ちょろ、おセンチ。
- カテゴリ:日記
- 2009/07/22 06:59:18
確かね、山田パンダが歌ってたんじゃないかなぁ。
道の向こうで 手を振った
大きな声で サヨナラ言った
あいつをふぅっと 思い出す
今も元気でいるだろか?
白い仔犬を 抱き上げる
君はちょっぴり 幼く見える
表参道 原宿は
なつかしすぎる友達や
人に言えない 悲しみすら
風が運んでしまう街♪
あこがれ共同体 とかいう郷ひろみが出てたドラマの
主題歌だったと思う。
ウトウトしてたら、この曲が流れてね、頭の中に。
私、何にあこがれていたんだろうなぁ、その頃。
まだ子供だったんだけどね。
今日は風が吹いていた。
八代まで行かなきゃイケナイ仕事があって、
帰りに熊本に寄って、マチモとスイカと
飯でも食おうかって約束した。
どこで食おうかって迷ったけど、
大して食いたい物も無し。
スーパーでご飯類を買って、
道の駅の階段で、暗い中、買ってきた物を広げて食べた。
とても強く風が吹いていて、
風の中で、「塩出す程汗を掻いたから」と、マチモとスイカが
上半身脱いで、身体を拭いていた。
贅肉が付いていないその背中が、とてもキレイに見えて、
なんだか涙が出て来た。
いつかいろんなもんが、その身体に付いてくるのか?
水を弾かなくなるのか?
私のサイズは、もうとうの昔に変わったよ。
イヤではないけれど、
何を無くして、何を得ながら、歳をとって行くんだろう。
「アナタ方、私が好きか?」
ばっかじゃないの?
って答えは良いね。
「あこがれたか?」
あこがれてたかどうかは、
あんたヒドかったからわかんないけど、可愛かったね。
その過去形が、とても安心した。
誰かが私を知っているっていう安心感かなぁ。
それぞれがそれぞれの道に行ったんだけれど、
それでも私は誰かを知っているし、誰かが私を知っている。
男の子が大人になっていく様、
女の子が大人になっていく様、
なんだか涙が出るね。
もう充分大人になったんだけど、
まだまだ大人になるんだねぇ。
大人になり続けながら、いつか死ぬんだねぇ。
そんときに、やっとこさっとこサヨナラを言おう。
やっとこさっとこ、ありがとうも言おう。
ああああ!
秘密のお話、見たなぁ~。
これでかりネコさんも、秘密の共有者になりました。
以後よろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます(笑
かりネコさんも、鏡で見てみて!
若いころの「勢いだけ」の顔じゃなくなってるはずだから。
お互い、褒めあいっこしようぜっ!
「若い」「葬式に出ない」 わかるな~。
いつかその「精神的なご尊顔」見てみたいわ♥
牛の様に我慢強いのよ、あの方(笑
ほれ、この20年来のお友達らも「あの男には、かなわんもんがある」という。
わたしも「かなわんなぁ、こいつには」と思うことがある。
精神が安定してるのだと思います。
とはいえ、あれが高校の時にプロポーズを受けてから、もうかなりの年月経ってます。
その間ずっと何も無いまま「お仲間」だったわけです。
あの話が「有効」なのかどうか、確認もしていないのだ。
ずっこける可能性だって、私にはあるのだ、ははは。
私も、いつまでもKINACOさんには、いろいろなことを好きにやってほしい気がする・・・勝手ないいぐさで、スイカさんには怒られるかもしれないが・・・
私は、ぽってりして来たかもしれないですよ〜(汗
良いもんですね、子供がいるって。
その成長に一喜一憂しながら、思い出しながら、今の彼を見ながら、
こんな楽しい作業はないですね。
女性の成熟っていうのは感動を伴いませんが、男性の成熟というのは感動するときがあります。
ウチのパパが、私たちを育てて、育ち上がってしまった時点で、
こんどは小さい人達が私たちの家族になった時に、
