この田舎モンがっ!って言葉。イカンけどね。
- カテゴリ:日記
- 2009/08/08 02:20:23
父が小さい頃、
どこかのばあさんがラムネを売り歩いていたらしい。
そのばあさんが、警察に呼び止められて、
「ばあさん、あんた許可もっとんか?」
持ってるワケナイ。
そんなの誰だって知ってる。
警察本人だって、知ってるんだ。
警察は「没収だ」と、そのラムネを残らず持って行ってしまった。
おばあちゃんは、途方に暮れてトボトボ、
空のリアカーを引いて、帰って行く。
かといって、その商売をするしかないばあさんは、
次の日も、また次の日も、ラムネを売り歩くの。
何日かに一回は、警察が没収する。
父は、そのサマをなんどか目撃して、
「おかしい!」と、後をつけた。
警察は、没収したラムネを、派出所みんなで飲んでいたのだ。
それをマノアタリにしたショックと怒りで、
父は走って自分の父、ジジイね、私の。。。
それに言いに行く。
ジジイは「なにぃ〜?!」と血相を変えて派出所に
怒鳴り込みに行った。
まったく知らんばあさんのためだ。
「おまえら、何のために没収しとるんか!
それをなんで飲んどるんかっ!この、腐れがっ!」
その姿を父は、美しく見ていたんだと思う。
取り返して、親子は、ばあさんのところにラムネを届けた。
「ありがとうごぜぇます、ありがとうござぇます」
涙を流して、ばあさんはジジイに感謝したみたい。
レッドパージの波が、日本にも押し寄せて、
共産主義者は不当な差別を受け始めた。
ジジイもバリバリの共産主義者だから、当然対象だ。
それでも「真の世界平和」に決起する壁新聞を貼っては、
自転車で逃走というレジスタンス運動を繰り広げる(笑)のだ。
危険分子として追われる同志を逃がすために、
地下室に自転車を隠していたり、そんなこともあったのだ。
赤狩りってやつだね。
この壁新聞は、誰が貼ってるのか。
町で、それが大きな問題になっていた。
そして、共産主義者を、警察が血眼で捜すのだ。
ジジイは、捕まった。
チクったのは、そのラムネのばあさんだったのだ。
ラムネのばあさんは、安泰でラムネを売り続けた。
時々袖の下に、ラムネを派出所に届けていた。
ジジイは、一人の同志の名前も言わずに帰って来た。
民主主義とはいえ、まだ横暴な時代。
福岡なんて田舎は、更にだ。
ジジイの背中にある二度目の拷問の痕は、この時に付いた。
出て来たジジイに父は
「なんでなんだ。助けてあげたのにっ!」と聞く。
「貧しさって言うのは、こういうもんだ。
人の心をねじ曲げる。保身のためには、人を平気で売るんだよ。
貧しさは、どんな人の心も変える可能性がある。
だから、貧しい人を生む社会は、ダメな社会だ」
「ボクも、おとうさんも、貧しかったらそうなるのか?」
「うんにゃ、ならん。」
じじいはそう言って、
「この田舎モン根性がっ!どいつもこいつも!
だからいつまでも日和見の負け犬なんだよっ!」
誰に言うでも無く、つぶやいたってさ。
田舎に私は住んでる。
今ね、その時の言葉が、良くわかったりするときが多いよ。
でもね、虐められて来たんだよ、ずっとずっと、農民は。
だから、そうやって生きてくしかなかったんだ。
だからジジイも、仕返しなんかしなかったし、
堂々と歩いて、ばあさんがコソコソ逃げるサマを横目だったんだ。
そこで「老婆よ、逃げる必要ない。私は何とも思っていない」
そう言えばブッタなんだけど、そこまでヤツは人間が出来てない。
結構心の中じゃ、恨んでた(笑
やっぱ、釈然としなかったんでしょうね。
おばあさんに対する怒りだったのか、そう言う事に対する怒りだったのか。
そこがあるから、こんななんだよっ!ってとこだろうとは思います。
ただね、人間が出来ていないから、
わたしとしょっちゅう、掴み合いのケンカになってました(笑
そして、結構心の中では恨んでたというのが、また、ステキです。
いいなあ~!
