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ペルソナ4ゴールデンやってみた・7

【キツネと感謝の心】

今回は、隠者コミュの担い手、神社のキツネの話。

主人公は「絆の力~コミュニティ」を育むことによって、新たなペルソナ能力を発現できる。
つまり、たくさんの人と仲良くなりなさい、ということ。

コミュのカテゴリはタロットカードのアルカナにあてはめられており、それぞれのキャラで背負った人生のテーマがアルカナに沿っている。

神社に棲むキツネは、9番隠者のアルカナである。
主人公が住む町の鎮守様、辰姫神社は、鎮守様なのに寂れてしまっている。
昼間は子供が遊ぶのどかな場所だが、拝殿の劣化が激しく、修理が必要な状態。
でもお金がないので、どんどん廃れていくありさまだ。
そこで、キツネ(メス)は、お賽銭を集めて神社を復興させようとしているのだ。
神社の神主ではなく、なぜかキツネ。密かに棲む者だから「隠者」というわけ。

主人公は、ゴールデンウィークの暇な日に、たまたまその神社を訪れ、キツネと出会う。
キツネは山で採れる万病に効く葉っぱを持っていて、これで主人公達のSP(魔法を使う力)を回復させる代わりに、たまに訪れる参拝客の願いを叶えろと言う。
動物なので厳密にはしゃべっていないが、そんな意を汲み取った主人公は、絵馬に書かれた願い事を叶えるために奔走するのであった。

この願い事、実に適当なものが多い。
「おやつが嫌いになりますように」とか、どうしろというんだという願い事もある。
しかし、愚痴ひとついわず、主人公は町内を奔走して願い事を叶えていく。
問題が解決した人は、「辰姫神社にはご利益がある」と思いこんで、たくさんお賽銭を投げていくのだった。
こうして、たくさんお賽銭が溜まったおかげで、神社は昔のように盛況になりましたとさ。
めでたしめでたし。

…まあ、こういうオチなんだが。
このコミュエピソードで気になったのは、感謝の気持ちって大事だな、ということ。

願いが叶ってお参りしに来た人は、それが全部神社の神様のおかげと信じている。
でも本当は、主人公の尽力と、問題解決に向けて努力した本人の力があってこそだった。
片思いを通じたい、友達がほしい、口下手を直したい、ネコ好きになれますように…。
今までぐるぐる悩んでいた問題が、主人公と接することで解決のきっかけになった願い事も多かった。
中には、「財布を落としたので見つからない」「海の主をひと目見たい」という、本人は何もしない他力本願もあるが、誰にも相談できないので絵馬に書いて問題解決のための努力をした、という努力は認めるべきである。
どんな小さなことでも試してみる価値はあるってことだ。

けれど、ご利益があると聞きつけて次々訪れる参拝客は、どこか乱暴に見えた。
「神様、私の願いもかなえてください…ガチャン(お金を投げ込む音)」
この様子を見ている主人公=プレイヤーは、内心「いや、もうないから。自分でやって」と思っただろう。
キツネの願いをかなえた時点で、もう主人公が他人のために奔走することはなくなったのだから。
神様は何もしなかった。願いを実現したのは、主人公達、人間だった。
これを見てると、ペルソナ4ってゲームは、ゲームを通じて大事なことを伝えているなあと、しみじみ思う。

昨今の占いとスピリチュアルブームで、何も知らない人達が現世利益のために聖地を汚す行為――パワースポット巡りが流行っているけど、あれはやめた方がいいと思う。
願い事は、神様に祈れば祈るほど実現が遠ざかる。
神社で売ってるお守りの類は、ただのグッズだ。どこかの業者が製造しているもので、単なる物に過ぎない。

お賽銭をあげたから、お守りを買ったから神様が味方についてくれる、という根性は卑しい。
以前、蒼雪の母さんが、100円ショップで買ってきた「開運ブレスレッド」を蒼雪に渡そうとした。
子供の幸せを願う親心は身にしみたが、蒼雪は丁重に受け取りを断った。
幸せは、お金では買えないものだ。
しかし、それでもなんとかラッキーを得ようと、特売のように安く済ませようとする「わらしべ長者」的な考えが切なくて、わが母親ながら嫌でもあったからだ。
もちろん、そのアイテムで幸運になどならない。

ここで言いたいのは、お守りやパワーストーンの真偽や値段の高さではなくて、「感謝こそが信仰」ということだ。
本当に神様が宿る神社のお札っていうのはないと思う。
神様は本人の心に宿っているので、目に見えない。お札やお守りは、感謝を捧げる神の依り代として御祭りするのが起源だったのではないだろうか。
でもこの世で生きて行くのは苦しいから、人々はすがるものが欲しくて、多種多様な願いを叶える神様を作りだした。
「こうなりたい」という悩みを、願うという行為で吐きだしているのだ。
これは一種のカウンセリングに近い。神主や住職は、地域の人の相談役をしていたこともある。
そういう行為は、あってしかるべきだと思う。悩みを相談する人がいないと、みんなウツになるし。

神様の存在定義についてはわからないけれど、今まで友人などから見聞した意見を通して気づいたことは、「神様は居るだけで神様」ということだ。

わかりやすいところでは、以前別の記事で紹介したゲーム「大神」が挙げられる。
これの最後のボス戦で、天照大神の化身であるワンコが、ボスに勝てなくて苦しむシーンがある。
しかし、天照と友達になったコロポックルのイッスンが、地上の人達に神様(天照ワンコ)に感謝をするように言って回るのだ。
「苦しい時の神頼みじゃあ、神様が可哀想だ。たまには神様をねぎらって、感謝の気持ちを捧げようじゃないか…。それが本当の祈り、信仰だ」
ここで、このシーンを見ているみんなが泣いた。心の中で「そうだそうだ」とうなずく誰かがいる。
天照は、地上の人達の祈りを受けて力を取り戻し、秩序を乱す災厄を滅ぼすことに成功する。
これを見て、なんとなくみんな、神様ってのがどういうものか無意識に悟ったんじゃないだろうか。
神様は、人間の努力で解決できる悩みを叶えている場合じゃないんだよね。
けっこう裏で頑張ってる存在、という感じがする。
だから、ペルソナ4で神社に来た人がお賽銭を投げる音は、まさに「相手の顔に叩きつける音」に聞こえた。
ペルソナ4をやる以前から、幸いにも神社で我良しの願いを祈る間違いに気づけた蒼雪である。
改めて彼らを見て、今までの無知を恥じた。それまで蒼雪も、彼らと同じく、神様が何でもしてくれると信じて、願いを押しつける考えだったから。

かといって、信心しないということじゃないのだ。
上で述べたように、神社仏閣の信仰は、人々の精神安定のために大切だと思う。
大切なのは、ただ、感謝。
~が欲しいと願うのではなくて、こうして生かされていることにありがとうと思うこと。
神社も仏像も、そのための窓口みたいなものだと思う。
お守り代やお賽銭は、その維持費なんだね。

神様は大事にという気持ちで見てみると、シナリオ的にどうかと思ったマリーも、かなり意味深くなってくる。
主人公達は、彼女がただ可愛いから大事にしようとしてたのではなくて、本来の彼女が大なる母神イザナミ命だから、と考えると、なんか納得できる。
彼らの働きで根源的な愛の力を取り戻したマリーは、その後、人と暮らしながら言葉で人間を勇気づけている。
いたわりの心の反射だ。興味深いね。




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