人間魚雷回天の島 大津島 回天発射訓練基地跡
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2013/01/15 21:24:51
太平洋戦争末期の特攻兵器、人間魚雷「回天」の発射訓練などを行った基地跡で、「回天」を海面に揚げ降ろしたクレーンの 跡も残っています。
また、運搬にはトロッコが使われ、基地まではトンネルを通って運ばれており、トンネル内にはレールをコンクリートで埋めたあとが残って います。
大津島の一番南、元は別の島だったものの、400年くらい前につながってひとつの島になった馬島に、戦時中は、回天の組立工場とそれを海に下ろすためのエプロン2ヵ所と島の裏側に発射練習基地がありました。
島の反対側までトンネルがあり、その先に発射練習基地がありました。練習のコースは、大津島の徳山湾の東にあたる内海側から黒髪島方面に発射して戻ってくる第1コース、やはり内海側から発射して、馬島を周回して外海側の発射練習基地に戻る第2コース、内海側から発射して大津島を北上し、島の西を回って、外海側の発射練習基地に戻る第3コースがあったとのこと。
大津島の基地は、まもなく手狭になり、同じ山口県内の周防灘側の光と平生にも基地が設けられ、さらに大分県速見郡日出町大神にも基地が設けられました。大津島を含めて、4ヵ所に基地があったことになります。
回天の出撃は、大半が大津島基地からで14回、他に光から12回、平生から2回です。
現在は、高台の旧馬島小学校の跡地に1968年(昭和43年)に建てられた回天記念館と回天碑、鐘楼があります。門から記念館までのアプローチには、それぞれの戦没者の名を刻んだ烈士石碑が並んでいました。
なお、以前の展示品などは、回天記念館と同じ住所の休憩所「養浩館」に展示されていました。そちらでは生々しい体験談を聞くことが出来るとのこと。
発射練習基地はそのほとんどが破壊され、大方の輪郭のみ残っているものの一部老朽化が進み、立ち入り禁止になっていました。通称「ケイソン」と呼ばれています。
回天を搭載する大型潜水艦が次々と失われ、また敵の本土上陸が現実問題となってきたことから、日本本土の沿岸に回天を配備する「基地回天隊」が組織されました。
第一回天隊8基および搭乗員、整備員、基地員は全滅しました。
そのほか、第三・第五・第八・第九回天隊は宮崎県、第四・第六・第七回天隊は高知県、第十一回天隊は愛媛県、第十二回天隊は千葉県、第十六回天隊は和歌山県に配備された。いずれも敵の上陸予想地点を射程内に捕らえる場所にあった。現に、敵も日本軍の予想地点への上陸を予定していました。