言わなくてもいいことが、ある
- カテゴリ:人生
- 2013/08/07 10:23:02
家で取っている地元の新聞には、地元の人が思ったことを書いて投稿する欄がある。
今はネットで掲示板があったり、こうしてブログ公開して自分の意見を言ったりできるけれど、そういうのがなかった昔の人にとって、新聞の投稿欄というのはこれらと同じ役目をしていたわけ。
もちろん今でもその機能は果たしており、ネットをしない高齢の方々などが、よく時勢や生活の中で思ったことなどを書いて投稿していらっしゃる。
だから、「○月×日付の某さんの投稿を読んで~」というレスポンスがたまにあったりして、さらにそのレスを返す人がいたりもして、なかなか読んでいて楽しい。
文章には、書いた人の人格がもろに出る。
政治について物申すといった内容は、60代から80代のご高齢の男性であることが多く、文体はふんぞり返って、評論家顔負けの意見を述べている文章が多い。
定年前はお偉いさんだったのかなあ。
主婦層は、毎日の生活の中で見かけたことについて感想を述べている。
こういう良い光景を見ましたとか、あれは良くない行動じゃないかしら、とかね。
こういうのはよくある投稿なのだが、「私はこう思うんです」という自分の見解を述べるにあたっては、その人の考え方、人生観がまるだしになっているのだ。
最近見かけた中年女性の投稿で、こんなのがあった。
その人は、高校生の男子がアホなことをやっているのを見て眉をひそめたのだが、自分で注意する勇気が出なかったという。
それだけならまだいい。蒼雪も度胸がないので、こら!とは言えず「けしからんなあ」としか思えない臆病者だ。
しかし。この女性はそんな自分を「自分は悪くない。だって今どきの若い子にからまれるの怖いし、問題になったら面倒だし」みたいなことを正当化して書いてたんだよね。
これを読んで、うーんとうなってしまった^^;
この女性は、自分の悪い側面も平気で正当化して「だってそうでしょう?」と読み手に同意まで求めている。
たぶん、根がバカ正直なんだろう。
でも全部さらけ出せばいいってものじゃないと思うんだ。
公衆の面前でバカをやらかす若いもんに注意できない臆病さは誰にでもある。
だから書くなら、「やつらのその行為は愚かだと思ったけど、注意できない自分の弱さも恥ずかしかった」と、すべきではなかっただろうか。
本当なら、バカやってる人には声を出して注意する勇気が必要なんだ。
でもこの女性と同じような気持ちがあるから、みんな眉をひそめつつも黙ってしまうんだよね。
この女性の投書を読んだ人は、きっと蒼雪と同じく、自分の卑怯さを鏡写しにされて、なんともいやーな気持ちになっただろう。
たとえ建前や偽善でも、人間は人間の白い部分、善意だけ信じたい生き物じゃないだろうか。
悪い光景を見てしまって、胸を痛める心は誰にでもあるもの。
なんとかしてやりたいと願う気持ちも多くの人が持ち合わせている。
でも現実には何もできなくて、無力を噛みしめている自分がいる。
みんながひそかに隠し持っている心の弱さだ。
それは人前で正当化していいものじゃない。同意を求めていいものでもない。
私は悪くないと言い張ることは、自分の心の貧しさを強調しているにすぎないのだから。
他人に読まれることを意識して、それを読んだ人がどう感じるか。
そういう配慮も、思いやりのひとつなんじゃないかな、と思う。
なんというかですね、正当化して良いことと悪いことがあると思ってます。
同意を求めることの内容によりますよね。
書いた人の本心と、それに共感する人とはどこか似通っています。類は友を呼ぶ、という法則ですね。
幸い、蒼雪のまわりの人達は善良な方々ばかりで、逆に私が気づかされておりますよw
何かやらかすんじゃないかと、おろおろして見守るのってこちらも気が気じゃないんですが、万が一のことがあったら、警察に連絡するなり、行動はしたいですよね。
心の強い行動力のある人、あこがれます^^
…自分も、つい正当化して書くことあるから、
うっかりブログにしてしまわないか心配…。
しかも、訪問者のみなさん優しいから、同意してくれたり…。
私がやらかしたら、蒼雪さん叱ってくださ~い^^;
そのまえに、自分で読み直して気付かなきゃだけど。
なんか夏だし、近所にたむろってる高校生が花火したりしてて、
火の始末とか心配します^^;
なんか異変あったら駆けつける体勢で窓から見たりw
前もって声かける勇気はなかったりして^^;
そうですね、おっしゃる通りだと思います。
この投書を採用した理由も、そういう考えに基づいてのことだと自分も考えてました。
自分の卑怯さをさらして正当化する行為そのものが、私は恥だと思ってます。
勇気が出ないのはみんな同じだけど、罪を黙認する行為をいけないことだと自覚することは、やめちゃいけない。
悪事を見て胸を痛める気持ちすらなくしてしまえば、もう世の中に善意なんてなくなってしまいますから…。
何もできないのなら、せめて良心は温存していってもらいたいな、と思います。
本当は、勇気をもって止めることが必要なんですけどね^^;
だから、眉をひそめつつも何も言えずに無視するっていうのは、もう正当防衛ですよね。
もちろん、このことなかれ主義が子ども社会ではいじめを助長させる温床となっているわけだけど。
でも「私が悪いわけじゃないよね、皆もそうだよね?」っていうのは、あたっているw
そうです、皆そうなんですよ!
