Nicotto Town


冬琉の日記ニコタ版


とある冬琉さんの幻想ー異伝ー「げんそう皇帝1」

俺の名前は冬琉。読めないんなら平仮名で“とうる”と覚えてくれればいい。
仕事は映像クリエーター。ただし、その下働きでこき使われてる身。
やってることはそこそこ面白い。睡眠時間が何時間とれて、その日に何を食うか気にしないならばだ。
そんな不安定な生活をしているせいで恋人とも疎遠になったわけだが、なんというか、もう会うこともないと勝手に決め付けてたんだ。けど、先方はそんなつもりはなかったらしい。
まさか(元)恋人が俺の職場に現れるなんて思ってもみなかった。
そのときの俺は「え!?」って、きっと馬鹿みたいな大口を開けてたんだろうと思うが、正直なところたいしたことは覚えてない。ただ、飲みかけのコーヒーこぼしたこと、急に立ち上がったから椅子ひっくり返したこと、挙句に右手と右足が一緒に動いたもんでコンピューターの電源ケーブルを足で引っ掛けたことくらいは覚えてたかな。これでデータ作り直しの徹夜決定だ。目の前がすーっって暗くなった感じがしたけど、頭の片隅じゃ別のこと考えてた。徹夜決定。なら適当なとこで飯でも食うかってことをだ。
とりあえず彼女を連れ出した。
どこで食いたいかってたずねたら、彼女は俺の顔をじっと見つめてからこう言った。
「どこかゆっくり話せるところがいいわね。たしかNビルの展望フロアにレストランがあったはずだもの、そこがいいわ」
俺はただうなずいただけだった。そして、なるべくそっちのほうを見ないようにしていた。気持ちの整理がつかなくて、気の利いた台詞なんて何も出てくるはずもない。音楽をかけることすら思い浮かばなかったくらいだ。
そして俺の気持ちとはうらはらに、公道レースでもできるんじゃないかーってほど空いてる道路のおかげか、あっというまにNビルのそばにある立体駐車場についていた。
なんでNビルの駐車場に止めなかったか?
飯を食ったところで30分しか無料にならないからだ。彼女が何を話しに来たのかわからなかったけど、とても30分で終わるように思えなかったんだ。それに、ここの上階にもレストランはある。安くて不味い、お客の入りも悪いから静かに食える俺のお気に入りの場所だ。
それはともかく、俺の車は立体駐車場を上っていった。
たいていはひと気もなくて、どこに止めようが勝手なはずの駐車場だが、今日だけは勝手が違ってたらしい。どこも車だらけでひとつも空きがない。
ポンコツを運転しながら俺は、多少いらついてたんだと思う。制限速度を超過したスピードで駐車場を駆け上がっていく感覚が、まるでレースゲームでもしてるかのようだった。しかもどんどんと壁が迫ってくる錯覚のおまけつきだ。
俺の視界はさらに狭まり、彼女の「やめて!」という声と悲鳴とで我に返るまで延々と上り続けていた。もう、ここが何階なのかすら覚えちゃいない。
「あっ」俺はそう言うだけで精一杯だった。もし事故でも起こしてたらって思ったら、脇と背中に冷たい汗がジッと滲んで伝ってくるのが感じられた。俺のほうを振り向いていた彼女の目は大きく見開かれ、うっすらと涙も浮かんでいた。
やっちまった。
そう思った。
けど、とりあえず目の前に1台だけ空いてる駐車スペースにこいつを押し込むのが先だった。
車を尻から入れなおすなんて気持ちの余裕はゼロ。もちろん頭から突っ込んだ。
ギアをパーキングにセットしてサイドブレーキを引き、エンジンを切る。そして俺は大きくため息をついてから彼女を見た。
「降りよう」うなずいた彼女の目はもう見開かれてはいなかった。
ドアを開けてポンコツから降りる。そして俺は、彼女がギクッとして動きを止めたのを感じた。
彼女が何か嫌なものに出くわした気がして、その視線の先にあるものを見るために頭をめぐらしたとき、俺は、俺たちが今通ってきた道が消えてしまったのかと思った。いや、実際には、人ひとりがギリギリで通り抜けられるほどに狭くなっていたのだった。
俺は愕然とした。
あまりの理不尽な出来事で、俺の足元が音を立てて崩れてくんじゃないかと思ったほどだ。
なんてことだ。こんな狭くちゃマジシャンだってあのポンコツを通すことはできっこない。無理に通そうとしたら、こいつの横幅が半分にまで削られること請け合いだ。頭の中にポンコツの廃車って文字がちらちらと浮かんできた。けど、10年以上乗ってきた相棒でもあるから、それなりの愛着もある。手間のかかるこいつのおかげで何度、道路のど真ん中で立ち往生をくらったことか。そのたびにロードサービスに電話をかけて、なけなしの金を掠め取られてったことか。いや、ロードサービスに文句を言ってるわけじゃない。こいつがそれくらい手間のかかるやつだってことが言いたいだけだ。
だが、話を元に戻そう。
帰り道のことが頭から離れなくなった俺たちは、すでに飯を食うことすら忘れてた。
ここから出ることが大事だ。
だが、どうやって。
ここがどれだけ高い場所なのか判然としないが、結構上ってきたことだけは俺が保障する。歩いて降りるなんて、まっぴらごめんだ。さてどうしたものかと彼女のほうに向き直ってみた。どうしたいのか聞いてみる必要があると思ったのだ。そしてとても心を打たれた。彼女は落ち着いて、冷静に、取り乱さず、俺がこの状況を何とかしてくれると確信しているかのように超然としていた。この信頼は俺にも多少の冷静さを取り戻させてくれたが、ただその彼女ですら、この場に長く留まっていたいとは思っていないようだった。
「たぶん--ビルの管理人がどこかにいるはずだ。そこに行ってみよう。何かこいつを降ろす方法があるはずだ」俺がそう言ってポンコツのタイヤを軽く蹴飛ばした。彼女は「そうね」とひと言返すだけで、それ以上の無駄な会話をしようとはしなかった。
俺が先頭に立ち、2人で元来た道を歩いて戻る。
道はすべて下りだから、思ったほどの苦労はない。ただ、足元が暗いもんで妙に歩きづらい。そして、何かに付きまとわれてる気配も、いや、たぶん気のせいだ。だが、先ほどまで超然としていた彼女もやはり心細いのだろう、途中から俺の手をギュっと握り締めてきた。その手は妙に汗ばんでいた。俺は、彼女が安心できるように、痛くない程度の力をこめて握り返した。




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