風化させない覚悟
- カテゴリ:日記
- 2013/03/12 02:20:18
すんません。無神経を承知の上で書きます。
黙祷は死者の魂のための祈りだ。
報われなかった魂を鎮める為に祈る。今日は僕も祈った。
しかし祈りでは絶対に復興しない。現実的な意識が要るのだ。
我々はニュータイプではない。
当事者で無い者に、当事者と同じ意識を持ち続けろと言ってもムリだ。
察してくれと言っても、経験してない者には、心に刻まれていないのでムリなのだ。
風化させない為には、経験していない者の心を一撃で粉砕する位の、叩きのめす程の、
強烈な疑似体験を認識出来る物を残して、突き付けなければならない。
語部や紙芝居ではダメなんだ。
有無を言わさず、一秒で、体験者を理解させるための物を残しておかなければならないんだ。
他者の気持ちを動かすにはそれくらいの覚悟がいるんだ。
アウシュビッツ収容所跡は何故残っているのか?
731部隊跡は何故残っているのか?
原爆ドームは?
二度とあって欲しくないモノは、見たくなくても残しておかなくてはいけないんだ。
何で、船をビルから降ろした!
補強してでも残さなければ、他者は理解してくれない!
未来の子孫にも伝わらない!
触れないようにすればするほど、復興は進まないだろう。
当事者で無い者に危機感を持たす為には、『酷い史実』に土を掛けて埋めてはいけない。
゛当事者とそうでない者の間には深くて広い川があるようなもの"
仰る通りです。
問題なのは、その溝が両者に"無い"または"あってはならない"
と、すべきとする風潮があることで、
ズバリ言えば、それこそが復興の妨げの元凶であると思います。
もっと問題なのは"当事者"で無い者がいなかったら、復興は成しえない。
それが皆わかってない。
なぜならば、"当事者で無い者"でなければ、お金なんてダレも出せないではないですか ! !
当事者とそうでない者の間には深くて広い川があるようなもので
当事者でない私には想像することは出来ても
同じように感じることは不可能なのです。
だからこそ ↑ のように 残しておくことも必要なんだろうとも思う。
どうすれば いいのか・・・難しいことだ。。。
当事者でもいろいろな人がいる。
復興の形もそれだけの数がある。
理想と現実もある。。。
大きな命題である。 日本人が試されているのだろうか。。。
実に難しいことだ。
復興の問題は、『元の場所を元通りにしてほしい』という思いと、
『もし、また近いうちに同じ規模の津波が来たらどうする?そんな所を元に戻せない。
復興の負担は被害を受けなかった人達の血税で成り立っているんだ!』
という、ジレンマもあるのでしょう。上手く落としどころを見つけられればいいと思います。
石巻の友人を訪ねるつもりです。