長門本山駅 小野田線
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2012/09/14 08:52:22
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長門本山駅は、西日本旅客鉄道(JR西日本)小野田線支線(通称:本山支線)の終着駅です。モトヤマとは神功皇后が「長門の基いをなす山」としたことからという伝説から由来しています。
所在地は山陽小野田市南端部の周防灘沿いに位置する山口県山陽小野田市大字小野田字三の奈良原です。駅の回りには十分な駐車スペースがあります。駅からは周防灘が望め駅周辺は長閑な住宅地です。十分に九州の企救半島(門司のあたり)が見え、駅前を山口県道354号妻崎開作小野田線が通っています。
列車は朝と夕方しか発着がありませんが、2002年(平成14年)3月22日までは22時台まで列車が設定されていました。駅前に「本山駅」バス停があり、本山岬行きおよび小野田駅、船木方面行きの船木鉄道のバスが1時間に1本程度あります。本来、付近の本山炭鉱で産出される石炭輸送を目的に開業した長門本山駅ですが、炭鉱の閉山、無人化により往時の賑わいはなく、ひっそりと佇んでいます。
旧型国電のクモハ42が2003年3月14日まで往復していた事でも有名でした。最後まで本山支線で走っていたクモハ42001は、戦争もJRの民営化も平成への移り変わりも見事に潜り抜けて、製造から実に70年間もの間走り続けました。
車止めに向かって左側に単式ホーム1面1線のホームを持つ地上駅です。駅舎はなく、ホームに待合所とトイレが設置されています。来た列車がそのまま折り返すだけの構造となっています。石炭輸送の為の多数の側線が設置されていたようで痕跡は在りませんが空き地になっています。また、同じく駅舎の面影が残るスペースもありました。
山口地域鉄道部管理の無人駅であり、自動券売機等の設備はありません。かつては駅舎があったが取り壊され、待合室とホームのみとなっています。プラットホームは最近、スチール製のものが継ぎ足されて延長されました。かつては海底炭田の坑口があり今の路線終端から海岸方向に石炭を山陽本線へと運ぶ為さらに線路が伸びていたとのことです。
1937年(昭和12年)1月21日 - 宇部電気鉄道の路線として現在の本山支線にあたる区間の開業時に、本山駅として開業。
1941年(昭和16年)11月29日 - 宇部鉄道に合併。同時に長門本山駅に改称。
1943年(昭和18年)5月1日 - 宇部鉄道が国有化され、国有鉄道の駅になる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に継承。
電報略号 モト
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 22人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1937年(昭和12年)1月21日
備考 無人駅
* 1941年に本山駅から改称。
徒歩10分ぐらい。旧本山炭鉱斜坑坑口 市指定 平成10年3月23日 山陽小野田市教育委員会
本山地区の石炭の発見は江戸後期の嘉永年間(1848~1853)に遡り須恵村の藤島清兵衛が後の本山炭鉱沖400m付近に石炭の露頭のありことを知り小船を出して毎年夏の干潮時を利用して石炭を採取したという故事による。
明治30年宇部の渡辺祐策は本山炭鉱組合を設立以降、一の山炭鉱、本山炭鉱/株、大日本炭鉱/株、宇部鉱業/株、宇部興産/株、に引き継がれるが地質が悪くガスを伴う出水などの事故により97名の尊い命が失われた。
この坑口は大正6年大日本炭鉱/株が主要運搬坑道として設け昭和16.年に宇部鉱業/株が完成させ昭和38年3月に坑口を閉鎖するまで使用された。
坑道は沖合3キロメートル、最深部約200m、総延長約19キロに及んでいる。形状は鉄筋コンクリート造りで側面は石組み、特徴は坑口の忍び返しである。
当市の工業の基盤となった石炭産業を伝える建造物として貴重なもので昔の面影を偲ぶことができる。