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ま、お茶でもどうぞ


手塚治虫のブッダを読んだった

たまたまきっかけがあって、手塚治虫の「ブッダ」を読み、最近読了しました。
みんなが知っているお釈迦様が、ひとりの人間としてわかりやすく描かれていました。

といっても説教的なことは何もなくて、ふつうに面白く読める作品です。

舞台は古代インド。カースト(階級)がぎっちり敷かれた強烈な身分制度が国を牛耳っています。
最下層のバリアという人々は奴隷以下で、人間扱いさえされないありさま。
同じ姿、同じ言葉を話すのに、生きる権利さえ踏みにじられる。
そんな過酷で最悪な環境から物語はスタートします。

全部語ると長くなるので割愛しますが、読み進めて「ああそうか…」と何度もうなずく場面がいくつかありました。

そのひとつは、ブッダ(シッダルタ)が、「世界はあらゆるもの同士がつながっているんだ」と気づいたこと。
この感覚は私も覚えがあります。
何年か前、精神的につらくてつらくて毎日死のうかと考えていた時期に、ふと、「どうせ死ぬなら観音様のお迎えを待とう」と思いました。

自分で命を絶つのではなく、たとえそれが他人から殺されたとしても、(死ぬきっかけが)事故や病気であったとしても、それが運命なんだと受け入れようと。それがお迎えというやつなんだ、と思ったのです。

で、こういうことに気づきました。

今、「俺はひとりだ。孤独なのだ」と悩んでいる人がいたとしますよね。
でも、その人は家ではひとりぼっちだろうけど、決して独りではないのです。
今、その人が着ている服は誰が作りましたか。服を売ってくれた人、服を店まで運んだ人、服を作る人、糸を作る人、綿花を作る農家の人、農家のために肥料を作る人、花粉を運ぶ虫、風、太陽、水…。これだけの関係がそこにあります。
彼らは悩めるその人と友人というわけじゃないし、その点ではその人は孤独かもしれません。でも、そうやってかかわりを見ていくと、決してその人は孤独ではないのです。

もし、家でだれにも看取られずに亡くなったとしても、近所の人や葬儀屋さんや役所、警察の人…誰かがその人を見つけてくれるでしょう。それが縁です。
亡くなってすぐじゃなくても、何十年、何百年後に、誰かがその人の存在を見つけてくれるでしょう。それも縁です。

だから、自分で死ぬのはやめようと思ったんです。
自分が生きているだけで、何かしら誰かの役にたっているんだなぁと思ったから。

こういうことをですね、ブッダもマンガの中でダイバダッタに教えているわけですよ。
ごはんは誰が作ってるの?というたとえで。
お前は決してひとりだけで生きてはいないんだ、ということをです。


苦行、宗教についてのメッセージもありました。
今でもヨガの行者が苦行を行っていますが、それは自分が天国に行きたいがためで、つまり、自分のことしか考えていない行為だと批判しています。

しかもそれは、楽して遊んでいるだけの人と変わりないんだ、と言っています。

しかしブッダのマネジャーになったダイバダッタは、「仏門に入ったらこういう決まりに従え」と、いろいろルールを作ってしまうんですね。
朝起きたら掃除して托鉢にいってご飯は肉を食うな、とか。

ブッダが言いたかったことと、ずれてしまっていました。

宗教というのは大昔から権力の象徴でした。人を規則で縛り、逆らえないようにして、上位者が下位者を統率する手段でした。
それは、国家という大掛かりな体制よりもずっと作りやすかったので、たくさんの人が宗教を起こしたがりました。
今でも新興宗教が絶えないのはそのせいです。自分がリーダーになって搾取する側になりたいからです。

ダイバダッタはその走りであり、典型的な人でした。

苦行の話に戻りますが、現代でも宗教の修行は行われています。
山伏の山行とか、僧侶の托鉢とか。
ブッダも最初は、そういった行為から悟りを得ようとしました。つまり、「形から入った」んです。w