また「守るべきものが出来た感動」で、ほんとにまた成長したのね。
「愛するべきもの」「守るべきもの」が、あのパパを成長させたんだなぁと、
なんか愛おしくなったことがありました。
うん、アタリだと思うなぁ。
小さい頃からしってるのね。
「スイカ1号」の弟だったのよ、いまのスイカは。
だから私たちが大学のころは、彼は小学生で、いつも付いて歩いてました。
いつのまにか対等に「お仲間」になった子です。
だから私はあの子が小さい頃から連れて歩いていた訳です。
頭がいい子で、控えめな子でもありました。
旅行も連れていました。
それをあの子がそうね、思春期に入ったアタリから「仲良しにも程がある」と親達から言われる程
になったのですが、それでもあの子が頑固にきかない。
私も「いいじゃん」だったわけで、いつの間にか親達も諦めていた訳です。
そのうちに、そうだなぁ、親も「あの子は精神的に安定した子になった。」と
言わせる子になって、どんどん駆け足で大人になりました。
私を追い越していった気がします。
私をずいぶんと好きにさせてくれました。
私がどこそこ行ってしまっても、あの子は変わらずそこにいました。
待っていてくれたと思います。
いつの間にか私も「あの子」とは言わなくなりました。
敬意をもって接する気持ちが、どこかに生まれました。
私がすこしでもキレイなうちに。。。とも思っています。
が、もうちょっと好きにします。だはは
私の勘、やはり、当り??? なんだか、うれしいな。
なにがあったのか、わからないのだけれど、
私もそんなことがあったなぁ。。。
高校からの親友って呼べる唯一の女の子が亡くなってしまって、
遅い結婚をした彼女の、出産日でした。
出産は病気ではないけれど、大変な行為だったんですね。。。
それから「明日を信じること」が出来なくなりました。
いまでもそれを信じることが出来ないのですが、
「葬式はお互い出ない」との若い頃の約束を守って、私は行きませんでした。
仕事をしてました。
それを避難する人ばかりの中で、家族と友人は、私もわかってくれました。
泣かない私のことも、わかってくれました。
私をけっして「強い人間」とは言いませんでした。
どこで泣いたのかも、知っていたろうと思います。
それでもまだ、私は明日が信じられません。
明日の約束が出来ずにいます。
実際は約束するんですけどね(笑
お互い、良い家族、良い友達に恵まれたよね、chocoさん
まだ「信じられなく」ても、なんとなくは生きていけるよね。
若い人を見ると、ほんとに「若い」ことに拍手をしたくなります。
「若い」だけで拍手なんです。
若い頃はそうなんだと気が付きませんでした。
子供の成長過程は、とてもピーンと危なげに張りつめた物があるもので、
それが「青かった」り、「硬かった」り。。。。
そこを向け出す刹那が、一番美しいですね。
小さい手をつないで、父につれられた私の手が、こんどは小さい手とつないで、
その小さい手もまた、大きくなって小さい手をつなぐんですね。
ご子息は、まだ筋肉も未完成な脆弱な背中なんだと思います。
それが、無駄の無い筋肉を付け始めて、それでもまだ細くて、
それが「人を守れる」筋肉とうっすらとした皮膚を付けて行くんだろうなぁと思うんです。
「変わって行く背中」を、お互いに知っている人が、何人かいます。
そっか、私の今の背中はだれも見る機会が無いので、私は「顔」でしょうけど。
顔が「精神的な顔」になってきたと言われた時は、嬉しかったです。
背中が「守れる背中になって来たんだなぁ。成熟して来たんだなぁ」と思うんです。
贅肉も何も付いていなかったけれど、
まだ余裕を持ってという程は大きくは無いけれど、
「心が成熟して来たんだなぁ」と思ったりもするんです。
ホビットさん、ホビットさんの勘は、多分正しいです。
あ!やっぱり?
