Nicotto Town


ココチュのネタ雑記帳


ココチュと学ぶ教科書に載らない人物伝③

十勝平野開拓の祖「依田勉三」

どうもこの方伊豆の大百姓の子であったらしい。その呈で行けばまだまだ時代は彼をボンと呼び、名主様と呼ばせただろう。
しかし歴史は突如動いた。妻をめとった後だってのに何を思ったのか北海道は十勝平野の開拓団の一員に応募し、開拓団員10名、お抱え大工さん2名を連れてかなりの蓄えを使って旅立って行ってしまったのだ。

名主様だってのになんでまた……

名主様だからって、いやだからこそ開拓の道は簡単には行かなかった。その年に出来たわずかな作物は突如やって来た蝗(イナゴ)の大群に襲われ見る影も無くなるほど食べられてしまった。
かろうじて残ったのは実は小豆。この地で後に「赤いダイヤ」と呼ばれる相場変動の激しい餡子の材料だった。そして怒涛の雪雪雪。呼んで来た大工には家を作って貰ったが、日本家屋という物は夏の暑さを凌ぐのに便利な作りはしていたが、この地の寒さをやり過ごすのには向いていなかった。氷点下の自宅内には近所に住むアイヌの人々からアツシ(アイヌ人の防寒着)やら何やらの救援物資が送られ、依田夫妻はやっとの思いで冬を暮らした。

一時が万事そんな調子だ。春が来たころにはすっかりアイヌの集落と区別が付かなくなるほどに同化していた。
「アナタ、ニッホンゴ デキマスカ?」開拓団の視察に同行したイギリスの農学者にそう聞かれた妻は見事なブリティッシュ・エングリッシュで切り返す
「of course,can speak Engrish too.」妻は女学院を出た当時としては珍しいインテリでハイカラな奥さんだったそうだ。イギリスの農学者さんの方が腰を抜かしてビックリしたそうだ。

来る年も行く年も開拓は上手く行かなかった。勉三は最後の財産となった奥さんの嫁入り衣装を売りに出し、最後の賭けに出た。産物は乳牛だ。
「なんかこう……すまない」謝る勉三に妻は堂々答えた
「きっと成功しますから」奥さんは明るい

奥さんの明るさがついに十勝の厳しい自然に打ち勝つ日がやって来た。農耕をほぼ捨て牧畜を営んだ結果、これが最も成果の上がる農業だと証明され、多くの家でも推奨される事になったのである。

その後も勉三夫妻には厳しい日々は勿論続いた。野火に牧草を焼かれて大騒ぎした事も、牛のお産に右往左往したり

だが晩年はもっと厳しい
何故か勉三は半ば詐欺同然の手口で牧場を手放してしまうのだ。

しかし彼の遺言は重い「それでも十勝野は……」

祖だ父だともてはやされる人は多い。そういえば赤十字の生みの親アンリー・デュナンも晩年は淋しい生き方だったそうだ。
なんか苦労ばっかりでがっかりな気もこちらはしてしまうが、本人にしかない実りと結実が有ったんだろうなぁ

今でもバターやチーズに「十勝」と入っていると手を伸ばしたくなる魔法こそ、その結実なのかも知れない。教科書にも歴史書にも名前は載っては居ないけど。




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.