うん、恨むね、無理ないね。
そ。。。そう?かっこいい?
カッコいいと思うときもあったけど、人でなしねアナタって思う部分もいっぱいあったぜ。
信念に一生懸命で、家庭が犠牲みたいなね(笑
やっぱじーちゃんかっこいいわ
そういう話しを聞いて育っているので、
私もあまり人には望まないクセがついています。
自分がしない事でも、人は平気でします。
そしてそれを、正当化します。
望まなければ、ガッカリもしない。。。そういう姑息な手段を、私は身につけました。
おやおや、かぶとむしさん、
「ラムネババア」だなんて、良家の子女が口に出しては行けません。
「なんというラムネ販売の御婆堂でいらっしゃるのでしょう」といいませう(笑
。。。きっとね、ジジイも「あのくそばばぁ〜!」と、心の中で言ったはずです♪
自分が好きでやったことなので、偉くは無いと思うけど(笑)、
怒れる闘士だったことには、間違いないねぇ。
私もね「これは自分可愛さが隠れている詭弁な判断か?」などと、自問自答する事があります。
「詭弁を言うぞ!」「自分可愛さだぞ!」
と、ハナから確信しているときは、「いいぞ、イケイケ!」と自分に諦めますが、
「その確信無いまま」の時は、やっぱ悩みます。自分が許せないんでしょうね。
でも、誰でも「仏の子」、どんなにダメでも仏の子。
仏が愛してくれるらしいです。
それが「愛すべき」ってとこなんでしょうね。
なにか人のためにしようと思うときは、相手がその気持ちをくみ切らずにいたとしても、
「裏切られた」「あんなにしてやったのに」などと言わない自信があるときしか、
私、しない事にしました。
人は、自分も含めて「しょうがないもの」なのでしょうから。
話しが、飛んでますけど(笑)、多分、こういう話しを聞いて、
そしてそれでも人の事で走り回ったり、怒ったりしている姿を見て育った所為だと思います。
そうやって、いい時期に土地を捨てれればメルセデスだったかもですが、
どうしても土地に縛られ、先祖に縛られ、いまもそこにいる。
またね、そうやって土地開発に売ったあとに沢山の問題が発生して、
いまでは売る事自体が、また難しくなって来ています、農地は。
それに滑稽でしょ?
身分不相応なメルセデスは。
こういう戦争と戦後もあったんっすよね。
一回目の拷問は、スパイ容疑だったよ、たしか。
ぶっちょさんのおじいさまの様に、戦争の大きな犠牲になられた上に、
急に「民主主義」の中に放り込まれた方々は、
どんなに苦悩されたんだろうか。
ご自分を全否定されたようなものです。
それを考えると、心がギュゥっとなります。
ぶっちょさんのブログは、私に無かった観念を教えて下さいました。
ジジイは、いつでも闘士だったわけです、反体制のね。
だから、その類いにありがちな「世界平和に奮闘しても、家庭ボロボロ」ってとこです。
大きな愛を持つ人間は、小さな足下の愛情がイマイチっ!なのです。
そりゃ、子供おんぶで自転車乗ってレジスタンスじゃ、まともじゃないです(笑
多分そういうのを「家庭ボロボロ」というのです(笑
走り抜けて、昭和の終わりの除夜の鐘とともに、消えた人です。
レジスタンスに自転車はツキモノのようです。
だって「漕げば走る」んですもの〜♪
足がつき難いらしいわ。
なんか「国家権力」から、逃げなきゃ行けない時は、chocoさんも、どうぞ自転車で(笑
余裕が無かったり、どうしても保身をしなくてはならなかったり、
そういう場に出くわさない人は、それだけで幸せと思うんです。
そしてそういう環境であったという事は、きっと『徳』なんです。
その人の持って生まれた『徳』。
関係ない話しだけど、女性ってさ、まず女性である事で『業』が強かったりする訳じゃん?
