Nicotto Town


観光列車から、日々利用の乗り物まで


倉橋島大浦崎「P基地」 (3)


ブログを覗いてくださいね→ http://blog.goo.ne.jp/yoshi0749


水産海洋技術センターを含むこの一帯には、第二次大戦中に特殊潜行艇の工場や搭乗員の訓練基地(P基地)が置かれていた。倉橋島大浦崎(P基地)には呉海軍工廠の分廠があって、「蛟竜」を建造していた。

 同じ特殊潜航艇でも、真珠湾を攻撃した艇は「甲標的」と呼ばれており、搭乗員は2名、艇には充電のための発電装置がなく、蓄電池の容量のみに頼るため航続距離が短かかった。その後、「乙型」「丙型」と順次改善が図られ、昭和19年5月には「丁型」の試作一号艇が完成、20年5月には「甲標的丁型」は正式に特攻兵器として「蛟竜」と命名され制式採用された。各海軍工廠、民間造船所を総動員して大量生産の実現を図ったが、資材の不足や構造が複雑なこともあって建造はなかなか進まなかったようである。

 「丁型(蛟竜)」はこれまでの「甲標的」にくらべて性能は大幅に改善された。搭乗員は5名となり、デイーゼル機関と発電機を搭載したため、停泊中、航行中の充電が可能となり、最大5日間の連続行動が可能となった。ただし「蛟竜」の艇内は、いままでの「甲標的」と同様非常に狭く、5人の搭乗員が5日間も寝起きする余裕がなく、3日間が限界だったという。

 「蛟竜」搭乗員の訓練は当初すべて大浦崎「P基地」で、艇長、艇付、機関員、整備員に分かれて行われていた由であるが、特攻兵器として有力視されるにつれその人数も多くなり、「P基地」だけでは手狭になり、海上約六キロ離れた大迫の「Q基地」が講習員の宿舎に使用されるようになった。

水産海洋技術センターの正門前から左に進むと、山側に非常用発電機室の遺構が残っています。 表面はモルタルで被われているが、内部や外壁断面を見ると煉瓦が確認できます。

 

アバター
2012/08/30 19:46
ここにすいません。

団子10個売ってくれてありがとう。ww



Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.