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特殊潜航艇の「P基地」 (2)


http://blog.goo.ne.jp/yoshi0749 のブログより

終戦時の甲標的丁型(蛟龍)編成

部隊名      艇数     配備地   
第一特攻戦隊    4      下田
第五特攻戦隊    7      佐伯
第六特攻戦隊    24     橘湾
第八特攻戦隊    4      鹿児島
第十特攻戦隊           佐伯
第101突撃隊   6      
第102突撃隊   6  
奄美大島隊     1  
舞鶴突撃隊     6  
大浦突撃隊     104  
小豆島突撃隊    29

水産海洋技術センターに至る道路沿いに残っているコンクリート塀は当時のものである。 水産海洋技術センター手前で一旦途切れて、構内に続いているように見える。

 

蛟竜(こうりゅう、蛟龍) は、大日本帝国海軍の特殊潜航艇の一種。甲標的丁型が正式名称であるが、一般にはこの名で知られる。

それまでの戦訓で指摘された行動力不足を改善するため甲標的を大型化してエンジンを搭載、航続距離と乗員数を増やしたタイプであり、波号潜水艦よりもさらに小さい、最小型の通常動力型潜水艦となっている。ただし居住性を考慮すると連続行動時間は乗員の体力の消耗などから、3日程度が限度といわれる。


決号作戦(本土決戦)における日本の「切り札」すなわち水中の特攻兵器(但し、攻撃手段は体当たりではなく魚雷)と期待されて1000隻の建造が目標となり、全国各地の造船所などで最優先で建造される予定だった。量産型の完成は1945年に入ってからであった。しかしながら、後に海龍や回天の増産も行われることになり、蛟竜の生産数を抑える形となる。終戦時には約150隻の蛟竜が完成して各地への配備を完了しており、さらに約460隻が建造中であった。


蛟龍の運用部隊としては蛟龍隊や突撃隊が編成され、各地に配備されたが、ほとんど実戦は経験していない。3隻だけが沖縄に進出し、甲標的とともに沖縄戦で出撃をしたが、戦果は研究中であり、はっきりとはしていない。本土決戦では、機動特攻用の第10特攻戦隊などで運用されるはずであった。



新海軍」での再採用案:敗戦後、吉田英三らが構想した「新海軍」では、旧海軍艦艇ないしその準同型艦の再建造が幾つも企てられているが、蛟龍もその中に含まれていた。準特攻兵器のイメージが強い「特殊潜行艇」という艦種名を避け、「局地防備艇」という艦種名を新たに与え、「蛟龍隊」を60隻10隊整備する計画であった。


全長:26.3m(終戦時のものは26.15m)
全幅:2.0m(終戦時のものは2.04m)
排水量:水中60t(終戦時のものは60.2t)
最大速度:水上8kt、水中16kt
水中航続距離:231km(125海里)/2.5kt
水上航続距離:1850km(1,000海里)/8kt
乗員:5名
兵装:45cm魚雷発射管×2、三式魚雷×2

 


水産海洋技術センターに至る道路の山側にも、建造物らしきものの残骸があります。

 

 




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