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南小野田駅 小野田線


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南小野田駅(みなみおのだえき)周辺は小野田の市街地、山口県山陽小野田市平成町にあります。駅の西側には小野田港が広がっており太平洋セメントの工場があります。駅の東側には高校や銀行などがある。西日本旅客鉄道(JR西日本)小野田線の駅です。

列車同士の行き違いが出来ない停留所構造で、単式ホーム1面1線の地上駅。小野田方面に向かって右側にホームがあります。ホームへの出入口には簡便な駅舎があり、かつてここに出札口も設けられていたが、無人駅となってからは閉鎖されました。自動券売機等の設備もない。山口地域鉄道部管理。
以前はホームに便所がありました。現在は無くなっています。


1915年(大正4年)11月25日に小野田港駅が開業した時は駅名がセメント町であっただけでなく、位置も今の南小野田駅の位置であった。セメント町駅は小野田鉄道の国有化に伴って1943年(昭和18年)4月1日に小野田港駅に改称。その後、小野田線の雀田駅までの延伸が成った1947年(昭和22年)10月1日に現在地へ移転した。


この移転に際し、旧来の小野田港駅をそのまま「小野田港駅北口」として残したのが当駅の始まり。
1962年(昭和37年)3月15日には南小野田駅として独立し、現在に至る。
なお、「セメント町」は南小野田駅東方に、正式の地名として現存する。


1915年(大正4年)11月25日 - 小野田軽便鉄道が小野田駅からセメント町駅までを開通させ、同時にセメント町駅開業。
1923年(大正12年) - 小野田軽便鉄道が小野田鉄道に社名を変更する。
1943年(昭和18年)4月1日 - 小野田鉄道が国有化となり小野田線とされる。同時にセメント町駅は小野田港駅に改称となる。
1947年(昭和22年)10月1日 - 小野田線の小野田港駅から雀田駅までが開通する。同時に小野田港駅は現在地に移転し旧小野田港駅がそのまま小野田港駅北口とされる。
なお、小野田港 - 雀田間開通と同時に、小野田線は一旦宇部西線に編入されるが、半年後の1948年(昭和23年)2月1日に旧宇部西線区間ともども小野田線に再改称された。
1962年(昭和37年)3月15日 - 小野田港駅北口が南小野田駅として独立する。
1985年(昭和60年)2月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。

「小野田セメント正門前踏切」

電報略号 ナオ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 91人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1962年(昭和37年)3月15日*
備考 無人駅
* 南小野田駅として独立した日付。

太平洋セメント株式会社は、小野田セメントと秩父セメントが合併して出来た秩父小野田セメントと、日本セメントが合併して出来た、セメント業界最大手の会社です。この建物は小野田セメント時代の昭和3年(1928)建設の鉄筋コンクリート構造(RC造)で、もちろん自前のセメントが使用されました。
小野田セメントは日本初の民営セメント会社で、廃藩置県で困窮した士族の授産を目的として、旧萩藩士笠井順八によって明治14年(1881)に設立されました。同じく旧藩士を救う目的で設立された、岩国の義済堂機械製糸工場(現株式会社義済堂)とともに、山口県の近代的工業の始まりとなりました。




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