ははは、ざっくりなんだ。
良いコンビだね、徳光さん風味とザックリさん。
そうなんだよね、とどのつまり、なるようにしかならないんだよね。
でも、とどのつまりがいいとこにつまって欲しいなぁって思うんだよ(笑
きれいな背中、誰かが私を知っていてくれて、私も誰かを知ってきている。ありがとうとさようなら。
きなこさんの文章と皆さんのコメント読みながら泣きそうになった。
私ね、自分としてはすごく辛いことがあって抜け出せないまま数年経ってしまって、自分の人生でこんなに
止まることがあるなんてまったく想像できないくらい停滞してたの。でもそんな自分でも友達は受け入れて
わかってくれてて見守って付き合ってくれてるんだよね。家族もそう。普段は憎まれ口というかそれこそ
「ばっかじゃないの」的コメントばかりでも、ふっと心に来るものがあったときには止められず「ありがとう」を
本当に心から言えてきてるから付き合ってくれてるのかな、なんて思ってみたり。失ったものは多くても
きっと何かを得ているし、余計なものかも知れないけれど「大人らしさ」もきっと増えているんだろうな、
そんな気持ちになりました。なんていうか、とりあえず「ありがとう!」←ごまかし的大人コメント?(
ちょっと前の自分を振り返ると、いつもそのいたらなさに恥ずかしくなる・・・いつになったら大人になるのか、そうだね、大人になり続けながら死ぬのだね。
どうしても、自分の子供のことになってしまうのですが、小さい頃のいろいろなことを思い出すと、それだけでせつなくなるのです。きっと幸せだったのですね。毎日が、二度と繰り返せないことだから、涙がでる。
自分が失ったものを持っている人を見ると、なぜだかせつなくなる。そして、その人のことをいとおしくなる。
いろいろせつなく感じすぎて、うまく書けないです・・・
旦那はテレビ見て徳光さん並に泣きますが、私はけろっとしているので、血も涙もないと言われます・・・
彼にとって幸か不幸か・・・( ´艸`)ムププ
人間諦めが肝心
なるようになる、なるようにしかならない(笑)
うん、おセンチおっさん、いい響きだ。
そうそう、いやよね〜、出てかれるのって。
だから競争みたいに出てかなくっちゃ(笑
ああ、ご主人様はお優しい人なんだね、気持ちが。
ナイーブなんだ。。。とうことは、かりネコさん、かりネコさんがザックリの人ね(笑
ご主人様、どんなに寂しかっただろうね。
でもさぁ、かりネコさんに会えたのも、これ、その事件があったからなので、
幸せなことと言えばそうじゃない?
だってさ、ご主人様が、相手を傷付けたんじゃないもん。
傷付けられた後に、かりネコさんと出合ったんだもん。
ラッキーとしか思えない。
ご褒美ってあるね。
キレイな背中。。。そろそろマジでヤバいっす、ワタクシ。
いやいや、もうとうにダメです。
モノ頂くときの「ありがとうありがとう」は、頂く前にレンパツするのになぁ、ワタクシ。
肝心な「ありがとう」は言えて無い気がしています。
生まれてくれてありがとう、出合ってくれてありがとう 。
いままで仲良しでありがとう。
中身が大人って難しいねぇ〜。
だってさぁ、歳バッカ勝手に取ってくんだよ。。。勝手にだよ。
誰と結婚するかわからないから、みんなと結婚写真とっておくという自分企画もあったのだ。
だから、なんでか「七五三」のようなイカさない格好の結婚写真が、
何枚もある。
一枚は「豚っぱな」してて、一枚はインディアンウソ付かないの帽子にしてて、
いろいろウエディングドレスで遊んでます。
今は、その写真見て、「おお!やっぱ若いうちに撮っておいてよかったなぁ」です。
結局だれも結婚してないのは、こややしさんもご存知ですなっ!
うん、止まっちゃダメだけど、お頭の成長は、止まるどころか後もどりだ。。。
おセンチおっさん
>出て行かれるぐらいなら、私が出て行く子です。
それわかる~! 私もそうかも。とにかくイヤなのよ。
どうも置いて行かれるのが・・・・たまらない寂しさがある。
でも自分が出て行くなら、スッキリサッパリするわけ。
きっと何かのトラウマなのかも。
ちなみに私の旦那様はバツイチで、前の奥さんが男作って出て行かれたので、ひとりぼっちにされる事がすんごいトラウマになっています。かわいそうなくらい・・・
きれいなせなか・・・。
そうだねー、ほんとだねー。
私はもう綺麗な背中じゃないから、ほんとその輝きは得難いものだったなー・・・と今なら思います。
年を取るってそういうことなんだなぁ・・・ (げげっ!)
