ヾ(〃゚ω゚)ノタダィマ☆
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2012/06/17 22:46:11
昨日、復興ボランティアから帰ってきました♪
宮城県南三陸町に行ってきました
そもそも今回のボランティアはウチの会社で募集してました。
東京駅から仙台駅までの交通費とホテルの宿泊費は会社が負担してくれたのです
以前からボランティアに興味はあったが、どのように現地でボランティアの申し込みをするか分からなかったので正に渡りに船!
今後も何隊かに分けて継続的に募集するそうです。
申し込んでも確実に参加出来るわけではなく抽選があるので当選した時は嬉しかったな~
参加者は35人。
北は北海道から南は九州まで色んな部署の人がいました
全然接した事のない部署の話を聞くのも面白かった。
仙台駅で集合、仙台で解散って感じ
食費は自己負担なのでバスの中で回収。
ウチの会社の東北支社に立ち寄り社内の震災資料室を見学し、当時の状況を聞く。
会社には自家発電機能があったけど、周りは停電してたり大変だったようだ
その後、石巻の被災地を見学し、南三陸町へ。
テレビで見たことがある防災対策庁舎(町に津波の避難を呼びかけて亡くなった女性が勤めていた場所)
そんな場所をバスで通り過ぎながら南三陸ホテル観洋へ到着。
ホテルでは被災者であるAさんの当時の語りを聞きました。
その人は津波で家を流されたのは今回の震災で3回目とのこと
2度目に家を流された時には高台に家を作り、津波が来ても大丈夫と思うくらい頑丈な家を作ったそうだ。
しかし目の前で無情にも家が流された…
近所にSさんという方がいてAさんは避難を勧めたがチリ地震の時は津波がここまで来なかったと言って避難しなかった。
結果、Sさんは行方不明になったとのこと。
年配の人ほど、前回の経験が裏目になり避難せずに犠牲になった人が多いようだ
波の高さ・轟音・瓦礫…まさに地獄。
助けを求める人、瓦礫にすがっている人達が引き波によってさらわれた。
こうして話をする為に思い出すのも辛いそうだ。
3歳の孫を連れた女性やSさんの奥さんを津波からすくい上げる事ができた。火事場の馬鹿力だと語った。
【Aさんが言う避難所に必要なもの】
個人で用意するのではなく避難所に置いておいてほしいものです。
・水…1日1ℓ 食料(カンパン等)×3日分
特に水は避難する時に重いので避難所に用意してほしい。実際背負って亡くなった人もいる
・懐中電灯
電気も通ってない避難所で夜、トイレに行こうとしたおばあちゃんが転んだが、骨折し3ヶ月入院したとのこと。
無傷で避難所に来たのに入院…懐中電灯があれば避けれた事態です
・サラシ
これは意外に思ったが、包帯替わりに使用したり、
骨折したおばあちゃんを山を越えて病院に連れている時のおんぶ紐として重宝したそうだ
それと常日頃から自分の行動範囲内のトイレを確認したほうがいいんだって。
田舎だと裏山とかに穴掘ってトイレを確保出来るけど、都会だと大変だろうな~って。被災したら水流れないし。
南三陸町は町の62%が一気に津波でなくなった地域。
ぶっちゃけ復興が進んでいるように見えない
勿論瓦礫の撤去は進んでいると思うけど、国と県と自治体の連携プレイがギクシャクし復興計画がない
問い合わせても返答がない。国の指示がないとやりたくてもやれないとボヤいていました。
ボランティアセンターの所長の話も伺った
電気の復旧に2ヶ月、水道に3ヶ月かかったとのこと。
行政が決めた避難場所はアテにならないとか、タンス貯金が多い地域なのでそれが目当ての泥棒が多く現れたこと。
地元の人も泥棒をした人がいるらしく摩擦が多くなったとか、ヤの付く自由業な方達が乗り込んできて未だに居着いていて困っていると。
震災直後、ガソリンが1ℓ500円に値上がったらしい。
