倉橋島大浦崎「P基地」 (5)特殊潜行艇クレーン
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2012/09/07 04:41:48
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水産海洋技術センターの南側岸壁には、わずかながら遺構が残っています。なかでも特殊潜行艇釣り降ろしクレーンの脚柱が残っています。その他,古い係船柱がなどもありました。
この一帯には、第二次大戦中に特殊潜行艇の工場や搭乗員の訓練基地(P基地)が置かれていました。
水産海洋技術センターの南側岸壁には、わずかながら遺構が残っています。なかでも特殊潜行艇釣り降ろしクレーンの脚柱であるが残っています。その他古い係船柱がなどもありました。
特殊潜航艇とは、敵海軍の泊地襲撃や、工作員潜入などに使われる軍用潜水艇・小型潜水艦。ミゼット・サブマリン(Midget submarine)とも呼ばれる。日本の甲標的をはじめとして、世界各国で製造・運用されました。
甲標的は大日本帝国海軍(日本海軍)において最初に開発された特殊潜航艇です。兵装として魚雷2本を艦首に装備し、電池によって行動する小型の潜航艇である。後に発電用のディーゼルエンジンを装備し、ディーゼル・エレクトリック方式となりました。
当初は洋上襲撃を企図して設計されたが、後に潜水艦の甲板に搭載し、水中から発進して港湾・泊地内部に侵入し、敵艦船を攻撃するよう戦術が転換されました。初陣は1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃です。甲標的は艦載機のように依存性の強い兵器であり、基地や母艦を必要としました。これは電池の管理や、魚雷の整備など、艇の人員単独では維持することが難しいためです。搭乗員のほかに整備員が必要であり、ラバウルでは現地の技術士官が整備にあたっていました。ガダルカナルでは千代田が支援に当たっています。甲標的は潜水艦というよりは航空機に近い性格を持つと評されていました。
甲型
1940年(昭和15年)より量産艇1号機が完成、全52隻。開戦時にはおよそ20隻が完成していました。シドニー襲撃艇はハワイの戦訓から艦首に防材乗り越え用のソリを装着するなどの改良が加えられています。
全没排水量:46t
全長:23.9m
全幅:1.85m
主機:600馬力(電動機)
最大速度:水中 19kt
水中航続距離:80分/6kt
乗員:2名
兵装:45cm魚雷発射菅×2、九七式酸素魚雷×2
安全潜航深度:100m