Nicotto Town



唯一の神を裏切ったアイヌは二風谷を破壊する


唯一の神を裏切ったアイヌは二風谷を破壊するだろう。

そうしないと言っている事と矛盾する。

ウィキより
二風谷ダム
(にぶたにダム)は北海道沙流郡平取町、一級河川・沙流川本流中流部に建設されたダムである。

国土交通省北海道開発局室蘭開発建設部が管理する特定多目的ダムである。型式は重力式コンクリートダム、高さは32.0m。沙流川の治水と日高地域への利水を目的に建設されたが、建設に際し水没予定地に住むアイヌ民族との軋轢がダム建設差し止め訴訟にまで発展、アイヌ民族の先住性を問う契機となったダム事業として知られている。ダム湖は二風谷湖(にぶたにこ)と呼ばれる。」

さて此処で二風谷のアイヌの聖地を見ておこう。

まず1940年の資料である。
『1940年の二風谷アイヌ集落を記録した
鷹部屋福平の「毛民青屋集5・6」の資料整理




類5は,学校や鳥居等の建築物である.

http://www.lib.scu.ac.jp/bulletin/20120331/kenkyuhokoku9.pdf
                      』

此処にはっきりと「鳥居」とある。

勿論、私はアイヌの家に少なくとも私の子供時代は神棚があったのは知っている。
更に朝と夕に神棚に手を合わせなければならない事も知っていた。

近所に住んでいたアイヌの人と結婚した家の子供が一緒に遊んでいても
その時間になると呼びに来ていた。

神棚に手を合わせると言うだけで、真面目で立派な考えの家と言う印象で
それはどんなに遊びの重要な位置にあっても
子供ながらに仕方ない事として抜けるのは考え方の筆頭して
許された。

更に汽車を乗り継いで行った場所のアイヌのおじいさんの家で
見たかった神棚を見せて貰った。
同じように朝と夕と2回参拝するとの事。

更にそのおじいさんの家は代々本当におじいさんのおじいさんのおじいさんの
時代から、
家ではなく、木で何か大切な物を作る家で
それ用の特別なナイフの使い方を代々練習していた。
つまり明治維新の遥か前から、そうである。

私達が小学校で教科書に載っている唯一の神話の「コロポックル」が
出てくる話にも家の作りがコロポックルと違う事が乗っていた。
四角い家で柱を立てる。
これがアイヌの神話(民話)の中に載って居るアイヌの家である。

当時の先生はなぜか神話と言って特に時間をかけた。

更に縄文人時代の家とその後のアイヌ文化の家を両方見に行った。

こりゃ、コロポックルは戦いに負けてその地を離れて逃げて行くなと
子供心に思った。

実際にある二風谷の鳥居を彼らはダム建設を聖地として守った所を
破壊せざる得ないだろう。

唯一の神を否定して自分達を「縄文人の先住民族」に成り下がった。

アイヌが来る前に既に北海道は北海道では、本州よりやや遅れて1万4千年前ころの縄文土器が発見されています。

其れは北海道ほぼ全域に広がっている。

そして縄文人には縄文人のDNAがあり、その後にアイヌのDNAがある。

其れは明らかに北方ルートでその源はメソポタミア文化の辺りの血が混じっている。

鳥居有、神棚があり、イヨマンテの儀式が有りと私達が同じ神道と繋がっている事は
神社特区で本州のどこかで猪を2年間育てた後儀式をして特別な参加のみで
分け与えて食べる地区がある事から、
北海道に明治維新前にそれこそ平安時代からの神社を作って住んでいて
神を守っていた人達として考えて居たからこそ、
「コロポックル」の話は教科書に載った唯一の「神話」だったのである。

それを彼ら自身が根底から覆して唯一の神を否定した。

つまり唯一の神を裏切ったのである。

その前の唯一の神の居ない時代に彼らは成り下がった。

勿論アイヌが来た時には縄文人がいっぱい住んで居ただろう。

一部の縄文人を追い出してその地に住んだのだろう。

更に縄文人と結婚したものも大勢居ただろう。

そして一つの神への信仰が色々な土地に広がるにつれて
その地にもともとあった風習や慣習と混じって新たな教えが画一されて
広がるようにアイヌも独自の色々な形を変えた風習にそれぞれなっていったのかも
しれないが、
少なくともイヨマンテ(熊祭)にしろ、鳥居にしろ、神棚にしろ
そしてDNAにしろ、
私が子供の頃に見ていたアイヌと今は完全に決別した
別の物が其処にある。

