ペルソナ4ゴールデンやってみた・2
- カテゴリ:ゲーム
- 2012/07/09 12:14:57
【最高だ!! という意見は聞くな】
女神転生・ペルソナシリーズを初代からやっていて、今作も3周してエンディングを全て見た自分だから、言わせてくれ…。
マリーってさ、…正直、いらなかったよね??
…うふふ…言っちゃった、言っちゃった!(雪子のマネ)
というわけで、今回は新キャラ、マリーについて語る。
ネタバレは極力避けるが、マリーが好きなファンの方はブラウザバックして頂きたい。
さて、いきなり正直な気持ちから始まったが、マリーについては、これ以上ない感想でもある。
マリーという女の子について簡単に説明すると、こうだ。
記憶喪失の美少女。だが、正体は人間ではない。
主人公が稲羽市に来た時に出現し、彼女の存在自体が主人公に大きく関わる。
ツンデレ系で、言動が幼く、進行ごとに痛いポエムでプレイヤーを悩殺する。
ゲーム内の役割は、ペルソナ強化のためのスキルカードの発行と、オンライン使用した時の救援要請のサポート。
以上である。
これを見る分には、別にいてもいいでしょ、と思うだろう。
しかし、真・ENDのスタッフロールを見て違和感を感じたのは自分だけだろうか?
なぜか彼女もちゃっかり出てるんだよ…。苦楽を共にした仲間達と一緒に。
(無印版では、仲間の映像のみがスタッフロールに登場していた)
はっきり言って、彼女は何もしていない。
ストーリーに深くかかわるのは、後半の彼女用イベントだけで、あとはコミュニティの一キャラとして、フラフラしてるだけ。
ワガママ言って主人公や仲間を振りまわし、最後の方で自分一人不幸を背負った顔して消えようとする。
そんな勝手なやつなんだ。
冷静に考えて、なんで彼女が最後のスタッフロールで仲間と顔出ししてるのか、記念写真にまでメインキャラと映っているのか理解不能だった。
むしろ腹が立ったくらいだ。
もし彼女が、プレイキャラとして主人公達と一緒に戦闘に参加していたなら、まだ話はわかる。
でも単なる助けられキャラで終わった彼女に、ロールで登場する資格はないと思うんだ。
ペルソナ使いでもないのに、彼女のコミュMaxで解禁になる「カグヤ」とセットで出ていたのが、なんだかいやらしかった。
マリーの明かされる正体も、後づけを強く感じた。
彼女の正体は、主人公のペルソナと対になる神の名前なんだけど、納得する部分も多少あったものの、腑に落ちないところも多かった。
ニコ動の人気動画で、事件の黒幕であるガソリンスタンド店員に顔面パンチをするシーンがあったけど、もしパンチする動機を新たに向けるなら、このマリーじゃないかな。
だって意味上、ほぼ同一人物でもあるわけだし。
この「同一人物~大きな意味で同じ存在」という設定は、女神転生および、ペルソナシリーズにおける悪魔考察とユングの心理学における考察にもとづいているので、単純に無理があるとは言い切れない。
ペルソナ4の世界が理解できないと嘆く人もいて、レビューで叩く人も見受けられた。
そういう人は、ペルソナ伝統の「ボーイミ―ツガール」の哀愁、キーワードは「俺達は心の海で繋がってる」を、感じ取ることができないだろう。
そう、キーは「心の海」なのである。
この言葉は初代作で登場し、2まで受け継がれていた。
心の海とは、人類の普遍的無意識のこと。
ユングが提唱した、「人類は人種性別を超えて、共通の神話世界を無意識に共有している」という説から来ている。
普遍的無意識~心の海は、パラレルワールドにすら繋がる世界のことで、江戸川先生の言葉を借りるなら、「人間はいかなる状態でもスタンドアローンではない、ネットワークなのである」ということだ。
脱線したが、マリーの本来の姿は、日本神話の国作りの女神である。
彼女は神を名乗るが、いわゆる天国に住まうのではなく、この「普遍的無意識」に属する元型という位置づけ、らしい。
しかし、人間が原初から発展して進化し、無垢な思考を維持できず、欲望だの様々な考えを持つようになると、純粋に愛の化身だった女神~太母は、人間の黒い心に影響されて、いろいろ分派していくわけ。
それが、ゲーム中で登場したクニノサギリ、アメノサギリである、と語っている。
マリーは、その大もとの女神から分かたれた分身の一つで、己の分身(真のラスボス)に良いように使われていた可哀想な存在ということになっている。
ややこしいのだが、分身は分身なりに一個の人格があるので、元は同じ存在であるという意識があまりなく、別人のように彼女達はふるまっている。
だから、同一存在であるラスボス大神が、自身の派生であるマリーに別の名前と役割を与えて嘲笑する、なんてこともあり得るわけだ。
話を戻すが、なんでマリーの後づけに納得いかなかったかというと、彼女の存在に、売り手の思惑を感じて嫌気がさしたからである。
ゲームをする人は大半が若い男性なので、ひとつ美少女を出して儲けましょう、というやつだ。
アッパーバージョンにつきものの新キャラ美少女は珍しくはないが、どうして彼女が「真のヒロイン」的に優遇されるのかがわからない。
だって彼女、何もしてないじゃん(笑)
上記の長い説明で、存在自体に意味があるとはわかるが、ゲーム内での行動で、彼女がそこまで大事にされる理由が納得できない。
ほんと、ただ主人公や仲間としゃべってただけだし。
それなのに、ゲーム中で主人公や仲間達は、彼女をとても大切にするんだ。
同じ釜の飯を食った(正式には食ってない)的な理由で、命を賭して彼女の危機を救おうとする。
自分は「なんで?」と思ったけど、十代、ニ十代の青春プレイヤーなら騙されただろうな。
実際、マリーのキャラが魅力的じゃないかというと、そうでもない。
キャラ立てが上手いせいで、ツンデレな言動も、時おり見せる素直なところも、笑える痛ポエムも、普通にかわいかった。
でも、大事なことだから3度言うけど、彼女、ナニモシテナイデスヨ?
いや、彼女は存在自体に意味があるんだという反論に、あえて申す。
主人公達がアメノサギリを倒したことで、彼女の命が犠牲になるっていう内容は、間違ってないと思う。ご都合主義に一石投じた感じだし。
でも、キャラの掘り下げとしてその役割を与えるなら、クマが適任だったのでは、と蒼雪は思うんだ。
クマは人間の普遍的無意識から生まれた、ちょっと特別な存在だけど、ただの偶然に過ぎなかった。
テレビの中の世界は、人間の心の海に繋がっていた。
前の説明にも書いたが、元は綺麗な世界だったのが、欲動が渦巻くようになって、シャドウと言う怪物がうごめくようになってしまった。
クマもそのシャドウの一匹だったんだけど、「愛されたい」という一念で自我を持ち、たったひとりで欲動の世界に住んでいたのだ。
でも、これだけ意味深な誕生エピソードがあっても、クマの意味は「偶然」のひと言で片付けられてしまう。
もっと何か意味があったのではと勘繰っていたプレイヤーにとっては、肩すかしを喰らった気分だった。
しかし彼のアルカナが、希望を司る「星」であることを見ると、やっぱこれで良いのかと納得するしかない。
だから、キャラのバランス(比重)を思えば、一人で罪を被る役の足立だけでなく、主人公側で不幸を背負う+αが必要だったのだろう。
クマだけに世界の崩壊を背負わせると、マスコット的存在の彼の位置づけが重すぎになってしまうから。
説明が長くなったが、まだ書ききれていないので、次回に。
つづく