聞きたい事が山ほどあったんだ。1
- カテゴリ:日記
- 2009/07/09 12:53:08
私は、「憲法前文」だって憲法のうち!
と主張する『超』がつく護憲派。
赤と言われれば赤のリベラル。
なのに兵器好きという矛盾を抱えている、資本主義の申し子。
「戦車に乗れる!」「対戦車ミサイルが見れる」
「大砲演習が間近で見れる!」そんなことにわくわくしつつ、
それでもね、その反対に私は聞きたい事が山ほどあった。
自衛隊の「後方支援協力会」みたいのがあって、
それに参加したのね、昨日はね。そんで大分まで。。。
お互いに理解を深めましょうみたいな感じの主旨。
中途半端な立ち位置のまま、「海外派遣だ、さあ行け!」
そう言われて出て行った自衛隊。
国内での戦費両論も収束せずまま、国民の理解も得られずに、
そして海外からだって低い評価。
その中で彼らは、何をして来て、何を支えにしていたのか。
そして今、なにを思って日々訓練しているのか。
それが聞きたかった。
ここでもう一回言うと、私はねその時に、
「武器は持たずに、スコップを持っていけ!」と思っていた。
現地の「生活者」が喜ぶ事をして帰ってきてくれ!
そう思っていたのね。
戦争の犠牲者は、まずこの日本から出したく無いし、
その次は、世界から出したく無いんだ。
だからね、「武力じゃない貢献の意味と意義」これをね、行くならば指し示して欲しかった。
私はね「自衛隊」って名前のまま、海外に行く、その事例は作りたく無かったんだよ。
曲解に曲解を重ねて出来上がった自衛隊。
ここで「海外に行った」ことは、後々必ず「良く無い解釈」の庇護となってしまうよね。
次は戦いにいかされる日が必ず来るよね。
ドアは開いてしまった。
開けちゃ行けない通路に続くドア。
ひとしきり「この戦車は云々?」とか「この弾道は云々?」とか、自分の興味を散々質問して、満足した後、OBや現役とゆっくりお話し出来る機会に、私は訊いた。
「なにをして来て、何を支えにしていたのか、その時に」
「カンボジアでね」
と、OBは話し始めた。となりで現役自衛官が頷く。
「したことは、道を造った事じゃない。
道を造る技術を伝える事だったんだよ。
機材も道具も、何もかも技術とともに置いて来たらしい。
現地の人の「ありがとう」という感謝と涙に対して、
「もっともっとしてあげたい!」という気持ちと、
「やり残した事がある」という気持ちを残して、
帰国の途に付いたと言う。
機械が壊れたらどうする?中途半端だ。
なんて問題点が、国内でも出たよね。
イラク派遣では、
犠牲者を一人も出さずに返って来た自衛隊だった。
それは現地の人々のおかげだったという。
あぶない場所、そのような情報を詳細に
現地の人は自衛隊にくれていたと言う。
アルカイダだって、同郷の民をそうそう攻撃はしたく無い。
現地の人がタテになり、道を進んだという。
なぜか。。。それは軍事でない支援が、人々への直接的な支援となって、「ありがとう」と思ってくれたから、喜んでくれたから、人々の希望に映ったから。。だという。
その「ありがとう」に対して、やり残した事がある。
そう感じて、退役自衛官は「地雷の撤去」の為に、
カンボジアの地雷源に向かう。
これは象徴的な事だと思う。
日本の阪神の震災の折り、自衛隊への態度には、
人々の「感謝」が感じられない時が多かったという。
「指定された場所」い給水タンクを置こうとすれば、
「もっとこっちに置け!」と住民の一人が怒鳴る。
自分の場所の近くに置けということだったらしい。
全てではないよ、といいつつの言葉だった。
玄海島は、ほんとうに「ありがとう」と迎えてくれたと言う。
だから「もっともっと頑張ろう」そう感じたと言う。
もっと活動をアピールするべきでは?
