何を書こうとしても新聞の記事みたいになっちまう。(^^;)
そういった事を、まあ置いておいて、何で陶芸家なのかとゆーとですね、
やっぱ粘土遊びの延長だったからw ( に見えるw コドモだから。)
それに造っては直しを繰り返し、理想のかたちに崇めて行くというのは、物凄い魅力だ。
それを焼き固めてかたちを留める。寝て醒めて夢ではなかったかと手に取ると現実なんだと実感できる。
または『こんなもんだったか』と思うこともあるでしょう。
いづれ焼き物を崇めるのではなく、自分自身を崇めているのだと気付く。
むぅ。いいなあ。ww
ちなみに今も私は『なんでも鑑定団』で焼き物の値段は殆ど外さんですよ。
ところで、生まれ変わってなりたい職業といえば、遠くの南の島で、教師になりたいのだ。
いきなりイスラエルとアラブの問題から歯に衣着せずに、なんでもかんでも教えてやる。
お給料は干し肉とか、魚の干物とか、あと酒だな。(爆)
今はセトモノよりクイモノにウルサイからねえ、
う~~む。
頭の片隅に置いておくことにしますよ。
陶芸は出来るではありませんか。。。
イヤ 今からでも。。。 なんつってね
いやいや、だからネ(^^;)
『ねんど こね回す泥遊びのお仕事』としか当時は認識してないですよ。
無論『陶芸家』なんて言葉も知らんですよ。
それがどういう仕事なのか、理解した時にはすでに時遅しとゆーことですよ。w
ぼくはそんな言葉さえしらないアホな子だったと思います。
生まれ変わったら僕はM.OBrien先生に色々教えてもらいたいと思います!
いやいや、陶芸家とゆーより、テレビで轆轤(無論ろくろとゆー名前さえワカッテナイ)
を、回して器を造る仕事をやっていたのですね。それを観たコドモにはタマランかっただけですよ。
もうお気づきでしょうが、私は『何か』に都合のワルイ事実でもヅケヅケ言っちゃうタイプの人です。
それにさ、アレについてはアレですよ、あんましだと飽きるじゃないの。
『どうしておなかがへるのかな』の歌の替歌を考えれば、まさしくそのまんまでしょうに。www
善哉、善哉。許されよwww
それにしても小学生で陶芸家という職業をご存じだったのですね。博識~。凄いなあ。
ねんど遊びと泥んこ遊びが融合したそれは、
大変に魅力溢るるお仕事です。w
でも、とろけたような姿をしていても窯で焼くと、
ちきんと固まって水にも溶けないとゆーのは大層ステキだと思い、
当時は目を輝かせていたと思います。
粘土遊びの延長というところが、また何やら子供らしくて、いいなあ、と思います。
しかも、それだけでないところが、M.OBrienさんらしいですね。