所詮は成果物が大事ってはなしでは
- カテゴリ:日記
- 2012/10/01 23:58:19
素晴らしい調理器具を使って、激ウマな料理を作ろうが。貴重な天然素材を使って...
まあ、化学調味料やフードプロセッサ使ってたって、うまい料理はうまいので、ありがたく頂戴しますですよ。
しかし、成果物を受け取る側ではなくて、作る側からしたら。道具を作った人がアッと驚くような使い方をして、感激させられるならば。さらに善しなのかとは思います。
こんな絵を描ける人が
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9106707
PCでこんなことしてたら
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13934272
たとえ、週に数時間しか使われてないPCであっても結構誇らしく思うんじゃないだろうか。少なくとも、オレならありがたいことだと思う。しかし、この人理系と自己申告してるけど。世の中どうなっとるんか?!
それこそ、高解像度の方眼紙にピクセル単位で起こして、一ドットずつ塗れば誰にでも複写は出来るかもしれないんですが、それは流石に時間の無駄ですし、それを機械でやるようになったのがデジカメだったりするとも。
多分創造的な天賦の才ってのは、どっちかといえば、「ないものを描く」ことかもしれないなぁとは。
そして、普通の人に出来ないことは、道具によって実現するっていうのもまた、人間の進化なんだろうなぁと。
ソフトウェアの内部的な記録方法が違うように、もしかすると映像に対する認識も、ある程度人間によってアルゴリズムも違うのかなぁとは思ったり。
ただ、自分には無理だろうなぁって思うことを目の前でやられるとやっぱり凄いなって思わざるをえませんけどね。
昔の小説に「仏師は仏様を木に彫刻するのではなくて、木に埋まってる仏様を掘り出してるだけ」みたいな話がありましたが。この人も「紙やモニターに埋まってる絵をなぞってるだけ」の域に達してしまってるんでしょうなー。しかし、いくら練習が大切とは言え、この一線を越えられるのは、天から与えられた才のあるごく一握りの人だけだよね。
かわいい物を書いたはずなのに、おぞましいクリーチャーになってしまうような人とかw
写実的な絵を描ける人って、描く前にかなり明確な完成イメージが脳裏にあるような気がします。
だから何使っても、「思ったところに色がおければ」こういうことになってしまうんじゃないかと。
普通の人がそれが出来ないのは頭の中にあるイメージを具現化して不整合がないほど明確なものを脳裏に持ってない殻のような気がします。頭の中には認識するパーツはあるけれど、それは形に再構成できるほど明確じゃないんだと。そして、それは訓練や練習で補完できるので、反復練習と、技術の習得である程度までならたいていの人は出来ると。
ソフトウェアの力が大きいよなぁってケースや人もいるんだけども、この人だったらペイントでも結果が出てしまいそうですな。
高い炊飯器だと、安いお米もおいしく炊けちゃったりするので、「前提条件を確認しないと誰のお手柄なのか」は難しいところですけど、作ってる本人が楽しかったり、うめーって食べてるひと見てニコニコしてたならそれでいいような気はするのですが、安い米だから、安い炊飯器だからって、駄目なことを最初から言い訳するなら、ヤメチマエって思うのですwあと、炊かないならかわなくてもいいよねとか。
別に煮物したって、ケーキ焼いたって、活用するならいいんだけども…無理してトリッキーなことをするのもどうかとはw