なんか、歳だけとっていって、中身が成長してないんですよ・・・・・
ありがとうは、思った時にはすぐに言う様にしてます☆
後から言っとけば・・・てなるのが嫌なので。
...と、大人になれないあたしが言ってみる。(^_^;
ざ らいふ ますと ごー おん、でげすよ、先生。
終わるまで止めちゃダメな事になってるんだ。
最後の最後に答えが出るんだろうね。
後悔や自責の中で、死にたくは無いなぁ。
何も残さないで、死にたいねぇ。
なにも残さないで「うん、さようなら」ってね。
良いこと悪いこと、交互にくるじゃない?
その繰り返しにね、へたばりそうになるなぁ。
普段は「さよなら」は使いません。
でもね、最後の最後は「さよならばいばい」
そして「こんにちわ」
死ぬってさ、どんな人生も終わるって希望だなぁって思うんです。
いつまでも終わりが無ければ悲劇だなぁ。。。って感じるんです。
全部大人ってどんな人だろう。。。
全部子供ってどんな人だろう。。。
ああ、それってキュゥってなるね。
その人も、「大人」になったんだね。
希望と絶望とまた希望と、そんなものをもう知ってって、くり返してるんだね。
バーゲン会場で、しゃにむに競っている女の人が、
同級生だった時に、ほんとにそっとその場を立ち去りました。
髪の毛を振り乱して、すごい形相だったんです。
ご主人が苦労させてるんだなぁ。。。そう思える形相と振る舞いでした。。。
悲しかったなぁ。。。
相変わらず可愛い人でしたか?
良かったです。ほんと良かった。
あんなに、無邪気な時期を共有した人達が、「無邪気でいられなくなった様」をマノアタリにする程
悲しいことは無いなぁ。。。と思ったりするのです。
みんなが、相当若かった時に、
脆弱な筋肉で、ヒョロっとしていたのね。
それがね、キレイな筋肉が付くようになって、「青年」になっていったのね。
そして、大人の体つきになっていくその過程を、涙が出るような想いで、思い出します。
先日ね、田舎道を、川に向かって歩いて行く真っ黒に日焼けした集団がいたの。
海パンいっちょでね、歩いて行ってた。
高校生ぐらいだろうね。
ピンとはった細い身体が、とても清潔に見えて、美しくて、
車の中からみんなで見てた。
「きれいだねぇ」「ほんときれいだ」「若さは無敵だね」
「本人は気が付いてないんだろうけどね、無敵って。」
そんな会話をしました。
私は、みんなの背中を見て来ました。
それでもまだ、キレイな背中だったことに、ほんとうに涙が出ました。
到達できないことの方が、きっと多くて、
到達なんかあっちゃイケナイのカナぁ、などとも考えて、
ただただ毎日、黙々と何かに向かってるんだなぁ。。。
ほんとトコロテンだよね、押し出されてる。
今日も寒いです。
ジーニーさんは、みんなに愛される人の死に方の気がするよ。
でも、ご主人さまを見送ってからの様にも思います。
だって、ジーニーさんが先立ったら、ご主人様はきっと、いきなり弱ります。
かわいそすぎるもん。
ありがとうも言って、ありがとうも言われるんだよ、きっと。
いやいや、りっぱに「オッサン道」つらぬきましょうや!
おセンチおっさんも、なかなかいけるって!