所謂縄文人だけなのである。
神の存在があっては「先住民族」にはなれないのである。
神道と或いは同じ唯一の神の存在から、切り放たれたのだ。

少なくとも私の子供時代にあった物はなくなった。
神を裏切った許されない物になった。

「この地に留まって神を守る」のが与えられた使命と
教えられて居た事が亡くなってしまったのだ。

自らそれを否定したアイヌの神を裏切って無くした姿が其処に「先住民族」としてあった。

私がアイヌのおじいさんから教えて貰った「此処で何をしているの?」「此処に留まって神を守っている」の返答はもう彼らの口から決して聞こえない。

「彼らは神を裏切った!」其れは紛れもない事実である。
彼らは先に縄文人がいたこの地にたどり着いて、
この地に留まって「神を守る」と言う使命を裏切ったのだ。

だから、彼らを残して更に南下して行った人達すなわち日本人を裏切ったのだ。

つまりあの神話の「アシでウンコをかき混ぜて、この地を日本にすると決めた」
それで日本ができた。

それ以前に縄文人が北海道に住んで居た。

その「アシでウンコをかき混ぜ日本ができた」以前に住んで居た先住民族だと
すると縄文人である。

自分達を日本人としないのなら、
神をその時持ってきた人達と違うと言うのならそうなる。

どのみち、縄文人だとしても、本州の縄文人の遺跡の方が古いので
縄文土器の形といい、すべての文化と照らし合わせても
本州の縄文人が北海道に広がったと考える方が理屈であっているので
それでも日本人なんだけどね。

だからそれでも「先住民族」とする方が可笑しいんだけどね。

アバター
2013/01/30 01:22
ADICTS 様

北海道のラワンぶきは普通に傘の代わりになりますものねぇ。

コロポックルはアイヌに伝わる民話(アイヌの伝承に登場する小人)です。
アイヌ語でふきのしたの人と言う意味です。
「ウィキより
アイヌの小人伝説は広く北海道や南千島や樺太に流布しており、名称もこのコロポックル・コロボックルのほかに、トィチセウンクルやトィチセコッチャカムィやトンチ(これらはみな「竪穴に住む人」の意)などと呼ばれることもある。」

コロポックルの話はアイヌの人がもともとその地に住んで居たコロポックルを見つけるのです。
アイヌの民話ですから。
家の立て方も自分達と違います。
自分達は四角い家を建てるのに柱の無い家にコロポックルは住んで居るのです。
神様に対する考え方の違いで争いになりコロポックル達は逃げて行きます。
アイヌのひと達は一緒に住んでも良いと思っていたのにと回想します。

小学校時代に読んだ時はそういう話でした。
ウィキに載っていたのは違う話です。
「ウィキより
アイヌがこの土地に住み始める前から、この土地にはコロボックルという種族が住んでいた。彼らは背丈が低く、動きがすばやく、漁に巧みであった。又屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいた。」

小学校の先生が神話として扱いました。

また郷土の歴史で当時はちゃんと縄文時代も習い、
服が汚れて何の為にと思った縄文土器も作らされて
その後に現れたアイヌ文化も習い、
両方の家を遠足で行ってこれじゃコロポックルは負けると思いました。

一万年以上も続いた縄文時代で、本州は弥生時代に以降していたのに
北海道はまだ縄文時代で、弥生時代の土器も少し発見されていますけど
年数が解るのでほとんど北海道から出るのは縄文式土器でした。

アイヌ文化は当時ははっきりと小学校で同じ様な文化がオホーツクの上の方に在ったと
当時はそこまで解っていた様です。

縄文文化より遥かに文化進んでいました。


★では2月1日の10時が良いですか?
コーデはタキシードで持ち物も被り物も一切要りません。
靴は黒がタキシードに合います。

それで是非いらして下さい。
時間の都合が悪ければ言って下されば合わせます。

家でお待ちしております。(*^・゚)★♪
アバター
2013/01/30 00:26
コロポックルといえば「フキの葉の下の人」ですよね
子供の頃、雑誌で心霊写真やUFOの写真といっしょに
フキの葉の下にいる小さな人?の写真を見たことがあります
不思議な服を着てて、日本人ではない感じでした

当時は「合成写真?」とか思って見てたんですが
なんのことはない、アレはラワン蕗の下にいるアイヌの人の写真でしたw
いい歳の大人になって、北海道に居住してみて
突如知った子供の頃のナゾの正体~∩(´∀`)∩


2月1日の夜はヒマしてると思います
時間が合いましたら
ちなみに仮面の下にサングラスしたらすごい顔になりましたw



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