こんな夢を見ました
- カテゴリ:日記
- 2013/08/29 12:37:45
誰かが描いた2枚の神様の絵があって、色鉛筆で描いた素朴な絵柄。
向かって左はグレーのお地蔵様のような男の神様、右が華やかなピンク色の女神様。
女神の方は、ラクシュミだそうな。
絵が語りかけてきました。
神は、救いようのない深い海の淵にいる
なぜなら、信仰で人を縛り付けるからだ
…だってさ~。
神は神自身が、もっとも罪深い存在だって言ってました。
だから、自分たちは地獄にいるも同じだそうです。
目が覚めたあと、なるほどな~と納得しました。
宗教で人が争うことはもちろん、欲に身を滅ぼし、救いを求めてすがりつくあまりに、視野がせまくなって自分で考えることをしなくなる。
新旧ともに、世界中ほとんどの人が宗教に入っている。
貧しい国の人々が、必死に巡礼をして、毎日お経を唱えるのは何のためか、と…。
そりゃ、暮らしが良くなりますようにということなんだろうけども。
必死なのはわかる、神にすがる気持ちも痛いほど。
でも、その無垢さが、どうも神様にはよくないらしいよ。
その視点から抜け出して、一段階高いところをめざせと言いたいらしい、たぶん。
という夢でした。
あまりにはっきりした言葉だったので、ちょっとここに書き留めておきます。
余談ですが。
古事記ガールって番組をNHKで放送していたけれど、案内役の女優さんが「ここパワースポットですか?w」って嬉々として尋ねていた姿は、きれいな風景と対照的で、見ていて恥ずかしかったです。
プロデューサーにそう言えって言われたのかしらないが、もうパワースポットという名称や、そこへ我欲の祈願で詣でることを推奨するのはやめてほしいと、切に願いましたw
某スピリチュアルカウンセラーが散々宣伝したせいで、悪い意味でパワースポット巡りが流行ってしまいました。
純粋にそこへ行きたくて旅行するならともかく、「ここにいけば願いがかなう」という気持ちで行くのは絶対によくない気がしまする…私見ですが。
もう、パワースポットという言い方は時代遅れな気がしてならない蒼雪でした。
小鳥遊さんは、正しいお参りの考えをお持ちなんですね^^
お守りも、それを持つ人の励みになることもありますから、相手に渡す時も、ちょっとした気持ちのプレゼントだと思います。
お守りを持ちすぎるとパワーが干渉するという説は嘘じゃなかろうかな。
お守り自体はただの紙きれ、そこに持ち主の欲や邪念がフィットしやすいからかと(笑)
神社もいろいろあって、神気ただよう由緒あるところもあれば、俗にまみれて神社なのかどうかも怪しいところもあるので、私の経験からすれば、神社やお社を見つけたからといって、むやみにお参りはしないほうが良さそうです。
神社を見つけた時、「ああ、お参りしなきゃ」と、義務感や強迫観念にかられるならやめた方がよいですね。
なぜかというと、そうする行動に、「ここでお参りして置けばいいことがあるかも」と期待する自分勝手な心を置いてきてしまうから^^;
お墓や、山の中にある祠とかも拝んでは駄目。もし拝みたくなったら、願い事は絶対に念じない、これ鉄則です。
願い事をすると逆効果になりますww
じゃあ神社で祈願するなってことかといえば、またちょっと違うんですね。
願うことが悪いのではなくて、願ったあと、努力するかどうかってこと。あとは実力と運ですね。
祈りは、決意表明だと思ってます。
他人のことを願うなら、その人への思いやりですよね。その温かい気持ちが相手に通じて、安全につながるんだと私は思います。
パワーストーンは効果がまったくありませんね~。
高価な宝石を身に付けたら力が湧いてきたとかいいますけど、それは気のせいです。
プラシーボ効果みたいなものじゃあないかな。
そのアイテムを持って、その人が前向きに元気になれるなら、単なるアクセサリーとして良いと思います。
借金してまで手に入れるものは不幸です(笑)
パワースポットも人それぞれですよね。
私のスポットは近所の眺めの良い場所です。お墓なんですが(笑)
夕暮れ時にそこから見下ろす街や、神社のある鎮守の山を見ると、たまに天国みたいにきれいなんですよ^^
観光地化はしょうがないですね、お伊勢さんなども大昔から巡礼地として観光スポットでしたし。
歴史ある寺社仏閣を見て教養を深めるもよし、何か祈願するも好しだと思います。
あとは日々のこころがけですよね。
『こちらの土地にお邪魔します』と挨拶を(^^)
手水を使うとすっきりしますし、巡り合わせも何かのご縁と思い、参拝させて頂きます。