でも結局は、自分を痛めつける行為によっては何も得られないと悟り、苦行をやめてしまいました。
じゃあこの行為に意味はなかったのか? というと、違うんですね。
やってみたから意味がないと悟った。これが重要だったんです。

修行といえば滝に打たれるアレとか思い起こしますが、一見意味のないようなそれに、意味があったのです。
矛盾しているようですが。

私が気づいたのは、山にこもるような修行とは、アミューズメントパークだということです。
みんなが遊園地に行くのと一緒です。
日常とかけ離れて、別の刺激を求める。山ごもりはそういうことだったんです。

ふつうに暮らしていると、滝に打たれることなんてないです。
でも、ものすごい水圧と冷たい水に触れて、ああすげぇと思う。
何がすごいって、自然の力が。この水はどこから来るんだろうとか。そんなきっかけを考える場、それが滝行です(笑)

遊園地でジェットコースターに乗って、普段味わえない体験をするのとやってることは変わらないんですね。

身体に訴えかける修行というのは、ひとつの入り口、気づくためのきっかけなんだということです。
※決して宗教や修行を推奨しているわけではないので、誤解なきよう!w

今でも修行が行われているのは、そういう理由からです…悩める人の遊園地。
でもそれすらも、気づく(悟り)のための窓口に過ぎないということです。


ブッダは悟ったあとも、何度も何度も苦しい思いをしたり、痛い傷を味わいました。
私達と同じです。ちょっと超能力はあったけど、最後まで、ふつうの人間でした。
ただ、正しいことを正しいと言う勇気がありました。
イエスと並んで今でも彼の教えが語り継がれるのは、そのためだと思います。

最下層の人にとってはこの世の地獄かと思える身分制度。
しかし裏を返せば、そういった制度があったからこそ、人間はどうして差別するのか、争うことをやめないのかとか、考えて気づくきっかけになったともいえます。
苦しみ、憤り、なんか世の中おかしいぞと口に出して言いたくなる。そのことが悟るきっかけなんですね。

悟る悟るとさっきからしつこいですが、じゃあ悟ったからなんかいいことあるかっていうと、そうでもありません。天国に行ける保証をもらえるわけでもないww

ただ、世の中の見方がちょっと変わってきます。
「ああそうか」とわかる、気づくと、なんか過去をふっきれるんですね。それを解脱と呼ぶのでしょう。
でも大半の人が見方の角度を意識せずに毎日暮らしているので、ブッダは「ちょっとその意味について考えてみようよ」と問いかけたのだと思います。

なんで生きてるだけで苦しいのか、という誰もが問う答えに、「天国に行くため」じゃあなくて、「考え方を変えれば、苦しみから救いを見出せる」と教えたのです。
マンガの中でも、ブッダは言っていました。
「この苦しみから安らぎを見出そう」

√ 記号と人生は似ています。
落ちて、昇って、平坦になる。この流れは苦しみの流れです。
悩んで悩んで一回落ちて、悩みは尽きぬままずっと続く…。この平坦な道に入った時が悟りゾーンじゃないでしょうか。
苦しい平坦状態のさなか、ふっと気づく。
病気の人が死の間際に良い言葉を残しますが、あれと同じ。

もちろん病気じゃなくてもわれわれは悟ることができるんです。
同じことの繰り返しから人は気づくんですね。
でもそこから、ふと視線を上げて大切な何かを見つけるきっかけがないとだめで。

ブッダが伝えたかったのは、そのことだったんだと思います。

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2013/05/01 11:04
小鳥遊さん、コメント感謝です。

長い作品のためか、途中でやめたって人が多いようで(w)
私も何日かかけて読みました。とても面白いので、ぜひ全巻読んで頂きたいと思います^^

私はハードカバー愛蔵版の方を読んだんですが、背表紙に作品のセリフが抜粋されていて、そのひとつひとつが秀逸です。
手塚治虫はブッダを描くにあたって仏典も相当読んだそうですが、ただそれらを抜き書きはせず、オリジナルキャラを作って彼らのエピソードとして昇華しています。
ブッダが悟りを開く場面などは、手塚氏が本当に心で感じたことだと思うんですよ。
描きながら、手塚氏も悟りを得ていたのかもしれませんw

