【竦む翼】
- カテゴリ:自作小説
- 2009/06/23 13:36:21
その少女が「門」を潜るところを見たものは、誰もいない。もちろん、誰かの荷物に紛れ込んできた訳でも、ない。
とにかく、その少女はいつの間にかやってきて、入学手続きの列に並んでいた。彼女が携えてきた荷物はたった二つ。大きな鞄と、背中に背負ったリュックサックのみ。しかもそのリュックサックからは、何かの生き物が顔をのぞかせている。少女の後ろに並ぶことになった学生は、その生き物と目が合って、少々たじろいだ。
「えーと、ソフィア・アウレリス、ね。…はい、書類は揃ってる、と。これが、入学案内。隣の部屋でクラス分けの簡単なテストをしてから、寮の方へ案内、ね。…次の方、どうぞ」
入学手続きが、あっけないほど簡単に済んでしまったので、少々拍子抜けした顔で隣の部屋へ移動するソフィア。
隣の部屋に入ると、ローブを着た五人ほどの魔法使いが並んでいた。
「荷物はそこへおいて下さい。背中の物騒な生き物も、ね」
「はい。…あ」
少女がリュックを下ろそうとしたところで、動作を止める。
「どうかしたかね?」
「えーと…この子、おびえてしまって離れてくれないんです。…ほら」
ソフィアが示すところを試験官の一人が見ると、生き物の小さいが鋭いかぎづめが、リュックサックを貫通して、服に食い込んでいる。
「これは…痛くないの?」
試験官の一人、おそらく女性と思われる者が少女に尋ねた。
「体にまでは届いていませんから。…ただ、服がダメになっちゃった」
「服の修復は後で責任を持ってやってあげるわ。だから、その子をなんとかなだめて、あなたから離してもらえるかしら」
「少し時間をいただけますか?」
ソフィアは部屋の隅に行って後ろを振り向き、リュックの中の生き物に何事か話しかけた。しばしのやり取りの後、ようやくリュックを肩からおろして、部屋の中央に戻ってきた。
「お待たせしました」
「その中身が、申請書にあった、リンドブルムかね?思ったよりも小さいが」
幾分、年上の者と思われる声がそう問う。
「はい。からだが小さいのも、ちょっと心配事の一つで。」
「そうですか。心配事を一つでも減らせることを願いますよ。では、ここに書いてある事を、音読してもらえるかな?」
そう言って紙片を渡されたので、ソフィアは言われたとおりにした。
五人の試験官は次々と課題を与え、ソフィアはそれに従った。
「はい、大変結構でした。では、お部屋の方にご案内しましょうね。でも、その前に」
女性の試験官が、ソフィアの背中に手をあてた。彼女が何事かをつぶやくと、ソフィアの服についたリンドブルムの爪痕が消えた。
「どうやったんですか?」
「その服に残った、リンドブルムの力の残滓を取り除いたの。それだけ。…では、荷物を持って、ついておいでなさい」
寮の部屋に案内されたソフィアが最初にしたのは、リュックをおろして、中に入っているリンドブルムを出すことだった。
「ちびちゃん、お疲れ様。窮屈でごめんね」
「ちびちゃん?」
ソフィアを案内してきた女性が聞き咎める。
よたよたと床を歩き回るリンドブルムを抱き上げて、「はい。この子の事ですが…何か、問題があるでしょうか?」とソフィアが答える。
おそらく、このリンドブルムが大きくならないのは、その呼び名のせいではないか、と女性教師は考えたが、「可愛い呼び名だわね」と言うにとどめた。
「ちょっと、見せてもらってもいいかしら?」
飛べないリンドブルムに飛び方を教えたい、という一風変わった志望動機を入学申請書に書いた少女は、言われるままに自分が保護している生き物を女性に手渡した。
女性教師はリンドブルムの翼を仔細に点検した後、おもむろにリンドブルムを放り投げた。リンドブルムは慌てた様子で空中で数回羽ばたき、姿勢を正してから、滑空して部屋の奥へ着地した。
「滑空することは、できるのね」
「はい、なんとか。でも、滑空のスタート地点をどんどん上げていくだけでは、飛べるようにはならないじゃないかと」
空を飛ぶ幻獣にとって、「飛翔」と「滑空」は根本的に異なる。「滑空」は物理現象だが、「飛翔」は魔法によるものであるから。そして、幻獣にとって、魔法を使うことは、本能にほぼ等しい。
「問題点が解っている、というのは心強いわね。まあ、探り探りだけど、頑張りましょう」
そう言って女性教師が手を差し出す。
「まだ確定ではありませんが、おそらく、私があなたの専任教授になると思います。」
「はい…ありがとうございます」
ソフィアが差し出された手を握り返しながら言う。
「ところで、先生のお名前は?」
「あら?そういえば、名乗った覚えはないわね。フェイ・リンデル、と言います。よろしく」