ココチュと学ぶ教科書に載らない人物伝①
- カテゴリ:30代以上
- 2013/02/05 23:36:13
逃げ切り露西亜の冬将軍「クトウゾフ」(1802~?)
ナポレオン・ボナパルトは諸将の反対や諌言を振り切り、同盟各国総勢60万にも及ぶ帝政ロシア攻略の軍を興して侵攻を開始した。
当初の計画では穀倉地帯を巡りながら食料の調達をしつつ、首都モスクワで皇帝を討ち取り戦争終了などと考えていたようだが、ロシアの徹底抗戦ぶりはナポレオンを以てしても大いに困り果てた物となった
行けども行けども焼き討ちされた畑と、無人の集落しか無かったのである
散発的に起こる衝突ではロシア軍のそれでは無く、単に故郷を捨てきれなかった棄民との衝突で、戦利品も無く、少ないながらも損害が出たならフランスに補充は効かなかった。
ロシアの夏は思いのほか暑い。しかし融解したツンドラの大地は食料弾薬を積んだ馬車の車輪を掴んで離さず、進軍そのものに苦労を重ねる事となった
ナポレオンはとうとうモスクワまでたどり着いて無血開城まで果たしてしまうじゃないか
誰も居ないモスクワの街を、ナポレオンは容易く手に入れたのではある
しかしロシアはあっという間に秋が過ぎ、冬がやってくる。
ナポレオンをしてこれが首都まで放り投げたロシアからの焦土作戦と気づいたころには遅すぎたのだ。無人の街にいつの間にか火の手が上がる
冬の装備を何一つ持って歩かなかったナポレオン・フランス軍は来るロシアの総攻撃に打ち負かされながらの撤退戦を演じる羽目になる
どいつがどうなったのかは知らないが、撤退時に外人部隊将軍のポニャトフスキーは、味方であるフランス軍の工兵隊に誤爆されて死んだようだ
この戦いをロシア側で指揮していたのがミハイル・イラリオノヴィッチ・クトウゾフである
首都モスクワを一時は手放すという忍耐の焦土作戦には、誠かどうかは知らないが名言も有る
「モスクワを失ってもロシアは無くならない。しかし、諸君らを失えばロシアは滅亡に傾くのだ」
この言葉の裏にはアウステルリッツで、スモレンクスで、ナポレオンに負けた男としての哲学が滲み出る。真っ向勝負じゃ勝てないよ。歯を食いしばってでも撤退し、千載一遇のチャンスを得なくてはダメなんだと
これこそ中国の兵法家、孫子の云う所の「戦わずして勝つ」の極意だったりするのであるが、まぁ、忘れてくれて良いです
彼の眼は同時にナポレオンの向こう側を見てもいた。だから撤退するフランス軍を強硬には追い散らさず、わざと隙も作って逃がしてもあげていた。
陸をどんなに支配しても、海の向こうには辿りつけない。本当に警戒すべき相手はイギリスだったのだろう
しかしクトウゾフ将軍。攻撃がヘタクソである言い訳にするには、ちょっと苦しい気がしますよ^^
勿論ナポレオンに勝った男です^^
自虐的ですが勝った男ですとも^^
うん
難しい^^
ナポレオンに勝った男にはならないのですか。