辞めてた人もストレスでタバコを吸い始め、タバコ不足の時は瓦礫からタバコを拾い乾かして吸っていたって。
最近では仮設住宅の中でアル中が増えているのも問題。
自殺も多くなるだろうし、これからは心のケアが必要だって。
今までのボランティアの労働力をお金に換算すると934,022,160円にもなって非常にありがたいとも言っていたよ
ただこれからも継続的にボランティアが必要だとも言っていた。
夕食ではボランティア参加者の自己紹介をしつつご飯食べました。
露天風呂は目の前に海があり、眺めが良く素敵♡カモメがいっぱい飛んでいる
この露天風呂も津波に巻き込まれ改修したらしい。どおりで綺麗だと思った。
2・3日目は朝からボランティア活動。16時まで作業します。
ボランティアセンターへ行き、どんな作業をするか聞きます。
今回は道の側溝の瓦礫や泥出し。梅雨になり雨が多くなると側溝から悪臭がするようになるので泥出し急務。
最初どこに溝があるのか分からなかなったw
色々なものが埋まっているので、それを燃えるもの・燃えないもの・ガラスや陶器等に分けます
コップは壊れてなく、洗えば使えそうなものもあった。
パラソルとか車のナンバープレートも出てきた
場所によっては悪臭漂うヘドロも出てきた。ヘドロの中は何故か釣り針が多かった。
ここの現場で作業をするのはウチの会社の人だけだと聞いていたけど、3日目には気づいたらスペイン人が混じってたww
2日目は作業が終わったら仮設の商店街に行ける予定だったけど時間がなくて行けなかった
ウニ丼があると聞いていたから楽しみにしていたのに…ウニ丼(´;ω;`)
でも3日目に商店街に行けてウニ丼食べた!時間がなくて10分で食べたけどww
もっとゆっくりと味わいたかった。でも美味しい( ゚v^ )
3日目の夜はホテルを変えて気仙沼のホテルに行きました。
途中の道路で大きな船が置いてあり、津波で流されたけど撤去するにもお金がかかるのでそのままなんだとか。
4日目は仙台に戻り、東京へと帰りました。
新幹線の中で牛タン弁当を食べて私の旅は牛タンに始まり牛タンに終わりました。
とても充実した4日間でした
ところで帰りの新幹線は「はやて」に乗ったにの車体はどう見ても「はやぶさ」でした。
元気だったーー?
疲れは取れましたか?
まだまだボランティアの力を必要としてるところもあるのですね。
TVで被災地の映像が流れる機会もめっきり減り、世間的に関心が薄れてるようですがそれじゃダメですよね。会社としてボランティアに参加できるなんてうらやましいっす(。◔‿◔)
ただいま♪
秋に東北行こうと思っているんですね!
ぜひ行ってお金を落としてくださいw
ボランティアに参加しなくても観光してお金を使ったり、
目に焼き付けた現状を周りの人に伝えるだけでも復興につながります。
耳鳴りとめまい大丈夫ですか?お大事に
貴重な体験談を書いてくれて、本当にありがとう!
そして、お疲れ様でした(*´ェ`*)っ旦~
仙台に友だちがいるんだけど「復興が進まない」としか聞いてなかったから、
事実はこんなに酷いんだって知りました。
秋、東北に行きたいと思っています。
震災の爪痕を目に焼き付けるために。
そして、お金を使えるところで使って少しでも景気回復のお手伝いをしたいです。
耳鳴りとめまいが持病になっちゃったので、ボランティアはできそうになくて残念です。
ただいいま!
( ゚ー゚)( 。_。)うん。ウニ丼食べれて良かったよ~
醤油なしでも美味しくいただけました
行きは牛タン弁当ではなく牛タン定食でした。
東京駅に出店している、ちゃんとした店に入って食べました。
仙台駅にも入っている有名店で美味しかったですよ~
会社で募集があったのですね~
旅行帰宅後すぐお疲れ様でした~(*'-'*)
ウニ丼・・・・(*'д`*)
3日目食べれて良かったですね(〃'▽'〃)
行きと帰りは牛タン弁当でしたか
食べた事あるような気がします
わりと有名な駅弁ですね☆