仕事復帰なるも
- カテゴリ:日記
- 2009/08/09 07:48:50
先月末には、音響の仕事の依頼があって、入院後の初仕事でした。
縫い目が突っ張って、腹筋に十分力を入れられないことを痛感。
><
その分背筋が過労気味です。
今月4日、6日と監査・調査の依頼があったので、仕事復帰の第一歩です。
監査先の商品管理が アバウトなために、かなり手間がかかりました。 ^^;
愛猫 nyao くんを御迎えに行けるよう準備を急ぎたいのですが、日常の家事も自分でしていると、結構時間がないですねw
引越しの荷物を 整理するために広げた最中に 緊急入院でしたので、この型付けもある程度しないと、 nyao くんを 走らせてあげられるようにできませんので。
nyao くんは、押入れの団より高いところへは、一っ飛びで乗ることができません。
その代り、走り回るのと潜んで飛びかかるのが得意です。
食べ物も 魚が中心で 肉は食べようとしません。(ビーフジャーキーは食べます)
獲物として興味があるのは、魚類と爬虫類。
中でも蛇はやウナギやドジョウのように、細長くニョロニョロしたものが大好きです。
紐ややベルトや荷造りテープにじゃれつくので、引っ越しや通販の荷解き中は、大騒ぎです。
特にダンボールが紐でくくられて届いた日には、・・・・・。
食事制限から、お刺身や御寿司が外れる日が、ペットと暮らせる日でもあります。
免疫抑制剤というものを 服用しているので、清潔が一番大切ということもあって、部屋の中はできるだけ風通し良くしておくためにも 荷物の片づけは急務なんですが。(汗)
以前のように手にじゃれつかせてやれないのが、少し寂しくもあります。
そして私の夫の母は半年で息を引き取りました。
その半年の日記が母、父 両方手書きで今も仏壇に置かれています。
ありのままに、全て書いてあり、息子である夫は読むことが出来ませんでしたが
私は必死に読みました。結婚してからなのですが・・・。
口で辛いことを表現するのも大変なのに
これを文字に書く、ある時は書きなぐり。
どんなに辛かったのだろう。ああどんなに。
涙で擦り切れたページも多々ありました。
突然すみません。
Rinaさんのお友達とよく日記交流をしていて
最近何度かRinaさんが来てくれるようになり、その日記にコメントしていた
nakunaruさんのコメントが胸打たれ、こちらまでさかのぼってしまいました。
初対面でずうずうしいので、深いコメントは避けます。
言いたかったことはnakunaruさんの言葉には力があるな、と、思った事です。
私のページにもし飛んで行くと、明らかに馬鹿日記でヘンテコスタイルなので
えっ?!笑
って思うと思ったので、こちらにコッソリヒッソリ書きましたー。
難病で苦しむ辛い程ではないのですが、いつ治るか分からない病と闘い今年で6年。
旦那に理解され養って貰っていますが、一向に進展無し、医療費がかさむばかり。
ニコットではそおいう自分は見せないで行く
と 決めて割り切ってやっているので書くことは無いと思っていたのですが
やはり、頑張っている人。自分がまだまだ楽な世界に生きていること。痛感される日記を読むと
本心が動揺してカキカキしたくなっちゃうのですね!きっと。
それでは長文失礼します
こちらに転載しておきます。
そのことに気付いた時から、幸せを感じるチャンスはたくさんあるわけです。
Rinaさんと逆の方向へ行く人、多く出会い見てきました。
その中の一人のお話。
Rinaさん程の難病ではないけれど、治り難い病期になってる人。
学生の頃から付き合って、20数年寄り添って一緒に生きていくと当然のように覚悟している旦那。
何かと役に立たないかと仕事も用意し、色々なものを彼女に贈る母親。
そんな彼女は、色々な事にチャレンジして癒しを求めました。
でも、治るかもしれない状況になると、病気でいることを選択する。
治ることで、思いやってくれる人を失うのではないかという恐怖。
その恐怖の方が、病気での苦しみより辛いから病気でい続けることを選んでしまう。
そして、定期的に入退院を繰り返して症状の悪化した自分と状態の良い自分の状況を噛みしめていた。
入院先の医師曰く「普通なら、この状態で動くどころか意識があるのも在り得ない。」
