備中高梁駅 伯備線
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2012/09/05 04:59:49
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備中高梁駅(びっちゅうたかはしえき)は、備中松山城の城下町高梁市の玄関駅。備中松山城は現存する天守閣のうち最も高所にある城で有名です。
複線区間の終端で当駅以北は一部区間を除いて単線区間であり、岡山方面からの普通列車は約半数が当駅で折り返す。岡山方面から続くICOCA(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)利用エリアも当駅までであり、新見方面はサービスエリア外で利用できない。
以前より特急「やくも」が一部停車していたが、2008年(平成20年)3月15日ダイヤ改正で全列車が停車するようになった。寝台特急「サンライズ出雲」は通過するが、利用促進協議会が停車実現に向けてサンライズ利用のツアーを企画するなどの取り組みを行なっている。岡山県高梁市旭町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)伯備線の駅です。
備中松山城:松山城(まつやまじょう)は岡山県高梁市内山下にあった山城である。別名、高梁城(たかはしじょう)。国の史跡。日本100名城。四国の愛媛県松山市にあった松山城 (伊予国)との混同を避けるために、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ぶ。
城跡が国の史跡、江戸時代に建造された天守などが国の重要文化財に指定されている。城のあった臥牛山は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の御根小屋から約1,500m、1時間ほどの道のりの山道を経て至る。江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓に御根小屋という御殿を構え、そこで藩主の起居・藩の政務を行った。
現在は城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が国の重要文化財に指定されている。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存する。日本三大山城の一つとされる。御根小屋の跡地には高梁高校がある。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。主要駅らしく天井の高い木造駅舎です。大正15(1926)年6月開業時の風格のある駅舎は全面的に補修が施されているようす。立派な車寄せもあります。
待合室にはコンビニ型キオスクが営業しています。倉敷側複線・新見側単線の行違い可能駅でもある。
駅舎は単式ホームの1番のりば側にあり、島式ホームの2・3番のりばへは古い跨線橋で連絡しています。
直営駅であり、新見駅管理下の地区駅として、地区駅長が配置されている。
みどりの窓口と改札口があり主要駅らしく自動改札機は開閉式のものが設置されており、改札外にはICOCA入金機も設置されています。
備中高梁駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■伯備線 下り 新見・米子方面 特急含む
2 ■伯備線 下り 新見・米子方面 特急を待避する普通列車
上り 倉敷・岡山方面 当駅始発の普通列車
3 ■伯備線 上り 倉敷・岡山方面 特急含む
下り本線は1番のりば、上り本線は3番のりば。2番のりばは上下共用の待避線(中線)であり、当駅始発の普通列車や、特急を待ち合わせする普通列車が使用する。
構内裏手、倉敷方東側には留置線も敷設されていて、夜間滞泊が設定されています。
また、構内裏手には運輸会社の倉庫とホーム跡が見られますが現在は駐車場として利用されているです。
以前はJR神戸線・西明石駅直通列車がありました。
城下町らしく城郭風の意匠の新しい自由通路があります。
1926年(大正15年)6月20日 - 伯備南線の美袋駅 - 木野山駅間延伸時に開業。
1928年(昭和3年)10月25日 - 伯備南線が伯備線の一部となり、当駅もその所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)7月8日 - ICOCA対応の自動改札機導入(同年9月1日にICOCA導入)。
電報略号 ヒカ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 2,061人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1926年(大正15年)6月20日
備考 直営駅
みどりの窓口 有