それってさ、やっぱ男性の方が『優』であって仕方ないのかなぁとも思ったりします。
母なるなんとか。とかね、偉大とかの言い方もあるけどさ、
その『業』ってどうよってね。生まれたときから『大罪』を背負ってる感じでね、女の人。
どうなんだろうね。。。
対等ね。。。そうね。
ただね、「早く早く話し相手になってくれっ!」
っていう理不尽な要求だったかもしれないしなぁ(笑
どうしてアナタ、そんなに話したがり?って思ってたよ、ほんとウチの男性どもには。
女系家族なので、よく話しはする家だったけどね。
いまでも、実家に帰るとなったら、父は、バカみたいに待ち構えてます。
損得勘定で、どっちにも付くんです。
自分が人を助けても、ヒミツは地獄まで持って行こうと思ってても、相手もそうとは限りません。
貧乏だからとか、そういう問題では無く人間性ですね。
だから、人間がキライなんです。
恩をあだで返すとは。
田舎モンでもゆるせん!
でも、KINACOおじいさんはえらいっす。
普通は人間って自分が可愛い。
自分可愛さを、どんな理由ででも捨てる覚悟が出来た時
人は、自分がより人間らしくなった気がしたりするもんだと思う。
それが愛するもののための覚悟だったり、世界平和のための覚悟だったり
その根底には少しばかりの自己保身や自惚れが隠れていようとも
自分の正義を貫いて生きるのって、気持ちが良いもんだと思う。
しかしながら・・・
日々時の流れに流されて、正義のかけらも感じぬままに生きているのも
とっても人間らしい、愛すべき人間だと思ってます。
息子とケンカして、捨て台詞に「オマエなんか貧乏人の子じゃっ!」と言ってしまった私は
天につばを吐いた事になるのだろうか・・・。
おじい様すごいです。
時代のヒーロー…そんなイメージが湧きました。
なんともニコニコしている私がいます(
弱者として生活し続けているとどうしても精神が卑屈になってしまう+恩や人への情とかそういうものに
目を向ける余裕がなくなってしまうのかなぁと、そういう環境に縁がなかった自分が恵まれてると思いつつ
卑しい心を持たないよう本当気をつけないといけないなぁと、ちまちまと妬みなどと闘う小さな自分でした。
きなこさんのブログ読んでいると、本当何でも対等に話してくれている逸話が多くて(変なことでも?)
そういうのっていいなぁーと思って見てます(* ´艸`)
そだね、映画じゃそう言ってほしいね。
「あのばばぁ~~~~っ!叩ききってやる~~~~っ!」じゃ、俗っぽ過ぎだわ(笑
ほんっと、うちね、いいことか悪いことか、子供相手にね、対等な話すんのよ。
すっかり話し相手なんだわ。
ジジイもパパにそうだったろうし、パパも私にそうだったし。
そそ、私に家、爆破されて、へそくりも取られてるジジイだよ。
そうなんだよね、普通の人なんだよ、普通の生活者。
倹しく生きてた人だ。
しょうがない、しょうがないけど、釈然としないね。
寂しいもんと、ムカムカが残るわ。
すごく象徴的な・・・☆
映画の中では、ぜひ「老婆よ、逃げる必要ない。私は何とも思っていない」といつか言ってもらいましょう!
そりゃ、拷問されれば恨みもするよ~! っていうか、よく子供に正論を言ってのけたよね! それはすごいことだと思う。立派だよ。さすが豪傑です。(あのおじいさんと同じ人?)
食うためにはしょうがないのか・・・ムカつくけどw
いろんな意味で、そうするしかなかったんでしょうね、弱者だからね。
でも、いけないよなぁ、それは。。。と思う。
かわいそうな人だね、そういう選択しか考え付かないのは、ほんと貧しいね、心もね。
まぁ、ジジイもそう思ってあきらめてたとは思うけど、ヤツね、全く人間が未熟なヤツだったからね、
内心はムカムカ、怒りだったと思うよ(笑
貧乏だけのせいじゃないかもって、田舎に住んで思います。
偽善の文化だから、人に良く思われるために、チクるとかね、そういう気持ちも働いてるかも。
いまだって変わんないとこあるよ、田舎。。。
息子の葬式で、泣かない父を、村人が影で「心無い」だの「人間じゃなかっ!」だの言ってました。
泣かなかったんじゃないの、泣けなかったの、その人は。
それを解りきってあげられない、ところが、田舎にはあります。
人と違うのは、いけないことだったりするんですよね。。。
んだね、そだね。
なんかつら~~~くなる話なのよ。
昔々の話だけど、いまだって大して変わんないこと、いっぱいだ。
仕方がないから、自分はしないって思うことしかできないよ。
なんかショックですね><
一番ショックをうけたのはおばあさん。
でもそうするしかなかったのでしょうね。
貧乏はやはり心までも貧しくしてしまうのでしょうかね。
そうだとは思いたくないんだけれど。。。
生きるためなのかなぁ~。
すげぇなラムネババア!