でも、彼女は入院生活に嫌気がさしてくると、日常生活できる状態に迄回復して退院してくるのです。
そんな彼女は、何時しか本来の持病とは別の病気になったり治ったりするようになります。
そして最後は、癌になったんですね。
入院し、余命3カ月と宣告されます。
「何時までとも分からないではなく、期限があったらどうなんだろう」と言い出してしばらくのことです。
でも。それから何度か癌がいつの間にか小さくなったり少なくなったり、またで来たりして入退院を繰り返していました。(医師も考えられないと言っていたようです)
半年ぐらいはそういう繰り返しでした。
そんなある日
「見せたくないので、見舞には来ないで欲しい」といってから半年程たって逝きました。
精神的な面の事は書きませんでしたが、書いた中で分かる通り普通の方ではありません。
病期に已むなくなったのかさえ疑わしい状況です。
自分で病気になったり治ったりできる人だったのではないかと思わせるような人でした。
最後まで、病気である自分で無くなるのが不安で怖かったのであろうと・・・。
この人の方が、在る意味不幸なのかもしれません。
母親と交替で介護した父親が亡くなったことがきっかけで、神経症と腎不全になった人。
既に旦那と5歳になる一人息子がいた彼女は、其処から不眠症になります。
不眠症になると、ますます神経症に拍車がかかり、腎不全は悪化します。
そして心療内科で薬を処方され、副作用で太るため、体長はより不安定になります。
体調が不安定になるとますます神経症に拍車がかかり・・・という悪循環です。
問題をややこしくしているのは、神経症に対する医師の診断。
鬱症と診断して薬を処方していたわけですが、実際は鬱病ではないわけです。
症状としては、躁鬱病。
躁状態が発症すると睡眠時間を殆ど足らずに元気に頑張り続ける。
そういう状態が1週間~2週間程続くと反動で疲れて無気力で倦怠感で何もしなくなる。
こっちの状態に入ると、精神的にも落ち込んできて鬱になる。
医師にかかるのは、不安になる総体的な鬱の状態。
で、凡庸な診療科の医師ですと、ここで鬱病と判断する。
処方する薬は、鬱状態から躁状態に向かわせる薬。
どうなるかは想像つくでしょう?
そして、彼女と子供に実家で一緒に住んで老後を見て欲しいらしい。
旦那は、彼女に早く治ッてもらって甘えたい。
旦那の親は、盆暮れ正月など、事あるごとに泊まりに来る。
で、息子に小遣いを強請るらしい。(孫に土産を持っては来るが)
そして、旦那は母親の前では貰リストでイエスマン。
その癖、彼女の実家には行きたがらない。
でも、子供の面倒は彼女の母親が日頃みている。
大人の人間関係と母親の状態を一人息子は敏感に汲み取って、親に甘えることを我慢していた。
父親については、信頼はしていない息子。
この人間関係が、彼女をますます追い込んでいる。
彼女が病気の自分でいたい理由は、この身内の人達の彼女への依存度の高さにあるわけです。
頼る人は欲しいのに、頼るべき人は皆揃って彼女に依存する傾向がある。
病期になったことを恨めしく思い、早く治して期待にこたえて欲しがる。
状態が悪くて家にいて療養していると、入院して早く治せと催促する。
治すためにいざ入院しようとすると、家にずっといなくなっては困るので反対する。
実際に入院すると、旦那の母親がやってきてずっと居続ける。
それでいて、子供の面倒は彼女の母親が実家でみる時間が殆ど。
そして、誰も子供を合わせに病院へ連れて行かない。
子供に渡した携帯も旦那が取り上げてしまうので、話もできない。
堪らず、治らないまま子供に会いたい一心で病院から帰ってしまう。
もう少し周りの人間がどうにか支えてあげないと、彼女が心を持ち直す余裕が生まれないのですよ。
唯一母親を思いやれている息子は、まだ小学生。
有り難う。えーとね、今見に行ったら【非公開】になってたよ。
多分ね、いろいろあったからそれで、nakanaruさん自身非公開にしたと思うんだけど。
ここに、お返事お願いします。
取り敢えず明日は、通院日です。
栄養指導もあるので、一日仕事になります。
どこかをかばうと違うところを酷使してしまいますよね。
早くnyaoくんをお迎えに行きたいでしょうが
nyaoくんのためにも
無理なさらずゆっくり慣らしてくださいね✰◕‿◕)ノノ