Nicotto Town



考えないって凄いなぁw

 岩手と福島、ずいぶん距離あるんだけどなぁ。

 というか、多分飛び交ってる批判が、ある意味一部だけを誇張して話題にしたものなんだけど。

 ってな、稀に見る駄作だった次にあたる朝ドラマの変な論評。

 ドキュメントではなくドラマなら、それは主人公や周辺を基準にした視点でえがかれるわけで、地面が揺れて、人災に近い形で「大事故」が起こっても、大事なのは事実を記すことではなく、当事者に主人公がなっていないなら、「なくてもおかしくない」んだがねぇ。

 そもそも、フィクションなので、中で起こってることが基本的に捏造されたものであって、何でも事実で、近い過去を題材にしているから、拾わないとおかしいという感覚が、視野狭窄でおかしい。あんな曲が「あの時期に」リリースされていた事実も、「昔あの映画があった事実」も自分の記憶にはないんだがねwそんな作品なかったぞーから、騒がないと「事実以外」や「おきたことを拾う」なら批判しないといけなくなる。

 誰かの仕事や物言いなんて、たたこうと思えばいくらでも捻じ曲げてたたけるものなんだなぁ。

 まぁ、あの大事故の近辺が舞台だったら妥当性がなくもないんだろうが、あの距離なら、まだ、いろんな影響や、事実確認などはできていないはず。
 だれかをけなそうとするひとのロジックはすげぇ。

 気がつかないとおかしいとか、知ってて、瑕疵を放置したとか、論理としておかしいとか、そういうことには文句を言えど、人のやらかした何かだけをあげつらうつもりは自分にはない。

 いや、第三者から見ればろくでもない人間という意味では大差はないのかw

 でも、「自分が気に食わない」とか「誰かの批判に乗ってみる」とか、そういうことが基準なのはどうなんだろうって思うんだよなぁ。
 「自分が」おかしいと思うならまだましだけど、「どっかの記事」の「劣化コピー」とか、それを真として自分が考えたように錯覚するなら人として終わってる。

 検索エンジンやインターネットは多くの誰かの知識や考えを記録したもので、間違っていないこともあるが、「誰も書かなかったものは存在しない」のだから「そこにないことが存在しないものでもないし、書かれていることだけが事実ではない」んだけどね。
 検索した結果で全てすむなら、google先生がいれば「君は要らない」ってことになるんだが、そこに至る前に思考が止まる素敵さ。
 先生に頼ることくらいはできる俺優秀?いや、結果を吟味し、精査できてこそでしょ?
 それが幸せなのか不幸なのかはわからないけど、自覚しない痛みや苦しみやおろかさならそのほうが幸せなのかもしれないよね。

 どうせその壁を越えたところで、もっと優秀な人がいたりするわけですし。




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