第三十八話バスの故障は当たり前(世界半周旅行記)
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2009/07/04 19:35:12
冒険を夢見るすべての人にささげる世界半周旅行記
第三十八話 バスの故障は当たり前
(前回までのあらすじ)
島の裏手にあるBweijuuというところに行きました。
そこは、エメラルドブルーの海が広がっています。
砂浜に椰子の実を埋めては、数日後にそれを取り出し
皮をむいて繊維をたたいて麻を作っていました。
魚を釣っては食事にする生活。
(7月2日)
朝2時出発のバスでTownに戻ります。2時にバス停に行ったら、あらら、バスが出発した後でした。
がっかりしましたが、少し歩くと、バスが人を乗せるために止まっていました。
どうやら、昨日のモザンビークから踊りに来ていた人たちを乗せるためだったようです。
でも、バスの中は満員でしたので、屋根の上に登って席を確保しました。
屋根の上は荷物を置けるように手すりがついているので、落ちる心配はありません。
でも、道路にせり出している椰子の葉やシュロの葉が攻撃してくるので、そのたびに頭を下げて
攻撃をかわさなければなりません。
午前3時半頃、丘の上でバスが止まってしまいました。セルモータは回るのですがエンジンが
かかりません。
運転手さんは、バスを、押しがけしようとする始末です。
これじゃあ、埒があかないと、日が昇るまで道ばたで寝ていました。
起きてから、近くの村まで歩きました。途中、自転車に乗っている人に乗せてもらいましたが。
トラックが2台通り過ぎましたが、乗せていってはくれませんでした。
お昼頃、修理のプロを乗せた車が通りすぎて、バスの方に向かっていきました。
それから1時間ほどして、バスがやってきました。
おかげで座ることもできました。
バス料金は100シルですが、地元の人は修理代として、さらに100シル、外国人は
500シルと言われました。
プロフェッショナルを呼んだんだから、当然とのことでした。
(7月3日)
今日は、sikukaa kubwaの休日だそうで、誰かの誕生日なのでしょうか。
朝、ダウ船があるかと思って、船会社に行ってみたけど、休みだそうです。
お昼は、宿の招待で、ご馳走をいただきました。ビリヤニ、ピラウでおなかいっぱいです。
夕方、日本人バーに行ってきました。ここは、からゆきさんの住んでいたところだそうです。
からゆきさんって、人の名前じゃないですよ。
ザンジバルという島は、二つ有名なことがというか、悲しい歴史が二つありました。
一つは、奴隷市場で、アラブの奴隷商人が東アフリカ全域より捉えられたアフリカ人を
ザンジバルに運んできて、奴隷市場を作ったんだそうです。
奴隷貿易が廃止された以後も密貿易の形で奴隷貿易は続けられていたそうです。
もう一つは、からゆきさんです。
からゆきさんとは、日本から諸外国に売春のために売られていったご婦人達のことです。
1894年、日本人として初めてザンジバルに訪れたのは他でもないこのからゆきさん達だったそうです。
一番多いときには、十数人いて、つい50年前くらいまでここで暮らしていたそうです。
夜、広場に行ったら、屋台がたくさん出ていました。日本の夜店みたいな感じです。
イカ焼きとかを食べました。見せ物小屋とかディスコとかもありました。
(7月4日)
今日は、高速ドルフィンで帰ろうと思っていましたが、宿の人にそのことを言うと、
船はないと言い切ります。
どうやら、昨日の朝、出向直後にドルフィンが故障して、直るのは2日後だろうとのことでした。
まあ、ダウ船があるからいいかということで、港に行きました。
港に行くと、協力隊の日本人に会いました。
毎日プリズン島に行っているそうです。プリズン島とは、逃げだそうとした奴隷が監禁されていた島です。
一緒に行かないかと誘われましたが、あちこちのビザをとるために、ダルエスサラームに戻らなければならないので、あきらめました。
ダウ船は、波が高くて少し揺れていました。まあ、することもないので、軽勝太シリーズの
物語を書いていました。
(第三十九話につづく)
バスは満員で、屋根の上に乗って移動しました。
椰子の葉っぱが攻撃してくるのを避けながら...
途中バスが故障し、12時間ほど修理待ちでした。
修理が住んだら、修理代を乗客から集めていました。
お祭りをみて、イカ焼きを食べて満足。
ダウ船に乗って、タンザニアに戻ってきました。
次回、「第三十九話 マコンデって靴墨なの」をお送りします。
乞うご期待。
場所の認知が上手くいってなくって、「唐(から)」「行き」さんなの?
毎回手作りですから、実はストックはなかったりするんですよ。
tottocoさん
南の島のヒロさんもご自分のブログで書かれていましたけど
フィリピンでも、修理代は乗客持ちのようです。
ジュネさん
インドでも、屋根の上に乗る人はたくさんいます。
よく落ちないものだと感心しています。
亀吉さん
日本では、信長か秀吉の頃に奴隷売買制度が禁止されましたが、
最後まで続いていたのが、アメリカだったようです。
まーちさん
はい、唐行きさんと書くそうです。
ここと、後で出てくるソロモンで、日本の歴史を知ることになりました。
みかん☆さん
えーと、修理のスペシャリストを呼んだんだから
費用を持つのは当然だろうという理屈でした。
みんな納得していたから、むこうでは、それが普通なんじゃないかな~
こちらならバス会社が市民に怒られてしまうと思いますが、国によって違うのですね( ̄□ ̄;)
奴隷・・からゆきさん・・人間というのは歴史の中で、とても愚かで怖ろしいことを繰り返してきたのですね・・・
「から」って「唐」かな?
遠い遠い国で日本のことを知る旅ですね。
手足鎖を付けて、船底に放り込んではこんでいたんだよね。
からゆきさんは、シャムあたりまでは知っていたけれど、
なんで、遠いアフリカまで連れていかれたんでしょうか?
で、島が、そのままプリズン島って呼ばれているんですね。
文化の違いなのでしょうか・・・
公営というか・・・ボランティア感覚なのかなぁ?
船のなかで物語書くなんて・・・( ̄▽ ̄lll)
今から、約束あるから、あとで戻ってくるね♪