ブッダつながりでは、私は「聖☆おにいさん」も大好きで、ブッダ読み中に今まで買いそびれていた4巻と5巻を買ってきました。これも仏の縁かと思いましたww


仏教の教えは、人を楽にする言葉が多いですよね。
脅したり決まりを押し付けるのではなく、「こう考えたら楽になれるよ。ひとりじゃないんだよ」と寄り添ってくれる。最高のカウンセリングです。

それがいつしか意味不明のお経に変化して呪文のようになり、形骸化されて何やら儀式だけが毎年行われたり大金で寺や仏像を建てたり…いやー宗教ってあれですね、意味なくね?
などと思ったりもしますが。儀式として伝えて行かないと人間、忘れちゃいますからね。意味があったんですねw

ともかくは、ブッダの言葉は、進行形で苦しんでいる人をほっとさせてくれます。
お前は生きていて良いんだよ、と言われることがどれだけありがたいか。
カーストで抑圧され、自己否定真っただ中の当時の人々にとってまさに光のような言葉です。
それは、現代に生きるわれわれにも通じるところが大きいですね。
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2013/05/01 10:46
アイマールさん、コメント感謝です。

今回ブッダを読もうとしたのは、本当にたまたまでしたw
前から気になっていたわけでもなく。これも縁ですね。さあ読めとばかりに、ポンと飛び込んでくる。
「アドルフに告ぐ」も、そんなふうに飛び込んできたら読んでみたいです^^

火の鳥はおもにアニメで観てましたが、原作の方が面白いかも。
太陽編の前篇だけ人からもらって所持しています。この後編が気になって、本屋で立ち読みした内容を家に帰ってから紙に書き写した思い出があります(笑)
今読み返しても完璧なあらすじです。我ながらすごい記憶力ww(神と人、輪廻転生のお話でした。感動)
ほかの原作もいずれ読みたいです。

今はお天道様なんて言葉を知ってる人、ほとんどいませんよね^^;
雷が鳴ったらおへそを取られるぞ~とか。親の世代が若くなって、そう伝える人がいなくなったからですね。
現代よりずっと貧しい生活だったから、本当に心の底から「神様と自然にありがたや」と感じたからこそ、米一粒に八百万の神が宿る…と言えたんでしょうね。

うーん、でも、昔の人の習慣とか風習は調べるとかなりおっかない部分があって、民俗学を紐解くと黒歴史オンパレードですし^^;
昔の日本人が全員、自然に感謝して生きてたかっていうと、本当に理解してた人は少ないんじゃないでしょうか。
神社でお祭りをする意味もよくわかってなかったんじゃないでしょうか。
そうしないとバチが当たると言われて、怖いからやってただけなのかな、と。

神道の良いところは、自然を神として奉ることにより、自然と共生していく術を教えているところです。
木を切った後に苗木を植えて山の神にお祈りするとか。エコ精神が生きてます。

でも、昔の人が全員エコロジストではなかったですよね。城を建てたり戦のために山の木を切りすぎたとか、近代では公害も多かった。
それでも神道が今も生きてるってすごいですよね。

宗教って、本当に「形から入る」ためのものなんですよね。
憧れのあの人のコスプレみたいな。
仏門に入って頭を剃るのも、形から。入門とはよく言ったものです。でも髪を剃らなきゃ悟れないわけではない。
毎日一生懸命生きていく、それだけで良いんですよね^^
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2013/05/01 10:24
あびにゃんこさん、コメント感謝です。

