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ペルソナ4ゴールデンやってみた・5

【一周回って、足立】

前回、長々と足立の背景について書いたわけだけれど、つまりは、足立は決して褒められた人間じゃないってことである。

なら、なんでこんなに人気が出たか。
ゲームの中で、主人公が彼を慕い続けたのか。
もう一度答えを戻すと、「自分や他人を信じ切れていないと、足立に惹かれる」ということである。

足立は挫折した人間だ。
有能な力を持って社会に出たけれど、能力と成果が結びつかず、自分を認めてもらえなかった。
足立と同じ経験をした人、そう感じている人は無数にいる。世の中うまくいかないことばかりだ。
だから、陽介達がボス戦前に足立を糾弾するセリフが、まっすぐすぎてうっとおしく感じる人もいる。足立も同じ理由で、こう言って彼らを責める。

――俺を否定しないと、お前らが立ってられないんだろ!

社会に出ていない苦労知らずのガキが、知った口を聞くなと言うのである。
でも、現役高校生の彼らじゃないと、足立を責めることもできないのだ。
人によって高校生活の思い出はさまざまだろうが、おおむね、十代の頃は何でもできそうな気がしていなかっただろうか。
その理由なき青春パワーは、無垢であるがゆえに力強い。
どうして大人は間違ったことをするのだろう、大人なのに。誰もが一度は抱いた素朴な疑問を、ゲームの中でも彼らは足立にぶつける。
足立は、そんな彼らを嘲笑し、罵倒する。
子供は黙って大人のしいたレールに沿って生きればいいんだ、と言う。
これと似たようなことを、黒幕のラスボスも言うのだが、主人公達は、こう言って否定する。
「未来は自分達で決める」
非常に輝かしい、若者ならではの言葉だ。
人生が思い通りにいかないと知っている大人から見たら、羨望さえ浮かぶ。

足立は彼らを、社会に守られた苦労知らずの子供と言うが、プレイヤーなら、それが間違っていると知っている。
最もわかりやすい苦労を被ってきた陽介や、雪子が一目瞭然だ。
ゲームの中で彼らは、それはもう嫌な目に遭いまくっている。下手すれば登校拒否だ。
片親で、幼少時に趣味のことで差別を受けてきた完二や、アイドルになる前は学校でいじめられていた久慈川りせなど、苦労や苦悩の重さは、年齢に関係ない。

しかし彼らは、生田目によってテレビに入れられるという奇異な体験がきっかけで、自分の弱さと向き合い、自分を強く成長させた。
だがそれだって、彼らひとりでは成し遂げられなかったのだ。
命を賭けて戦って救った、主人公達がいたからこそ、である。
ここで重要なのは、誰かが助けて救ったことではなく、陽介達が露わにした醜いもう一人の自分を、それも彼ら自身だと認めた者――主人公らがいたことだ。
嫌な部分を見せられても逃げなかった人がいる。それだけで、どんなに救われることか。
陽介達が強くあれるのは、お互いに支え合う仲間がいるから、なのである。

けれど、人は誰しもそんなに強くない。
自分に自信を持っている人が、はたしてどれだけいるだろう?
ペルソナ4の主人公は、容姿端麗、頭脳明晰、戦闘も家事も恋愛も完璧にこなすスーパーキャラだが、何度もプレイを重ねるうちに、今度はプレイヤーと陽介達との齟齬が生じてくる。
自分に向き合い、弱さとうち勝って短期間で成長する彼らに比べたら、自分は…。
そう考えた瞬間から、プレイヤーは主人公と同化できなくなる。
主人公とて、最初から出来た人間ではなかった。
稲羽市に来る前は、平凡でぱっとしない少年だった。学業その他も、稲羽に来てから励んで伸びたもので、つまり、それ以前は何も努力してこなかった子だ。
しかし、そのプロセスを忘れて、単に「陽介達は強いから、もともと素質があったから伸びた」と思いこむと、自分の存在意味が見えてこなくなってしまう。

ゲームの中で、りせが主人公に尋ねる。自分を演じていることはあるか、と。
それに対して「しょっちゅう」と答えると、彼女の好感を大きく得られる。
主人公の選択が、彼の公式な心理かどうかはともかくとして、演じる=自分をだます、ということに対して、プレイヤー側も深く同意するところはあったのではなかろうか。

現実でも、我々はそうやって人と接しないと生きていけない。それが社会だ。
笑っている顔の裏側では、とてつもないストレスを抱えていたり、黒い感情が渦巻いていたりする。
今まで平気な顔をしていた人が、ある日突然自殺する、という現実を見れば、表向きの顔が真実ではないとわかるだろう。

2人の人間を殺した足立が、それ以降も平気な顔をして生活していたことは、はたして異常のひと言で片付けられるだろうか。
彼は殺人、その他の罪に対して、なんら罪悪感は抱いていなかった。社会に対する憎悪はあっても、主人公らに倒されるまでは、まるで苦しむ様子はなかった。
しかしそれは、足立の精神が異常だったとは言い切れない。
前の自殺の例を挙げるなら、誰しも、心に闇を抱えているということである。

けれど、殺人犯の黒い心だけが彼の一面ではなかった。
たとえ足立自身が理解した上で演じた優しさも、本来彼が持つ良心から来ていたということだ。
主人公が足立に親しみを覚えていくのは、彼本来の優しさを愛したと同時に、その2面性を無意識に感じていたからかもしれない。
足立と主人公は、ゲーム内でも触れられているが、実は似た者同士なのである。

もともとパッとしなかった主人公が頭角を現すのは、テレビの中でもう一人の自分「ペルソナ」を発現させたからだ。
ペルソナを出してみる彼の表情は、まるで悪い人のようである。しかしその笑顔は、封じられていた自分の理想とする側面――社会と接する仮面を手に入れた喜びにも見える。
(アニメ版では制服をはだけることで表現していて、わかりやすかった)

それまで人と関わることすら敬遠していた彼だが、ペルソナに目覚め、クラスメイトである陽介と親友になることにより、どんどん積極的になっていく。
けれど、すでに述べた「俺は陽介達とふさわしくない」という考えが芽生えると、とたんにゲームにのめり込めなくなってくる。
それは、「ペルソナを得るまでは凡庸な一人にすぎなかった」という苦悩と意識を忘れずにいると、いつか浮き出てくる悩みだ。

自分と彼は同じだ。そんな仲間意識は、いつしか依存となる。
同じ闇を持つなら、互いに理解しあえる、そう思いこむ。
すると、今の自分の幸せに感謝できなくなる。生かされていること、自分を慕ってくれる仲間がいることも忘れる。
孤独だった主人公と、今の自分に自信が持てないプレイヤーがシンクロし始める。
自信が持てないと、自己の投射である他人――陽介達のことも信じられなくなる。

そんな主人公に用意されたのが、足立との「共犯者END」だ。
この流れだと、足立に嫌われたくない一心で主人公は証拠を隠滅する。
特別ムービーは秀逸だし、答えは人それぞれ、堕ちることも甘美という論は置いとこう。
(相当同人誌が増えそうな内容だったけど)

ただ言いたかったのは、足立に恋をしてしまうことは、今、寂しい人なんですね、ということだ。

足立の元から一人で戻って来た時、陽介だけが迎えに来る。
彼の「おかえり」って言葉は、素直に信じよう。
闇に酔うのは、物語の中だけでいい。
寂しさにひたるより、人を素直に信じていた方が、あったかい。




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