本日のお着替え 実在の女海賊アン(メル)・ボニー
- カテゴリ:日記
- 2012/07/10 09:49:54
本日のお着替え 歴史上実在した女海賊 アン・ボニーです
アン・ボニー(1700.3.8?~1782.4.25?) は、18世紀のカリブ海で活動した海賊 「ジョン・ラカム」の手下の一人。 多くが謎に包まれた人物ですが、女海賊の代名詞ともなり、相棒の「メアリ・リード」と共に数多くの伝説を残しています
アンはアイルランドのコーク郡キンセールで裕福な弁護士の娘 「アン・コーマック」として産まれますが、それは父が妻が病気療養中不在であった時にメイドに産ませた いわゆる「妾の子(私生児)」でした
その不貞の為、父は妻と正式に離婚。不貞の噂が広まって本業の弁護士の仕事も、ままならなくなった父はアンと母を連れてアメリカはサウスカロライナ州チャールストンへ移り住み、農場主として大成功をおさめます
しかし、アンはそんな大富豪のお嬢様にはおさまらず、かなりお転婆な少女として成長しました
年頃になった彼女は、当時チャールストンに居た3流海賊の 「ジェームス・ボニー」 と知り合い、父の猛反対を押し切って駆け落ちし結婚。バハマのニュー・プロビデンス(現・ナッソー)へと移りました
その後、バハマの酒場で働いていたアンは運命の人「ジョン・ラカム」と出会いました
「ジョン・ラカム」は美男子として当時もっとも人気の高い海賊でしたが、船を襲い、物資を強奪しても、船だけは船主に返したり、捕虜となった人物に対しても非道なことは一切しなかった人物として当時の国王から特赦として、「海賊業を廃業して、陸で真面な職業に就くこと」を条件に死刑を免除されていたのでした
そのラカムが、再び海賊稼業を再開しようと決心していたことを知ったアンは夫の下を去り、ラカムの船に乗り込むことを決意
掟として女性の乗船は認められていなかったために彼女は男装して乗船しましたが、仲間内では女性であることは広く知られていたようです(一説によれば、ラカムとの間に一子もうけていたが、海賊船に乗り込む際に地元民に預けたとされています)
その後、ラカムが襲って新たに海賊になった乗組員の中に一人、目鼻立ちの整った美しい男性がいました
アンは一目で彼が気に入り、何とか誘惑しようとしましたが、その人こそが 男装して船乗りをしていた 「メアリ・リード」だったのです
事実を知らないラカムは二人の関係を「男女関係」とみて説明を求めますが事実を知った後も、そのまま乗船を認め、後に真実を仲間内にも公表。アンとメアリは乗組員中ただ二人の女海賊。しかも男性海賊ですら一目置くほどの女海賊として友好を深めていくことになります(アンは特に銃の名手であったとされています)
1720.10 ラカムの船がバハマ総督から派遣された「ジョナサン・バレット」提督に捉えられた時、ほかの男性海賊たちが怖気ついて船倉に逃げ込む中、アンとメアリは背中合わせに片手に銃。片手に剣という出で立ちで襲いくるジョナサンの部下20名以上と互角に渡り合ったと言いますが、しょせんは多勢に無勢 捕えられてしまいます
その後、捕えられたラカム一味は裁判にかけられ死刑を言い渡されます
ラカムは岬近くで絞首刑に処され、遺体は海賊に憧れる若者への見せしめの為にポート・ロワイヤル近郊の砂浜でさらしものにされました
1720.11.28 先に裁かれた男性海賊とは別にアンとメアリだけの裁判が開かれ死刑を宣告されますが、二人は妊娠中でると主張。刑の執行は出産後まで延期されることが決まりました
その後、二人の刑が執行されたという記録はどこにもなく、どうなったかは全く分かってません 一説によればアンは有力者であった父によって赦免を得、1721.12.21にジョセフ・バーリーという男性と結婚して8人の子をもうけ、1782年にサウスカロライナ州で82歳で亡くなったとされています
余談ですが、ラカムの処刑当日の朝、アンはラカムと最後の面会をしたと言います
しかし、ラカムの失態にいまだ腹を立てていたアンは愛を語るでもなく、慰めの言葉をかけるでもなく、別れ際にこう吐き捨てたそうです
「あの時、あんたが男らしく戦っていたら、こんなところで無様に犬っころのように吊るし首になる事なんてなかったさ……全くっ! 情けないッたらありゃしないよ!!」
さてさて、実在した女海賊のもう一人、「メアリ・リード」の講釈はまたの機会に。
伝説の女海賊、アン・ボニーの講釈 全巻の終わりであります
PS 名探偵「コナン」劇場版 「紺碧の棺」の中で語られているように脱獄したという事実は無く、原作者 青山剛昌氏の創作であります
こう言うのが映画に成ったら、超大作に成りますね。