それをガメる警察!
なんかさ~。
その世知辛さにせつなくなるわ…。
なんかね、環境ってね、ほんと影響するね。
まえさぁ、ヒラヒラのスカートで!みたいな話ししたじゃない?KOOLのブログで。
ああいうのも似てるじゃない?
なんか血もあるんだろうけど、こうなるとこうなるみたいな統計みたいな。。。
なんかあるんだろうねぇ。
子供育ててる人は、気を付けたが良いわぁ(笑
あと、父性に可愛がられると、こうなります、みたいなねっ!
しかも、地域の大半は一族郎党が占めてるような、本当に閉鎖的な地で
住む人は、ニコニコと人が良い様なフリをして、実はずるくって、抜け目が無くって
全く油断がならないという3拍子で、アタシはかなりオタオタしてましたw
うちは共産主義ではないけども(w)、親父は、彼らの自分勝手なやり方に腹をたてては
しょっちゅう同じような言葉を吐いてました。 (まさに、「水のみうんたら」ってやつです。
変なトコがにてるんだよねwww >KINAちゃん一家
いえいえ、とんでもない。
私も、勉強になりました。ありがとうです。
まえさぁ、ナイトメアさんが書いて下さったよね、人の命を奪うような事もしたく無いから、
そうなったら死ぬって。
いろんなことに怒りや憤りを感じていらっしゃるんでしょうね。
私も同じです。
先日ね、また自衛隊関係に行って来たのね。
自衛隊後方支援の人が、また無理難題を言っていたし、軍隊は作るべきと声高。
私はどうするか。
その人達から、必ず儲けます。
それが私の「いま言い返さない」プライドです。
ほんと、コワい世の中になって来ました。
ありがとうです、ナイトメアさん。
思い出し思い出しする作業は、楽しいもんです。
キューバって凄いのですね
共産主義でも国民が監視してるなんて考えられませんでした
お話につき合わさせて申し訳ないです ありがとうです
少し賢くなりました^^
そそ、どだい無理でしょって所はね、そういう事です。
人間には欲があるもの。
キューバがね、上手くいったのは、ほんとカストロだったからだし、
とはいえね、人気はゲバラの方があって、それをカストロも認める正しさがある人でした。
あと、「国を富まして人民に還元」これをとても巧くしました。
外貨の獲得を頑張ってます。
さっきも言った「医療費ただ、教育ただ」だったとおもいます。
どんな社会でも、不満は出ます。
でも、「食べれない、医療がうけれない、教育を受けれない」これが一番不幸です。
教育があれば、国は底上げします。
医療自体もかなり進んでいます。食べれない事はありません。
これを全ての国民が受けれている、ないでしょ?そんな国。
日本が「欲求を自由に満たせていても、餓死する老人」がいるワケだ。
こんど弟のラウルになったのですが、心配ではあります。
心配ではありますが、それを見張れるだけの教育を、受けてはいるんです。国民。
そこがスゴい訳で。。。
うん、おっしゃるようにね、ソ連も中国もね、「共産党とその幹部」これが独裁したので、
崩壊ね。
「机上の学問」の限界ね。
キューバはね、何と言っても本州半分程の小さな国、箱庭よ。
でもね、他はそうはいかない、持てる権力も絶大だもの。
役人は重役。
そう表現しない方が良いかも知れません。
アンチテーゼも、資本主義のそれと、異なって説明がつき難くなります。
失敗して行った社会主義国家の説明をしようとすれば、党を独裁者と表現した方が合います。
指導する立場が、欲によって「権力を持つもの」になってしまうのです。
それが崩壊の原因です。
ただね、「名君」だったらいいんだけどね〜。そうもいかない。
ナイトメアさんが上げたその例は、
資本主義そのものの例としてあげた方が、キレイに説明出来るかもですよ。
まず「資本論」を、かじってみると少しずつ「学問としての科学的な社会主義」
の説明になります。
ええ、亀吉兄さんが怒りをアラワです(笑
しかも「サル」に悪いそうです(笑
ブログを楽しみにしておこうと思います。
吹田事件、私は生まれていませんでした。
ノーベル平和賞が欲しくて欲しくてたまらなかった、笹川良一宅も襲われましたね。
「戸締まり用心、火の用心」は、どうも「自分のウチには来てくれるな、二度と!」の
叫びだったようですね。
安保闘争もそうですが、この時期の闘いのエネルギーが、行き場を無くして、
どんどん「赤軍」のような「非人道的に極端」を生んで行くんだなぁ、などと考えます。
