「かたうでの少年剣士」を読んで
- カテゴリ:スポーツ
- 2013/08/29 09:18:30
ぼくがこの本と出会ったのは、表紙をめくった時に、主人公の政文はかたうでで剣道をして、小学校六年生の時、個人戦で全国優勝したと書いてあったので、どんなふうに努力をしたのだろうと、僕自身剣道を習っているので不思議に思って、読み始めました。
ぼくが主人公の政文だったら、剣道を習いたいと思ったかもしれないけど、とちゅうでかたうで剣道をするのがつらくなって、やめてしまうかもしれません。学校生活で「手なし人間。」と言われ、いじめられると、もう学校に行けなくなるかもしれません。
でも政文は、百段の石段を竹刀をふりながらうさぎとびするのを4~5回もできるようになるということから、政文の剣道に対する熱心さ、精神力、体力がとても強いんだと感じ取ることができました。
なぜ政文にこんなに精神力があるのか考えてみると、「手なし人間」と言われたときに、「ぼくには剣道があるんだ。」と思えることと、お母さんとお父さんに、自分たちのせいで息子がこんなことになったと思わせたくないからだと思いました。
ぼくは政文に剣道を教えてくれた、教士五段の先生はもっと大変だし、つらかったと思います。それは、政文のために竹刀をけずったり、政文のけいこ台になってみみずばれができたりしているからです。そもそもその先生も身体障がい者なのに、政文を強くして、勝たせたいという気持ちがすごく強いと感じ取りました。先生は薬のアレルギーで全身マヒになって、つらい歩行練習をしてやっとふつうの生活ができるまでになったそうです。かた手にまだ少しマヒが残っていて、政文と似た状態で剣道をしているということです。それで、政文にも剣道を教えてくれたし、応えんしようとしてくれるのかもしれません。
政文も三年生の時、将来の夢を聞かれて養護学校で手や足の不自由な人たちをはげますような仕事がしたいと言っています。自分の感じたことはつらいことでも、同じようにつらい人をはげますことができると思います。
ぼくも政文と同じように、日本武道館の試合に行ったけど、補欠でした。来年は絶対に選手になって、優勝して、優勝旗を持って帰りたいです。
政文にできていて、ぼくには足りないことは、自分から工夫して直したり、考えたりしていないことだと思います。燃えるような闘争心がなく、気迫に満ちあふれていないこともあると思います。「絶対勝つ」という意気込みが足りないのかなと思います。
ぼくがこの「かたうでの少年剣士」を読んで変わったことは、読んだあとに、政文が死にものぐるいで努力して、その努力が全国個人戦優勝を成しとげたので、ぼくも政文みたいにいろいろ工夫し、努力していけばいつかはそれが実り、試合でもけい古でも剣道の楽しさがひしひしと伝わってくるかもしれないし、強くもなれるから、一石二鳥と思いました。