道具と使いこなし
- カテゴリ:日記
- 2012/09/26 21:57:16
まあ、自分は別に自分が持ってる道具は100%使いこなせないといけない、と思ってるわけではまったくないのです。せっかく改造しまくった車も、知り合いの方が遥かに速く走らせられるのは、思い知ってるしな。トホホ
だから、所有欲だけで道具を持ってても別に気にしない。僕がPCやタブレットを安く買えるのも、次々新しい製品を買ってる人が居るお蔭なのは、間違いないし。ただ、どう見ても自分の持ってる道具に愛着があると思えない時は、嫌な気分になる。
最初から最後まで、まったく素晴らしい所がないと思うので、嫌になったら途中で止めても問題ないです。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11855614
彼らのような使い方なら、バールのような物が一番お似合いだと思う。モーニングスターのコレクションでもした方が良いだろうと思う。道具の使いこなしと、愛情ならこちらの人が素晴らしいと思う。w
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17115508
どちらがより真剣に取り組んでるかは、判らんけどな。試し切りは道具ではなく練度を試されてるのだと言う事が、改めて判ったわ。もっとも、最初に書いたように、誰でも一定以上の練度を持ってないといけないとは毛頭思っていません。何年も真剣に取り組まないとここまではいけない。二回も一刀両断とか、普通有り得ねえ。w 二の太刀に気を付けろとは、まさにこれだな。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13959236
練度が極限に行くとこうなる。弘法筆を選ばずと言うか。やはり、有り得ないだろうな絵柄。小学校のリコーダーの実力を400%以上引き出してるのは、間違いない。w なんかもう、出てくる音があり得ない。w
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1640072
「さすが、さすがにかっくいい!! 俺達に出来ない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!」
って感嘆詞だからな。まじめに解説を書くのは恥ずかしい。w
だから「瞬間瞬間の音」は「ありえなくない」。リコーダーが好きでやってる人は多分こういうのやらないと思うけど。
事前に試して「ここまでは使える」っていう(あるいみ設計上一番苦手な)ところの限界を見切って表現をしているんだと。応用できるって言うか、「そういうつくりになっていないから制御の幅が小さく繊細」なので、「まねをするのが難しい」し、「そもそも曲や目指す表現が楽器の設計に向いてない」wそれでも実現するから凄いし、基本がきっちり出来ているので、本職の楽器の技術をコンバートできている。
楽器の背景に有る演奏される楽曲群がああいう表現を求めていないから、楽器としてそういう実装になってない。
だから、本田さんのアプローチは「その楽器が出来ることの限界を見切った」上で、使えるラインぎりぎりの音をちゃんと制御してみせる本人の技術に優れたところが有る。
多くのリコーダー奏者の場合は「素直に利用したとき」の音の魅力が発揮されるアレンジや、曲を使う。
どっちも「できること」や「得意なこと」を別の方向で見切って、生かす形でポテンシャルを引っ張り出してるのでどっちも優れてると思ったりはする。追い立てて伸ばすか、いいところをほめて伸ばすかっていう違い。
ただ、表現に向いた楽器ってのもあるので、素直にそういう選択をするのがまた別方向の知恵。
基本、「いい楽器」とか「高い楽器」ってその楽器の表現の幅がお値段になってくるのですよね。
だから、一定以上の腕がないと、その差を認識できるところまで持っていくことすら出来ないっていう。
IdleProcessをまわすだけなら、80386でもi7も一緒なように。
だから、「自分が超人」になれないなら「それを使って出来ること、その道具が向いていること」で結果を出すっていうのも相手を見つめ、理解するってことだと思うのですよ。
それをしないで、「ローエンドだから」とか「安物だから」なぁとか、「手足になって使うものをdisrespect」して、自分は少なくとも原点ゼロ以上のもので、何かの壁をその道具に転嫁するのって恥ずかしいと思うし、悲しいことだと思うのですよ。
悲しいかな、出来ない理由なんて、やろうとしてる奴が無能で、何かを動かす力が足りてないからなんですけどね。大抵。
道具に限らず、製作者の手を離れた作品、商品はどんな扱われ方するか判らんもんですよな。だからと言って、ひどい使い方する免罪符にはならんですわ。
すると
ただ、社会として、「リソースは適切にアサインされるほうが効率的」だとは思う。
自分が出来ないなら出来る人にやってもらうのも手なのですよね。
量産効果の頭数として無駄に消費をしてくださる方には感謝いたします(大差がなくてもニッチな評価ボードとかって高いもんなぁ。)が、ヴィジョンをもって道具を手に取ることもまた知恵だと思ったりはいたします。
だって、「別の人ならこんなこと実現できるんだよなぁ」って「気がついたらむなしい」じゃないですかw
幸せであるためには「考えたら負け」で「センスがかけらもなく」ても「Mac選んだ俺はセンスがいい」って思ってる方が生きてくのは楽なんですよ。ハイスペックマシン組み立てて、「こんなすげぇぜ」って威を借りてるほうが幸せでしょうし。いい物を使っている人が優れた人ではなく、実は結果や現実との乖離が大きいほどみっともないことになってしまうのは「気がついてはいけないこと」です。それでなにするの?っていわれたら、よっぽど分厚い装甲がツラになければ赤くなってしまうのがふつうです。
「馬鹿でも使える機械」を作った人は優秀ですが「それに頼らないといろいろなことがおぼつかない」なら「製品が優れていて、選んだ自分が凄い」んじゃなくて「単に適応能力と、思慮が足りない」だけですからw
「使われる」のではなく「使う」側じゃないなら、経済まわしてる以外に存在価値はないんじゃないかとw
それでも「目的があって達成している」なら最低ラインはクリアできてると思いますが、相手を知らないと実現できてるけど非効率で、相手を使えねぇなんていう羽目にもなります。それって悲しいことだと思うのですがね。
リコーダーも波形そのものは素直なので、使いようなんですよね。
特性が違うものなので、たとえば栗コーダーカルテットの演奏とかは、リコーダーの「素直なよさ」が出てる演奏だと思うのですよ。
超絶技巧もひとつのアプローチなのですが、適材適所、その特性を考えて、割り当てることってのも大事だと思ったりはします。