そうですね、おっしゃる通りです。

風の谷のナウシカ原作で、ユパが言ってました。
「われわれはナウシカにはなれないが、同じ道を行くことはできる」
これ正論だと思うんですよ。
自分の考えで、正しいことを思うようにすることがね。
「ナウシカ」の中でも、ナウシカと話して考えが変わった人がたくさんいました。
ブッダもそういう存在でしたね。
固定観念を取り払い、自分の心に正直に生きる考えを教えてくれた人です。
ブッダを取り巻く人々のエピソードが珠玉でした。ひとつひとつ取り上げるとさらに長い感想文になるww

小さい気づき、大切ですね。
またナウシカの例えで言うなら、「わしらもまだらの青き衣になりました」というところでしょうか(w)
ブッダみたいに大きなことはできなくても、心の中で「あ、そうか!」とクリアな気持ちで大切な何かに気づくことができたら、それは悟りなんですよね。
悟った人は歴史に名を残すことが多いですが、それは模範生みたいなもんで、彼らには彼らの役割がある。
勘違いした人は悟ったと称して宗教を起こしたり、霊能者として困った人からお金巻き上げたりしますが。

要は、形にとらわれずに毎日感謝して生きようってことですね^^
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2013/05/01 10:12
ゆめろーさん、コメント感謝です。

ですね、中道――ふつうに暮らしているのが一番の近道です。
戦争もなく、毎日めしが食べられて夜安全に寝ることができる、それだけの生活ができることは幸せです。
まさに絶好の悟りゾーンで暮してるんですね。

でも、そういった生活に慣れていると刺激に乏しいので、人は違った環境に身を置こうとするわけですね。
山伏体験とか、お遍路さんとか。
それはそれで良いと思うんです。やってみないとわからない。やったあとで気づくこともある。
そんなことは意味がないと、むやみに草生やして笑ったりしたらいけないですよね。
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2013/05/01 10:11
「ブッダ」は高校生のときに途中まで読みました。
なんで、途中でやめてしまったんだろう~と思い返して、今、思い出しました。
高校の図書室で借りて読んでいたのですが、けっこう人気で貸し出しの巻が多く、なかなかスムーズに続きを入手出来なかった為です。
いつか、まとめて読もう~~と図書室で借りるのを断念したまま、早○十年の月日が……^^;;
ここで、蒼雪さんのブログを目にしたのも、何かの縁。
せっかく思い出した「ブッダ」を今度こそ、読み終えたいと思います。

因縁生起だとか、諸行無常とか……仏教の考え方は好きです。
神(超越した存在)により与えらえる救済ではなく、己の『気付き』により救われる、というのも。
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2013/05/01 03:37
手塚治虫作品で凄く読みたいものが「ブッダ」と「火の鳥」です。
「アドルフに告ぐ」は中学生の頃に読んだけど、もう一回読みたいですねぇ。

宗教だけじゃなく、哲学や思想も、後の世になると形骸化される宿命にありますよね。
どうしても権力と絡んでしまうと、そうなるのを避けられないというか…。^^;
ちょうど最近、とあるブログで宗教がらみの面白いコメント読んだんですよ。
その人は、
「小難しい宗教を信じるより、子供の頃おばあちゃんが言っていた『お天道様に顔向けできない
生き方はするな』って言う言葉を信じる」
って書いてたんです。
お年寄りの言葉って、単純明快だけど心理を付いてるんだよなぁって再発見しました。
昭和生まれは、普通にこの言葉聞いて育ってるんですよねぇ。良い言葉。^^
最近は、日本人が昔から持っていた「道端の石にも神様が宿る」的な、無理のないアニミズム
に根ざした生き方をしようと心がけてます。
世界は確かに残酷だけど、思った以上に美しいもんですよね。^^
アバター
2013/04/30 17:27
悟るっていうと、「すべてを悟る」という意味で、とても一般人には無縁のように思えるけど、
小さな気づきだって「悟り」だと思う。
毎日の小さな気づきを大事にしていきたいですねー^^
目の前の机が、誰がどんな気持ちを込めて作られたのかを知るように、
人という器が、誰がどんな気持ちを込めて作られたのかを知れば、
それだけで世界は違って見えるよ^^
アバター
2013/04/30 13:47
中道を往こう^^



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