亡き祖母をサクッと語る記事。
- カテゴリ:日記
- 2012/08/22 19:58:03
8月12日12時30分ごろ、うちの父方の祖母である英子(仮)が急死しました。
享年93歳、死因は誤嚥による窒息死(カルテ上はあくまで『誤嚥性肺炎』)でした。
生前の英子の性格は、んー、一言で言うと「超保守的で超臆病」かな?
孫たちが持ちこむ新しいもの・見慣れないもの(マンガとかゲームとかTVのバラエティー番組とかアイドルとか)を、一度は頭からけちょんけちょんにけなして排除しないと気が済まない性格で、それが自分の生活圏内を侵食しないものだとわかると今度はシカトモードに突入する人でした。
基本的に内向きで、自分の周りを自分のお眼鏡にかなったもの(瀬戸内寂聴さんの著書とか源氏物語の朗読テープとか山野草の写真集とか)で固め、そこから滅多なこっちゃでて来ない人でした。
唯一と言っていい外界との接点が『旅行』で、特に北海道が好きでした。
だから、あじゅみが中3~専学で2回目の2年生やってた頃、親父は夏になると毎年のように北海道に家族旅行に連れてってくれましたよ。
うちは車運転できる人が一人もいないので(親父と母は免許持ってます。が、運転はできません。英子がきつ~~く反対してたもので。ついでに言うと、あじゅみ家には自転車に乗れる人もいません。これもちょっとでも自転車で怪我すれば英子が延々と苦情と嫌味を言うのでめんどくさくなって誰も乗らなくなった、というのが真相です)、毎回地元のタクシー会社に事前に連絡してワゴンタイプのタクシーを借り切り、・・・あの数年で北海道はほぼ行き尽くしたと思う。。。
ツアー使って利尻・礼文島にも行きましたし、何せタクシー借り切りなのでちょっと行きにくいような秘境?にも行きましたよ。
あじゅみが初めて京都になんちゃって一人旅に行くときも、ものすっっっっごく反対されましたな~、そういえば。
海外一人の時は言うに及ばず、です(^^;
(ここだけの話ですが、「海外旅行に行くような、そんなあばずれに育てた覚えなんてないよ!!」と言われましたよ(^^;)
骨折が原因で寝たきりになり一気に痴呆症が進行してきたここ数年は、現状認識が全くできず、意識は学童疎開の班長をしていたころに戻ってしまっていました。
そして、・・・まあ昔からそういう感じはありましたが、自分から欲求を出す(お腹空いたとか喉乾いたとかおやつ食べたいとか)事がなくなり、代わりに、ナースベルで呼びつけた家人に「●●ちゃん(学童の生徒さん・・・らしいです)がお腹すいてるっていうんだけど、ご飯が全くないの」とか言っていました。
呼びつけられた家人が私や母だった場合、「あーそー。じゃあご飯にしましょうか」とか言えるんですが、たまたま呼びつけられたのが親父だった場合、親父が8割方きついこと言うので、石のように黙りこんでしまうのです(^^;
で、今年に入って痴呆と暴言がますます酷くなってきて、おまけに右手に原因不明のまひが出てきて一人で食事することもままならなくなり、「最期まで家で診取ってあげたかったけどもう無理だ」ということで、同じ区内にある介護施設に入所しまして、私も何度か様子を見に行ったんですが、ここ2カ月位は私が孫であることも分からなくなってしまい、酷い暴言を浴びせられることもしばしばでした。
まあ、でも本人も大好きだった家から離され見知らぬ他人と同居する生活がストレスだったんだと思います。
エンバーマーの人に死化粧してもらった最期の顔は奇麗でしたよ。
きっちりご供養してもらったことだし、お寺さんに立派な戒名もつけていただきましたし、きっとあの世でじいちゃんにも会えたと思います。
ばあちゃん、あっち側に行っても元気でね・・・・・・・・・。
あ、それともう一つ。
ハワイ一人旅なんですが、私はキャンセルする心積もりだったんですが、今日親父から電話ありまして、今回の事はあまりにも突然で予測できなかったし、49日法要に間にあわないのはまずいけどその前に戻ってくるんだったら行ってもいい、と言われました。
正直複雑ですが、ハワイはばあちゃんがまだはっきりしていた頃唯一行きたそうにしていた海外の都市なので、ばあちゃんの念を連れていくつもりで行ってきます。
わざわざコメントありがとうございます(深々)。
93歳、うちの親族の中では一番のご長寿でした。
ええ、献身的に祖母の介護をしていた母には、本当に頭が下がります。
祖母が骨折して寝たきりになってから数年、母は愚痴一つ言わず祖母の介護と家人の世話を引きうけていました。
私が家にいたころは、メシ作ったりとか洗濯とか、一部の家事は私も手伝っていましたが、
祖母の介護は基本任せきりで・・・・・・・・。
もっと私にできる事はなかったのか、母の苦労を少しでも肩代わり出来なかったのか、
考えこんでしまいます。
まだ49日前なのでやることも多く、母も父も気が張った状態だと思います。
今週末の連休はヘルプで実家行くので、その時に少しでも孝行出来たらと思います。
コメントは控えさせていただいていました。
お婆さま、93歳でしたか・・・。長寿も仁徳の一つと言うことで。
そして何よりも、お母様に宜しくお伝え下さい。
私は「嫁」という言葉をリアでは多用しますが社会的概念としては全く認めてませんし
そんなつもりもありません・・・が、私の世代レベルでの「長男の嫁」らしいことは
それなりにやっています。
でも、紫織ちゃんのお母様が安曇家に嫁がれて以来、保守的で厳しいお姑さんと
ずっと同居して、認知症が進む中もずっとお世話をなさったことに対して・・・
・・・本当に頭が下がります。
いやもうね、私も2年前ぐらいから舅と実母のプチ介護っぽいイロイロが始まって
ちょっとばかりしんどかったりしてるので、尚更身に染みて感じるんですがね・・・。
私なんてもう全然、プチ介護よりプチな内容なんだけど、それでもそれなりにキツいのでね~。
お母上は本当にご立派だったっす(>_<)!