と私は訊いた。
「軍人が弱い立場の国は、平和な国なんですよ。」
は!と思った。
「そしてね、自衛官はは、いつか解ってくれるその日まで、
黙々と毎日の任務をこなすんですよ。
自衛官が自分を話し出したらおしまいです。
評価を望んではイケナイんです。」
兵器を持たねば対抗出来ない。
核の抑止力、この意識には賛同出来ない。
出来ないのだけれど、そのOB、自衛官には、私は一言も言い返しはしなかった。
なぜならば、カンボジアに行って道を造る技術を教えたのも、
イラクに行って皆から感謝される仕事をこなして来たのも、
私ではないからだ。
ただ、自衛隊のあり方と立ち位置、これをもっと模索したい。
広報の女の子が、迷彩色のあの服を着て、キリッと立ってる姿。
戦車のドライバーの幼顔の男の子。
何にしても、綺麗に映った事には間違いない。
また同じ歴史は繰り返したく無いんだ。
私が望むのは「核の抑止力」なんて不要な世界。
世界平和を、力の限り叫ぶ事。2に続く
この状態であっても、まだモノが言えるといううちに、なんとか「言っておきたい」ですよね。
このままじゃきっと、モノが言えない時代は来ますものね。
うん、一度クリアにして、新たな役割でスタートさせるべきだと思います。
なんで無くなんないんだろうね、戦争。。。
その論文は、私の手元にあります。
読みましたよ。
とてもじゃないけど賛同し難い。
「よく学んでる」と取る方もいますが、どうなんだろう。。。私にはそう思えませんでした。
私もね、印象に残った言葉でした。
中国の「社会主義」は、どのみち「権力争い」からの出発でしたから、
はなから「理念があった」かどうか、私には疑わしきものが在って、好きではありません。
平和で有り得ようはずも無いと感じます。
私も次ぎにいきます(笑
人類の歴史始まって以来、どれだけ理想家や平和主義者が語っても、なくなって無いのが戦争ですわ。
否定して、否定を壊されることの無い力も持たないとアカンのですわ。
確かに中国や北朝鮮などの軍人を観ていると、決して平和な国とは言えないですよね。
他の国でも何かあると軍人や政府軍が出て来て一般人を何もかも押さえつけているのは、
自由でなくて平和でないですよね。
阪神大震災ではそんな事があったんですね。
日本の自衛隊はまだ未知な所が沢山ありそうですね。
自衛隊の事を論文に出して問題になった方(名前を忘れました)が
言っていたことが本当の姿なのかもしれないですね。
次も読まさせてもらいますね。
私ね、この話聞いたとき、泣いたね。
なんか涙が出たよ。
私はなんにもスゴく無いよ。。。
私はクチが達者で、筆が少し達者なだけ。。
中身なんて無いよ。。。寂しい事にね。
そうだったんだ。
自衛隊は、そういう活動をしてきたんですね。
2も、読ませていただきます。
KINACOさんすごいなあ。
いい言葉だと思ったんだ、「軍人の立場が弱い国は平和な国」。
なんかね、そうかぁ。。。と思ったよ。
っと、私も2に移動だ(笑
そうなんですよね、ほんとにそう。
自衛隊に聞くと、「行政側の対応に拙さと、管区が変わる場所であった事が、
連携のマズさを生んだ、悔やまれること」と聞いた。
片一方に聞けば、ほかの話になるんかもしれない。
涙は、目の前の惨事を何も出来ずに見ていなければならない事に対して、だったんでしょうか。
なんだったんでしょう。。。ほんとに。
志って、いい言葉です。
そして「青いまま」持っていきたいと願います、自分にも。
2に移動(笑)
自衛隊の立ち位置、憲法解釈、考えちゃうよね。。。
と、2へ移動ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
でも命令系統で揉めて、実際に動けるまでに随分時間がかかってしまった。
遅いって批判されたけど・・・・
すっかり用意して命令を待つ間、彼らは泣いていたんだそうな。
その涙がどこからくるのか・・・・
形は違っても命に関る職務ってものには、「志」ってものが必要だと思ってます。
父を看取る過程で、医療現場の深部を垣間見た時にも思ったんだよね。
みんな「志」があるから、その仕事を選んだはずなんだ・・・・
その大切な初心を忘れざるを得ないような環境は良くないと思う。
環境を作るのは、運営側であったり受け手であったり
せっかくの「志」が生きるような仕組みがあれば、いつもの議論を繰り返すことも減ると思うけどねぇ・・・・
それでもね、「ガンジー」でありたいとおもっちゃうんですよ。
「スイス」であってもいいと思っちゃうんです。
果たしてね、朝鮮に、その余力があるのか。
ましてそんな事をして、あとでこてんぱんを、解ってないとも思えない。。。
どうなんだろうか。
難しいのはわかっているけど
やっぱり「世界平和」
はやく♡が、書けってことかと、勝手に解釈したのだが?
違ったかもだなぁ。
無防備だからって手加減はしてくれないんだよねー。
世界平和は難しいです。さしあたり暴れん坊な隣国が脅威ですな。
は❤や❤く
げ!
ありがとです!
続くつもりだけど、今日じゃ無さそうだ(笑
今さ、訪問しまくり中。