お祈りは、何かを叶えて貰おうというよりも『いつも有難うございます。これからも見守っていてください』
という感じです。
願いを叶えるのは自分。
ただ、私は弱い人間なので、見守ってくださいと(^-^;
ご利益を期待する御守り類は、自分用には滅多に買わない方です。
お参り出来なかった人の為に、その人への励ましに買い求める事ならあります。
妹が受験生の時には学業成就、最近は友人への安産祈願など(^^)
パワースポットという言葉。
なんだか、パワーストーンの次に流行りだした気がしますw
何の情報もなくても、その場所で何かを感じたり、癒されたりしたら、そこがその人にとってのパワースポットなのかなぁ~くらいの認識でしたが、実際は観光名所として取り上げられているんですね~
そうそう、まさにそれですよ。
神様のためといいつつ、神様のせいにしてる。
神様がどういう存在なのか私にはとんとわかりません、説明もできませんが(笑)、でも、彼らが人の安易な願い事をかなえるためにいるのではない、ってことだけはわかりました。
私も、夢の言葉を聞いたときに、頭に地球が浮かびまして、今も紛争が絶えない宗教国とか、チベットのあたりが思い当りました^^;
私も別に宗教家じゃないし、ほんというと、こういう話をするのも恥ずかしいんです。
だいたいね、何か特別な体験をしたって語る人は、自分が他人とは違うんだっていばるのと同じじゃないですか^^;
テレビの肝試し企画とか、霊体験の話は、もう見る気がしません…いたずらに霊を騒がせて、自分は特別なんだとアピールするその性根が嫌で。
でも、こうして書くことで、誰かが読んで、何かに気づいてくれたらいいなと思って勇気を出してますww
出雲大社は、伊勢神宮と並んで、いつか行ってみたい場所のひとつです。
何も願い事しなくても、しみじみと土地の気配を感じるのが、ある意味正しいお参りかもしれません^^
確かに、パワースポットっていうとなんかもう俗っぽいですね。その土地に失礼な気がしますw
私は無神論者だけど、蒼雪さんの夢に出てきた神様の言う事って、今戦争して命を奪いあっているひと達に聞かせてあげたいですね。
ちなみに出雲大社に何年か前行きましたが、信心がなくても、なにか沁みてくるものがありましたよ^^
パワースポットっていうと、いきなり俗っぽくなりますね(笑)
いやいや、REIさんを皮肉ったわけじゃないので、どうか誤解なさらず^^;
パワースポットって言い方は、今や定着してしまっているので、わかりやすい聖地の呼称としてはやむをえないと思ってます。
REIさんも、きっと縁があって出雲へゆかれたと思いますし、お人柄はブログや写真などで伝わってきてますから^^
そうなんですよね、お寺や神社側も観光収入のために、たとえば縁結びだとかに効果があると打ち出して、いろいろお守りなど売っていますが。
そういうのを買うの、別に悪いことじゃないんですよ。寺社も維持費が掛かりますし(笑)
その手の場所に行けば、欲が出てしまう気持ち、わかりますw
自然な心の動きですからね。私だってお金欲しいですしww
ただ、願掛けのために詣でることは、「~すれば~できる、問題が片付く」という考えから逃れられないんですよ。
おっしゃるように、心の問題ですよね。
私が昔占いに凝っていた時期があるから言えるんですが、神仏や占いに自分の願いをかなえてもらおうとすると、ある程度は通じるけど8割がた心が不安定になります。
自分で決めないで、よその人が書いた勝手な予想図に踊らされるから、自信がなくなってしまうんです。
パワースポット巡りにすがろうとする人は、その考えが根付いているから、人生うまくいきません。
やるならお遍路にすべきでしょうね。もちろん、自分で歩いて(^▽^;)
由緒ある神社などは昔から敬われてきた土地なので、普通とはちょっと違う感じがします。
だから、騒がないでそっと見守る感じで訪れるのがお互い良いのではと(笑)
だいたいその手の場所は自然がきれいなところなので、癒されにゆくのは良いとも思いますがw
あはは、パワースポットね。先日行ってブログに書いちゃった私ですが(^-^;
でも、まぁパワースポットを意識してのことではなかったですが、観光地側もそれを前面に出しちゃってますからね(^_^;)
嫌でも「ああ、ここはパワースポットなのか」と、行く側も意識して余計な欲をだしてしまいますね。
そもそも、神の存在自体あやふやなものですから、人それぞれの大切な場所ってありますもんね。
結局は、心の問題ですね(*^^*)