そうそう、そのドラマよ。
大好きだったんだ、たしか私。。。
「表参道原宿」ってとこが、「何かあるところ」に思えたなぁ。。。
切なさかぁ。。。もう戻ってこないモノに対しての切なさかなぁ。。。
だから海辺の女の子や、学生服で笑い転げてる子たちを、ほんとうにまぶしいなぁ。
きれいだなぁ。。。と思います。
感嘆の思いで、賛美の思いで、眺めてしまいます。
そうですね、悔いのナイ。。。それができれば本望ですよね。
打ち上げ花火みたいな人生に、かなり憧れていました。
今どうなのかなぁ。。。すこしは近いかなぁ。。。
さようなら。。。って言った後、もう一回目覚めて、
「泣いてやんの、ばーーーかっ!」って言ってみたい気がします。
色んな事を無くし・・・
色んな事が付いてくる・・・・
死ぬときに、プラスなのか、マイナスなのか・・
俺の人生が決算される
自分の意志とは関係なく・・・
懐かしい名前でしょ?
私も思い出して、自分でびっくりしました。
「ありがとう」は、生まれてくれてありがとう。
私に出会ってくれてありがとう。
こんなに長い間ありがとう。
さようならは、「すんません、送りたく無いので、私が送られます。」
って感じです。
ズルいですけど。。。
私、出て行かれるのがキライで、
出て行かれるぐらいなら、私が出て行く子です。
東京に行ってしまう友達が悲しくて、その子より前に、私がどっかに行っちゃいましたっけ。
とにかく「別れ」がキライなんです。
その別れが、金輪際の別れになってしまうかもしれない恐怖もあります。
今でも、よっぽどの人のお見送りは、出来ないんです。
大事にって、いいことだなぁっておもいます。
「もっとしておけばよかったぁ」って後悔は、ほんとうに出会いにツキモノで、
どんな出会いに対してもツキモノで。。。
だから今、大切にしなくっちゃいけないんですよねぇ。
夫婦と言えど、そうですね、永遠じゃないんですね。。。
うん、会える気がしてます。よろしくです。
そうですよね。。。最後まで「大人になる余地のいくばくか」を残しながら、
大きくなり続けるんですよね。。。
あこがれってですよ、いつの間に現実との駆け引きの中にある物になったのかなぁ。
叶わない夢は見ない、みたいにですよ。
とんでもないものも叶わないことじゃないと思えるエネルギーの半減は、
どこから来たんでしょうね。
「さようなら」に「臆病」。。。
そうかもしれないです。わたしも。
キレイに生きていってるのかなぁ。。。
なんだかデコボコデコボコ、無様に生きてるよ。
分別もね、そこそこ「社会生活」のためには「付け焼き刃」に使うし、
シガラミも、そりゃ無いことも無い。
純粋なのかどうかもわからない。
汚い手だって、使わないとも限らない。
でも、なんとなく、「だったらいいなぁ〜」の中にいるんだろうなぁ。
「だったらいいなぁ〜」をやってれば、「です」になるもんなぁ。。。
ありがとうね、KOOLさん。
わたしがKOOLさんにそう言ってもらえる私「だったらいいなぁ」なのです。
歳は重ねていっても心はいつでも子供のままのような気がします。
全部が大人になってしまったらつまらない人生になりそうで・・・
日ごろからさよならという言葉は寂しいから、またねというのが私は好きです。
また会おうねって・・・
そんな彼女と小学校卒業以来の再会。
子供2人連れてバツイチママになってた。
他人の嫁さんになったことも知らなかったし
一度も思い出した事すらなかった。
あの約束覚えてる?