でも、そこは自分の卑怯さをさらさずに袖で包んで隠してしまう。
それがいいことか、悪いことか、正直なとこ私には判断できないな。
この女性の投稿を採用した新聞社の方も、
いろいろ含めて、読んだ方が考えるきっかけになると踏んだから採用したんじゃないかなぁ?
こういう本音と建前を使い分けなくて済むような社会にできたらいいんだけどね^^
そうですね…今に限ったことではありませんが…いや、昨今は若い人が年上の人を敬うことをしなくなってきているので、昔みたいに近所のおじさんがよその子を叱る、なんて光景もなくなりました。
あったとしても、ご近所問題に発展してしまう世の中です。
さわらぬ神にたたりなしといいますが、さえらさんのおっしゃるように、自分だけでなく家族のことも考えると、うかつなことはできませんよね。
でも、そうしてしまう自分を恥じる気持ちは忘れたくないと思います。
その心がけだけで、だいぶ変わってくるんじゃないでしょうか。人への接し方、子どもへのしつけとか。
毎日自分が物事に対してどう感じ、反省して生きていくか。そのことを問う投書内容でありました(笑)
ひょっとしたら逆ギレされて、痛い目に遭う危険性もあるかもしれない。
そんな風に考えてしまうと、やはり二の足を踏んでしまいます。
本来ならば注意すべきなんでしょうけれど、「うっせー、ババァ!」とナイフでも出された日には、後悔しようもありません。
自分に何かあったら……、まず子供の顔が浮かんでしまいます。
私なら、下手に因縁を付けられないように、眉をひそめる事すら臆してしまいそうです。
見て見ぬフリをする。結局、それは私のエゴなんですよね。
社会に貢献するよりも、自分を守りたいと思ってしまう。
しかし、そんな自分の弱さやエゴを臆面もなく正当化しようというのは、恥ずかしいことだと思います。
「だって、私は悪くないもん! 悪いのは、あの人たちだもん。こんな世の中だもん」って、いい年して言えませんよ~
新聞の投書にしても、ネットの書き込みにしても、やはり自分が発信する際には、それを受信してくれる人たちに
責任と思いやりをもって発信したいと思います。
誤解やすれ違いが生じることもあるでしょうけれど、何も配慮せずに書かれた文章って、わりと一目で分かりますよねw
世間は夏休みのせいか、ニコタの回線も混み合っているらしく、画面を切り替えるたびにブツブツ回線落ちしてニコタからはじき出されてしまいます。これを書くのにかなり時間かかってしまいました(笑)
長文お読みいただきありがとうございました^^
そうですね、自分が傷つくのは怖いですから。警察も完全に助けてくれるわけじゃないし、防衛策として黙認も仕方ないとは思います。
でもこういう気持ちが、たとえばいじめ問題に発展してくるんですよね…。根が深いです><
こころの声を100% 出すって ほんと 勇気いるし
なかなか できるもんじゃないですよねぃ。。。ヾ(≧∀≦*)