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ユネスコ加盟記念日


ユネスコ加盟記念日
 1951年(昭和26年)7月2日、日本がユネスコ(UNESCO:国連教育科学文化機関)に加盟したのを記念して設けられた日です。
 ユネスコは、教育・科学・文化を通じて、各国間の協力を促進し、世界の平和と安全に貢献することを目的として活動を行っているそうです。

 ユネスコは、日本語では、国際連合教育科学文化機関と呼ばれ、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的として、1945年に設立された国際連合の専門機関です。
 英語の正式名称は、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationであり、その頭文字をとってUNESSCOから、ユネスコと呼ばれるようになりました。
 本部は、フランスのパリにあります。
 ユネスコは、共に生きる平和な地球社会の実現をめざし、官民協力によるさまざまな活動を行っているそうです。
 これは、第二次世界大戦が終わった1945年に、人類が二度と戦争の惨禍を繰り返さないようにとの願いがこめられているそうです。
 理念としては、教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないというものであり、ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」との文言があります。
 これは、ユネスコ設立の目的とその精神を顕著に表しているといえるでしょう。


活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定めており、それに基づき例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、後者については世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全する世界の記憶事業などを実施している。
 ユネスコの目的に対する各国の関心は高いのは、加盟国が2005年4月現在において、191ヶ国を数えるところに現われているといえるでしょう。
 日本は1951年に60番目の加盟国となりましたが、日本は国際連合への加盟が認められた1956年よりも前のことでした。


 1980年代にはマネージメントに対する不満などからイギリス、アメリカなどの大国が相次いで脱退(それぞれ1998年と2003年に復帰)したが、復帰までの間、日本による財政支援がユネスコ存続に大きな役割を果たしたそうです。


 日本がユニスコに加盟するきっかけとなったのは、全国規模の民間運動でした。
 日本が敗戦の荒廃と混乱のなかにあった1945~46年当時、「心の中に平和のとりでを築こう」という憲章を掲げてユネスコが誕生したという報道は、多くの日本人に復興への光明として受け止められました。
 ユネスコ憲章の趣旨は、当時の日本の人びとの心に共鳴し、行動を起こさせたといわれています。やがて、それは、仙台ユネスコ協力会を発足に至り、世界で最初のユネスコ協力会(後のユネスコ協会)の誕生でした。
 これは、世界初の民間ユネスコ協会を意味しました。
 その後日本全国にユネスコ協会が設立され、1948年には50を数え、翌年には70を数えるまでになりました。
 これがきっかけに、仙台ユネスコ協力会は、ユネスコのジュリアン・ハックスレー事務局長にあてて、「戦争を拒絶し、平和をもりたてる運動は、国家の指導者や少数の人びとに委ねることなく、心に平和のとりでを固めた人びとによって広くすすめられるべきだ」とのメッセージを送りました。
 この手紙は世界中で大きな反響を呼び起こし、第2回ユネスコ総会では日本の民間ユネスコ運動が紹介されたそうです。
 こうしたいわば国民的期待の中、1951年7月2日、日本は第6回ユネスコ総会で60番目の国としてユネスコ加盟を果たしたのでした。

 ちなみに、ユネスコのシンボルマークは、世界遺産に登録されている「アテネのアクロポリス」(文化遺産・ギリシャ)のパルテノン神殿を形どったものだそうです。
 パルテノン神殿にまつられているのは、アテナイの守護神、アテナ・パルテノスであり、この女神が“智の神”であることから、憲章のなかで「人類の知的・精神的連帯」をうたうユネスコのマークの図案に採用されたそうです。




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