モンスターハンター 騎士の証明~88
- カテゴリ:自作小説
- 2013/07/30 13:45:32
【遺して往(ゆ)く、想いは・1】
アルバトリオンにまつわる伝承の類は一切ない。それだけ人類の歴史において目撃数が少ないことの表れであり、姿を見て生きて帰ってきたものもまた、ごくわずかだからである。
逆巻く鱗に覆われた姿は闇のようであり、また光のようであると、大昔の書士隊の手記は語る。
ある古龍観測者は、混沌が形を取ったようだと言った。
どうやって生まれ、どうやって生きているのかは不明。出現条件も不明。
ただ、神域と呼ばれる地域から動かないことと、体内にとてつもない属性エネルギーを蓄え、操ることができるという事実のみである。
モンスターはそれぞれ、属性という概念があてはめられている。生態や彼らの棲む環境にもとづくもので、わかりやすいところでは、火山帯のモンスターは水気に弱く、水棲モンスターは熱に弱いといったものだ。
属性の相関、あるいは相克関係は狩りの成功には欠かせない知識だ。この地上に生きるどのモンスターにも、必ず弱点ともなる属性があり、ハンターは武器にそれらを駆使して狩りを行うのである。
しかし、アルバトリオンは多数の属性を体に持つという。どのような古龍でも、炎や雷、氷など一種類に特化しているのに、アルバトリオンだけは、複合して操る能力があるのだ。
これは脅威だった。
つまるところ、弱点がまったくないということになる。
今や伝説となっているハンター教官とその仲間が成し遂げたアルバトリオン討伐の件は、ギルド関係者の一部しか知り得ない事実だ。
しかし、彼らがどうやって討伐したのかは伝わっていない。
ならばなぜアルバトリオンを討伐することができたのか――それは当事者達にも謎なのである。あの教官なら、全員の努力の結果だ、とのたまうのだろうが。なにしろ、帰還時は全員が疲弊し、数日間は療養所で眠っていたのだ。あまりにひどい体験がそうさせたのか、皆、記憶があやふやだった。手元には煌黒龍の鱗や角の破片が残り、それだけが煌黒龍の存在を証明していた。
ロジャーは自室で広いベッドの背もたれに寄りかかり、アルバトリオンに関する書類を読みふけっていた。ナイトの装備ではなく、軽い布の上着にズボンという、楽な恰好である。
文書は、いくら読んでも謎は深まるばかりであった。わかるのは、相手が今まで狩ってきたモンスター以上に強いということだけだ。
(勝てるのか……本当に、僕達は)
立てていた片足を伸ばし、吐息をつきながらロジャーは書類を投げ出した。はらはらと紙がシーツを滑り落ち、磨かれた床に積もっていく。
石造りの壁、広い格子窓、きらびやかな照明器具や調度の数々は、すべてギルドが彼のために用意したものだ。
ロックラックやドンドルマなど、都市部に拠点を持つハンターは、階級に応じた住まい――ゲストハウスを与えられる。上位以上ともなれば、貴族のような部屋も夢ではない。ハンターの多くは流れ者で自由を好むが、中にはこのような部屋に住むことを目標に稼ぐ者もいる。
ギルドナイトともなれば、その責任と引き換えに豪奢な部屋を与えられるのは当然のことだった。ロジャーは贅沢に関心はないが、ベッドは格別に寝心地がいいので、この部屋は気に入っていた。
(それももう、見納めになるのか)
ロジャーはぼんやりと窓へ目をやる。暑さを和らげるために植えられた砂漠の植物が、たくましく日差しを照り返していた。
ギルドマスターからアルバトリオンの討伐を命じられて3日がたつ。出立までに、5日の猶予を与えられていた。装備や道具の準備には手間と時間がかかるので、入念にせよという配慮だ。
だが、ロジャーにはとても長く感じられた。
(いっそ、すぐに発たせてくれた方がどんなに良かったか)
時間が経てばたつほど、じわじわと未知なる相手への恐怖が立ち上ってくるようだ。
ブルースとボルトにも、この数日顔を合わせていなかった。ふたりともこの街にとどまっていることは確かだ。仮に故郷に帰るにしても、5日では短すぎる。
「はあ……」
ロジャーはため息をついた。狩りへの不安とは違う、何かやるせない思いを吐き出したかった。
未知のモンスターをこの目で確かめ、自らの手で狩りたいという思いは失われてはいない。しかしこうして間を置かれると、使命感とか大義といった感情が薄れて、どうにももどかしいのだ。
ザインはどうしているかな、と、ロジャーは銀髪のギルドナイトを思い浮かべていた。彼とは、クドの一件から連絡はない。
ギルドマスターにも慇懃に接していたが、必要以上に馴れ合うことを拒んでいるようだった。しかしその冷徹さは、むしろ見習いたいものだと思う。ドンドルマへ帰還するためにロックラックの飛行場へロジャー達が見送りに来た時も、彼は少しも笑うそぶりを見せなかった。
(彼は寂しいと思わないのかな)
3日間ずっとひとりぼっちでいたせいか、ロジャーは無性に人恋しくなっていた。
「外の空気でも吸ってくるか」
ベッドから降りると、ロジャーは衣装ダンスからギルドバード一式を取り出して身に着け始めた。任務の時以外は着用を義務付けられていないが、普段から着ているせいで、この方が落ち着くからだ。
ケープの肩にあるギルドの紋章をかたどった留め金を着けているとき、ふと、ユッカの顔が思い出された。
クドから帰還する飛行船の中で、彼女はほとんど口をきかなかった。前のように、熱を込めた視線でこちらを見ることもなくなった。今まで彼女を包んでいた柔らかい空気が払われ、その寒さにじっと口をつぐんで耐え忍ぶかのように、ユッカはどこかを見つめていた。
もう、あの可愛らしく笑うユッカはいなくなったのだ――。
思えばその時からだったのかもしれない。ロジャーの胸に、どうにも晴れないもやもやしたものが生じてきたのは。
ほとんど話すこともなく、ユッカはショウコと共にロックラックを離れた。ギルドマスターが、ギルドに貢献したことを表彰しようと言ったが、丁寧に断ったうえで、早々とその日の便に乗ってしまった。
ずいぶんあっさりしたものだなと、拍子抜けした。ユッカの好意には気づいていた。容姿と狩りの腕前のせいで、女性からは常にその手の視線を送られてきたし、誘いも途切れたことがない。
ユッカもまた、そのうちのひとりにすぎなかった。
ロジャーにとって、恋愛は取るに足らないものだった。女性の気を引くよりは、モンスターを追いかけている方がずっと楽しかった。狩りが自分のすべてだった。死ぬまでハンターでありたいし、着飾った女性よりも大自然を駆け巡るモンスターの造形の方がよほど魅力的だった。
はず、なのに。
ロジャーはケープを留め終え、じっと鏡に映った自分を見つめる。
(君が頭から離れてくれないよ……ユッカ君)