薬品による自己の開放--薬物自殺 その3
- カテゴリ:人生
- 2013/08/10 10:39:54
いきなり前回からの続きでございます。
『開放されたドアから公園の緑の木々が見える穏やかな風景のなか、博士はまず彼女の静脈に点滴用の針を刺し、整理食塩液が彼女に流れ込むようにしました。博士がその流れを調節した後、ジャネットが装置のスイッチである手元のボタンを押しました。注入液は食塩液からペントソールに変わり、20秒ほどすると彼女は眠りにつきました。そしてしばらくすると、ペントソールが塩化カリウムへと切り替わり40秒後には彼女の顔は赤みを増し、更に30秒後には青ざめていき、やがて赤い斑点が現れはじめました。心電図は5分30秒を経過したとき、完全に直線になりましたが、彼女の心臓の鼓動はそれ以前に停止していたといいます。
ジャネットは英語の教師をしており、クラシック音楽を愛する厳格な性格の女性だったそうです。そんな彼女にとってアルツハイマーという病気は耐えがたかったのであろうとみられています。
この事件は、全米で尊厳死をめぐる大論争を巻き起こしました。自殺幇助の是非を問い識者や人権団体などさまざまな反応があった模様です。
もっとも確実に、安楽死を願うなら、このゲヴォーキアン博士に装置による自殺幇助を頼む以外に手段は無かったでしょう。91年10月にも2人の女性をこの装置によって自殺させており、博士のもとには問い合わせが殺到したといいます。博士がこの装置を使えたのは、彼の住むミシガン州には自殺幇助罪が無かったからです。日本ではもちろん自殺幇助罪が刑法によって定められています。ジャネットもそのため、オレゴン州からミシガン州まで出向いていきました。
針を刺される痛み以外の苦痛を味合わずに、眠ったまま死ねるのなら、たとえ人が見ていようとも、自分の部屋や国じゃなくても構わないという人は連絡をとってみるのも手だったでしょう。ただし病苦に苛まれていない相手に、彼がこの装置を使うとは思えませんが。そして残念なことに博士は既に故人なのです。
結局博士はその後、第一級殺人で逮捕されることになります。幇助した女性が全身麻痺のため装置のスイッチを押すことが出来なかったため、彼がボタンを押してしまったのです。最終的には第二級殺人として扱われ、刑期終了後は装置を使うことはせず、尊厳死の啓蒙活動に従事していたという博士ですが2011年6月に病気により死去しました。83歳だったということです。
(以降次回に続く
今日も盛んにおこなわれる脳死をめぐる論争なんかを思い出してしまいますvv
次回も楽しみにしています*+。