変わらず可愛い彼女が眩しすぎて聞けなかった。
ただ漠然と、純粋さとか初々しさとか、宝物のような名前で呼ばれるものだから
とても惜しいものを無くしたと、口惜しく切なくなるのです。
愚かで、浅はかだったことは、なかなか思い出しません。
その愚かさが美しいなんて、あとから思えば、ってだけの事なんです。
かといって、今がまだ知恵の最高峰ではないからこそ、
きっとこの瞬間も、後々美しい思い出になるのです。
一生、どこにも到達できないままかもしれない、っていうのは秘密にしておきましょう。
それにつけても、背中の美しさは、重要です。
さよならは言わない。でもみんなにありがとうと言えるように人生を真っ当したいと思ってます^^
とりあえずオッサンではなく大人になります
ランナーだった西城さんが不治の病で他界してしまう
デザイナー志望の郷さんが西城さんの名前をつけたブランドを立ち上げる
こんな話でしたよね
後悔ばかりの人生だし、これからもいろいろやらかしてしまいそう
大人になるのは切なさの積み重ねだから涙が出るのでしょうか
「何を無くして、何を得ながら、歳をとって行くんだろう。」
↑↑
これには何かこ~、おセンチになるものが含まれているね。
得たいと思って、手を伸ばしたために失ってしまったものもある。
あ~、これから、悔いのない人生にしたいね~。優しい人に囲まれて、
「ありがとう」と言いたいね~。
KINACOさん、とってもいい人間関係を持ってるなぁ~と、うらやましくなります。
ちゃんと「さよなら」と「ありがとう」を言いたい相手がいるというのは素敵なことです。
でも「さよなら」の時は、まだまだずっと先にね。
後で「実は、感謝してたんです」って言えないし。『ありがとう』はその場で済ますようにしています。
あと、誰かの出発の時は家族でも今生の別れな気分です、マジ。
人生、一歩外へ出たら何が起こるかわからんからねー。
私は付き合うときには、なぜか別れるときのことを考えてしまう悪い癖がある。 ww
旦那様ともいつ終わるか分からないと思うから、大事にしている(つもり・・・)
そして、その時が来たら、すべてにすっきり別れを告げたい。 告げるぞ! っと♥
まだまだ、これから会う機会もありそうなんだし・・・
流石にね~公称2000歳、実は半世紀って
良く生きたもんだって、この頃思います。
ただね~どんだけ生きたって、まだどっか子供なんだね。
大人になる余地のいくばくかは残ってるもんです。
もう、憧れって表現するような思いはしぼんでるのかもしれないけど
それでも、期待したり夢見たりは続けてるもんね~チャッカリとw
気がつけば、私も気軽に使わなくなったな~・・・サヨナラって言葉
最後になりそうな気配の言葉って避けて通るようになったね。
長く生きて度胸ついたのと同じくらい、臆病にもなってるようだね。
ずっと子供だけど、色んな知恵とか分別とか常識とか邪魔くさい物がついてくるだけ。
ただ、まれに、そういう邪魔くさいものを必要以上寄せ付けないで、綺麗に生きてゆく人達がいて
それが、きっとKINAちゃんとか、KINAちゃんの周りの人達なんだろうな、って思う。
だから、皆、KINAちゃんの日記に惹かれるし、
ぁ、もちろん、文才もあるんだけども
それと、KINAちゃんの人柄とか、周りの人の純粋さに惚れちゃうんだよね。
いつも楽しい日記をアリガトウ♪
私も使わないなぁ、さようなら。
「んじゃ」「そゆことで」
あすたまにゃーな。。。だね。
もうひとつ使わない言葉。。。「すいません」
すいませんを使うなら、「ごめんなさい」を選択だなぁ。
今はまだ、言葉が見つからなくてね。
自分の言葉の少なさが情けない状態。
いつからかな、さよならは使わないようになった。
まったね~、それでいいかな。
うん、そこそこ死ぬことって、想定してるんだよね。
じゃないと、「わぁぁぁぁ、どーーーしましょ。時間が足りなぁ〜い」ってなりそう(笑
日頃から、訓練しとかないと、
変なこと言いそうだ。
そうだなぁ、「アンタがあの時、あっちのプリンターが良いって言ったから買ったのに!」
とか、しょーーーーもないこと。
わたしもそういう風にさよならを告げたいな。
さよならに返事はいらないけど、手は振ってもらえるとうれしいかもしれない(笑)。
でもまだあがいてよ。
KINAちゃん、まだ早いよ。
もうすこし一緒にいたいよ。
いやいや、のぼせ上がるから、最後にしか言わんのだ。
「涅槃で待ってる」は沖雅也♪
そっか?悲しいか?
みんな最後の一人になりたく無くて、必死なのに!
喜び勇んで「さよならだっ!」なのに(笑
そだね、そうかもね、「お先様っ!」だね、それにしよう。
いえなくて後悔しないように
そいで、サヨナラじゃなくて、
お先に行ってきまーす だね。
サヨナラは、悲しすぎるから