あの時の裁判で「大衆的裁判闘争」っていう戦術が、
初めて使われその後定着したという事もありましたよね。大衆自体を主体とおいてました。
いろんな事件がありました。
その中には、正気を逸したものもありました。
そこを利用されもしました。
「エロ集団(ハウスキーパーの認識の間違いからだと思いますが)」
扱いだったときだってあります。
田舎に住んでると、本当に殴りたくなる時が多くて、
ジジイや父を、思い出す事が多くなりました。
だから書くのだと思います。
どうかその話し、教えて下さい。
とてもワクワクして来ました。
うーん そーか
でも怠けた人と頑張った人で収入が同じだったら
やる気が起こらないよね
やる気のない人ばかりの社会は想像できないな
キューバはうまくいってんだ
資本主義と比べるから貧しいように感じるんだね
指導者しだいというのは長くは続かないということかな
共産主義の役人は権力ありそうですが
うまくいくのかな
共産主義は国が一つの会社でしょ
役人は重役でしょ
どうしても逆らうことはできないのでしょうね
やめることもできそうにないけど幸せだと思いますか?
黒沢監督は、この「くされ根性」を、とても嫌っていましたね。
七人の侍でも、それが顕著でした。
おっしゃる通り「乱」においてもですよね。
荒野の用心棒がリメイクなのでってこともあるけど、この部分をちゃんと残してましたね。
きっと全世界共通の「くされ根性」なんでしょうねぇ(笑
表現者というのは、赤寄りに出来てるもんですね。
人をうらやましがるな、自分不相応を望むな、得をしようとおもうな。
そう思えば、卑しさが出る、卑しさが出れば、心からの思い遣りは生まれない。
それが心にあったならば、クチから出るのは偽善だ、偽善なら言わないがマシ。
って言われてました。
そういわれてもね、自分が座ってたパチンコ台で、他の人が座ってすぐ大当たりを賭ければ、
「殺そうか」と思うし、隣がバリバリ蓮荘して、私が単発でスコンと終わったりすれば
「いいなぁ〜」とヨダレなのです。
高僧にあるまじき事なので、これは社会勉強の一貫ということで。。。
ワテの子供の頃に、吹田事件ってのがありましてね、火炎瓶を投げての警察との戦いやったんやわ。
いわゆる、戦後のレッド・パージですわ。
ほんで、ワテが近所に回ってくる人形劇を見てたんよね、そのおっちゃんが、その事件の時には火炎瓶投げてる人やったんやわ。 縁は不思議なもので、ワテが脱サラしてやりだした会社の役員さん(借り名前)やったのに驚いたわ。
ま、こんな話もブログになるから、置いときますわ。
ほんま、南の島の小作根性、あきまへんでぇ。
そそ、可哀想なことよね。
でも、そうやって生きて来て、そうやって生きていくしか無かった弱者なんだと思います。
弱者は、心まで弱者な場合が多いと思います。
真の敵は、体制でもなんでもなく、ああ、自分が命を図してまで助けようと思った、
この人達自身だったんだなぁ、、、と感じたと思います。
その「腐った根性」こそが、敵だったんだなぁ。。。って、むなしかったでしょうね。
人の幸福を真に望もうとすると、
どうしても、人を羨ましいと思ったり、妬んだり、欲が前に出てたりする人には、無理。
だから、虐げられている人からは、生まれ難い発想なんでしょう。
自分が虐げられている側で決起発起した場合は、成功者となった時に、もはや自分中心に
なってしまう場合が、多いかもしれません。
金を持ち慣れん人間に金持たすと、ロクなことにならん、
って言われるこれと、似ているかもしれません。
恵まれた育ちで、インテリジェンスを持つ人が、ある時悲惨な場に出くわして、
「?」とショックを受ける。
この世の中はオカシイと思う。
生活に追われる中では、そんな悠長な事考えてられませんが、
「恵まれた環境下」の人は、考えるのです。
カストロもゲバラも、恵まれた環境に育った人ですよね。
もう充分幸せに育ったから、自己犠牲の精神がいとも簡単に育ったりするみたいです。
「自分はこんな可哀想な生活者がいるだなんて知らなかった!」そこから始まるの。
そんでもってモーセじゃないけどね、「さあ、がんばろう!真の幸せをつかもう!」
って奮闘してるのに、ちょっとなんかあると烏合の衆は
「奴隷の身の方が楽だった」とか言い出す。
この腐れ外道がぁ〜〜〜っ!と、そこでまた怒りを覚えるってことですわ。
私に言わせりゃ
「あ〜〜〜、人が良いにも程があるね、あ〜〜〜バカバカったら!