大切なご家族を失った後は、周囲のご家族に不調が現れたりしやすいので
どうか皆さん、心身ともにお元気にお過ごし下さいますよう。
改めまして、かなた様のおばあさまのご冥福をお祈りいたします。
あ、やっぱ戻っちゃいましたか。
これはやっぱり仕方ないことなのかも知れませんね。
>ハワイ
あい、祖母の写真と共に行ってまいります。
>喪服
うちの場合、冬場に法事、というのがほとんどで、
(ぶっちゃけ、夏場に法事は祖母が初です)
デパートに走って夏物買いましたよ、今回。
ただ、七部袖じゃなくて長袖だったんで、生地が薄いとはいえ暑かったっす。。。
個人的には、うちの伯母が着ていたパンツスーツタイプが欲しかったんですが
これだとシルエットがメンズライクになりすぎますかね?
一応、年と性別考えてなるべくフェミニンなもの選んだつもりなんですけどね^^
でも、アドヴァイスありがとうございます❤
やっぱり女学校の頃に戻ってましたね。
ハワイ、おばあさまきっとお喜びになりますよ。
喪服、薄い七分袖で洗えるものが売ってますよ。
うちは法事がどういうわけかほぼすべて夏でして、合物のフォーマルは全くもって出番がありません^^;
このタイプはわりとフェミニンなデザインなので、冠婚葬祭ほぼオールラウンドです。
体も楽ですので、一枚お持ちになってもいいかもです。
いや、私は何もしてないから。
ホントにお疲れ様なのは親父と母だよ。
でもこの暑い中長袖の喪服着て、
会ったこともないようなばあちゃんの兄弟姉妹に愛想笑いしてるのは、
正直しんどかったけどね。。。
うん、ちょうど2週間くらい前から食事が刻み食からペーストになったから、
余計詰まりやすかったんだろうね。
私も時々気管の方に細かいもんが行っちゃって、
盛大にむせかえることあるから、
ばあちゃんだったらなおさら、だよね。
うん、強烈に個性的なお方でした(^^;
>学童の班長さんの頃にもどっちゃった
母曰く、多分一番貼り切っていた頃のことだから一番覚えているのではないか、と。
うん、今・・・っていうか現実の事と過去がごっちゃになっちゃう感じ。
>ダメだし
されてる気がする。さっき連続でくしゃみでたしwww
ハワイには写真持ってくつもりだよ。
奇麗な景色とか見せてあげたいしね。
なんか天国でじいちゃん相手にぼろくそに言ってそうな気が。。。
で、じいちゃんが苦笑して止めてる感じ(^^;
年をとると食べ物が気管に入りやすくなるし
入っても出す力って弱くなってるからね。。。
私だって年々、気管に食べ物入り易くなってる気がするもん
まして93歳じゃ~続けて咳をするのも大変だものね
かなり個性的なお祖母様だったのね^^;
学童疎開の班長をしていたころに戻ったってのが面白い
痴呆症って昔の事はめちゃ覚えてるみたいだよね
今したことはすぐ忘れるけど・・・
今度は旦那様と天国であじゅみ~にダメ出ししてるかもね
ハワイにはこっちょり写真でも持って行って景色とか見せて
あげるといいよ!
天国から「そんなあばずれに育てた覚えなんてないよ!!」って
聞こえてきそうだけどね( 艸`*)ププッ