人の幸せより、自分の幸せ考えてくんしゃい」
なのです。
日和見主義ってあって、お天気もいいので南の島は、その「小作人根性」って激しいと思う(笑
しかも働かないんだ、これが。
とくに男、働かん。
暑い国は、男性が無理すると生殖機能が低下するから、って理由なのかなぁ。。。男働かんわ。
聖書にあるじゃないですか。
モーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出させる話し。
「ありがとうありがとう」というのに、あまりに旅が困難で、
するとヤツらは「こんなことならエジプトにいた方が良かった」と騒ぎ出す。
その繰り返しに、とうとうモーセが怒り出す。
下衆なんだわ。実に。
そそ、なんか溢れて来て、ついつい書いちゃって、
これブログになっちゃう。って思う事ある(笑
楽しみにしておきます(笑
まさしく「乱」だね。
まず、指導者がどこまで「私利私欲」を捨てれるか、なんです。
個々の私利私欲の大きさよりもまず、指導者にすら私利私欲があって、指導者という立場の恩恵に
浴してしまうことから、間違いがはじまるのです。
中国、ロシアの初心は、ものの見事に崩れ去って行く訳です。
北朝鮮の出発は違うので、ここと同じくはしません。
どだい無理な事が多いのです。
ただ、キューバの例も見て下さい。
必ず教育は受けれるし、必ず医療も平等です。
突出が許されない環境でも、「ここが平等であればなんとかなる」のポイントは抑えてる。
指導者が、志を忘れなかった結果ですね。
社会主義、そこからの共産主義は、「真の幸福」を願う「科学」なのね。
学問として、これほど面白いと思えた物は無かったですね。
ただし、私は資本主義の申し子です。
その恩恵にも浴しています。
詐取する側と、詐取される側、って言い方をするのだけれど、
資本主義は、資本家(人格化しての表現)が労働力商品を購買する。労賃と対価交換する。
資本側は、労賃以上を望み剰余価値(不払労働)を生み出さそうとする。
その剰余価値は、資本側の「詐取」になるわけです。
衣食住の有用目的以上を生み出そうとするのが、資本側です。
その追求のために、不払労働を労働者側に強要するという事です。
資本主義のシステムは、極端に言えば、詐取する側に顔を向けています。
資本家に対して有利にあります。保護されている。
貧しき労働者階級は、資本側から詐取され、さらにその資本側を国の要として保護し、
更に国から不当に詐取される、ということですよね。
税金の有り様、まさにそうでしょ?
とはいえ、私は資本主義の中で生まれて、資本主義の中で生きていきます。
ただ、常に何処かに「理路整然とした怒り」は持っておかねばならないと、思っています。
すごい言葉ですね。
私は幸せに生きてきたなあ、と、思わずにいられません。
きっと、奴隷根性とかの同じ意味合いなんでしょうね。。。
切ないですね。
でも、売った相手の目を逃れて、こそこそ生きていく。哀れだな。
次の選挙はどうなるかしら?
私は愚かで貧しい人間ですが、誰かに媚びるのも道理に反した行動も大嫌いです。
南の島は。小作人根性ってのがあってね。
以前、手広く養豚業をやっていた時に、繁殖豚を貧しい人々に飼育させていたんだ。
1回目の繁殖までの養育費は、すべて私の資本。その後は、飼料と生まれた子豚は折半。
飼料が折半たって、私は栄養バランスのとれた市販の飼料。やつらはコメやモロコシの糠。
皆に条件良すぎると止められたけど、貧しい人に、少しでも収入と自立の道をと考えてたわけ。
でも、生き物だから、繁殖率が下がったり、病気になりそうになったら、売りの判断が必要だ。
繁殖率が下がった豚でも売ると、私の資本の80%は回収される仕組みだったのに。
やつ等は、売るのを嫌がるんだ。次回は大丈夫だって。
今回の赤字で、次に期待を持てな繁殖豚だってのに、お前等の懐は痛まないからね。
イッツア・ビジネス! ・・・・ 通じない奴等なんだ。
罵詈雑言や、スコップ振り回して、怒鳴り込んでくる夫婦がいたなぁ。
所有権は私だし、豚小屋の材料も与えているし、多少のお金は渡すのにね。
政府が農地解放をやったら、反対する農民がいた。
「地主がいなくなったら、これから俺たちは、誰に頼って生きていけばいいんだ?」ってさ。
これで、ブログ書けちゃうじゃない。ここで、止めておこう。私は小作人根性と呼んでるけれど、
ヒロさんは、「サル」って呼んでいます ・・・・ サルに失礼だ。
共産主義の理想は素晴らしいですが
経済をコントロ-ルできると考えるのはちょっと無理があるような
人間が機械的に購入と労働をできれば問題ないのですが
日本が共産主義だったら北朝鮮とあまり条件は変らないのですから
皆が貧しい社会になるような
そして経済をも握ってる政府の権力はやっかいなものに
じゃあ貧しい人はどうすればいいかですが
今の日本は良い感じですよ
でも消費税を上げるのは賛成できません
税はあくまでも儲かっている人から取るべきです
それができないのであれば
税を増やすべきじゃない
インフレ誘導をして国債の発行かな
KINACOさんと関係の無い話でごめんなさい
ここでね、「ヒョクショーが!」と書く訳に行かないので、こう書きましたが
正しくは「このドンビャクショーがっ!水でも飲んどけっ!」です。
これは幾らなんでも書けません。
私が育った頃の福岡は、ほんと田舎モンでね、
ど真ん中に住んでいたのに、まだまだこんな感じだったわ。
母は、「もう、東京に帰りたい。。。」と泣いて父を困らし、
父は、「そんなにイヤなら勝手にしろっ!」といい、私は「さあ、どっちに付く!」
と、責め立てられ、幼稚なケンカに付き合わされる幼少期だった訳です。
幼稚園にも行ってない私に、それはなかろう、と今となっては思いますが、
そのころは、「ちょっとお部屋で考えて来る」
と、自分の部屋にこもって嵐が過ぎるのを待ちました。
父に顔がそっくりだったのを理由に父は、
「何処に行っても俺の子なんだから、一緒にいた方が良いぞ」といい、
母は、「こんなワカラズヤと一緒にいると、あなたもワカラズヤになるわよ!」と脅すのです。
いまそのことを言うと、「子供にそんな事は言っていない」と二人で言い張ります。
話しが飛びましたが、まだその名残なんでしょう。
田舎じゃ、「共産主義者」は「大罪」です。
結果どうであれ、あまりにも空論であれ、アンタ達を詐取から助けたいと願ったのは、
あの人達なんだぞ、と思ったりもするのです。
私は、仏陀になってないおじいさまが好きですよ。
コソコソ逃げるばあさまを、複雑な心持ちで横目で見てたのだろう、人間らしさが好きです。
とある経済学者が、
「ヒャクショーにはなるな。」と言ってたのを思い出しました。
それは、農業を生業とするな、ではなく百姓根性になるな、と言うことだと但しを付けて。
多分、おじいさまが仰ってたのと同じ意味なのだと思います。
都会生まれで都会育ちの欠損人間の私には、実感としては伝わらない部分が大いにあるので、
正しく理解出来てるかは、少し問題ですが。