黒川温泉の宿泊拒否の事件で知ってるとは思うけど。
- カテゴリ:日記
- 2009/08/13 03:49:33
さっきまで、背中にカナブン2匹、つけて歩いてたって
気が付いてなかったっす。
私の眷族か?
せめて、コガネムシだったら良かったのに。。。
小金貯まりそうだ。
菊池に、とても気になる場所が有る。
そこを通ると、息苦しくてならないのだ。
聞けば昔、ハンセン病患者の診療所だったようだ。
長い壁に囲まれて、小さな木戸が一つあるその様が、
異様で、とても差別的で、通るたび、私は気分が悪かったんだ。
「らい予防法」が無くなったのは、1996年だったんじゃなかったっけ。
それまでは、「公共の福祉の名の下」に、
人権無視の強制隔離、収容、患者撲滅が行なわれていたんだよ。
入所規定はあっても退所規定はない。
入り口有って出口無し。
長い壁は、脱走を防止するためのものだったんだ。
男性は、断種手術を施され「民族浄化」
優生手術の発端だよ。
女性だって、掻爬だ。
脱走するじゃない?どうしてもね、辛いもの。
それに対してね
「もっと強制力のある法律を。手錠をかけたり、逃亡罪であったりと」
と医師団は要求するのね、国会で証言するの。
それが昭和28年。
「らい予防法」の制定は、明治40年。
民主主義になったはずの昭和28年に、まだこんな。
しかもね新薬が発見された後だったのよ。
あの壁の中で、どんなことが起こっていたんだろうと思う。
退所規定が無いのは、1996年まで生きていた法律の中でだ。
ごめんね、この問題って、とても膨大で、うまく一口で説明出来ない。
名前も変えさせられて、生かされる。
一生この隔離病棟からでることは許されない。
死んでも、国の墓に入ることも無い。
死んですら、外には出れなかったんだ。
そういう場所だったんだ。
それを知る前から、なぜか息苦しかった。
それだけ、いろんな人々の、苦しみと悲しみが、
染み付いている土地なんだろうなぁ。。。
その人達の一生は、いくら誰が謝ったって、
もう戻っては来ない。
うん、ど考えて良いのかわかんなくなる時はあるのよ。
どっちも人権を持っているわけだから。
ただとにかく「フラット」で、正確な情報を提供してほしい。
あとはこっちで考えるからって思う。
そしてね、次世代にね「自分で考えて何らかの答えを出せる」能力が育つような教育してほしい。
そんだけなんだ。
どうも、役人の『点数稼ぎ』のニオイがしてなりません。
そう、HIVも、収容規定は外されてるものの、条文は『らい』を『HIV』に書き換えたものですし。(ほぼ)
私だってね、知らないことが多い。
早くから、実家を離れたからね、もっと親元でいろんなことを知るべきだったと思う。
「これはどう考えるべき?」と電話するのね、父母に。
そして答えの糸口を、いまでも貰う。
疑問は沢山あって「どう考えるべき?」「どうしてそのように言うの?」
私はいつまでたっても、「どうしてどうして?」を、父母のみならず、
いろんな方に訊いてばかりです。
自己防衛はしなくっちゃいけなくて、HIVにしたってね、抱きしめても大丈夫だけれど、
キスして、口内に小さなキズがあると、かなりの度合いで感染する。って、難しく無いかい?
やっぱそこに大きな愛が必要だもん。
ただ、勇気の証明で、それをしようとは思わない。
やっぱ「愛」の構築が無いと、乗り越えられないものはある。
などとは考えたりする。
難しいね、ほんと。
ニュースはちらっと聞きましたが、それもよく解ってませんでした。
まして、そんな法律や施設があったことも・・・。 恥ずかしい限りです。
HIV患者にしても、ライ病にしても、正しい知識を得ることがスタートだと痛感します。
うつるかも、と言われていて、それしか知らなかったら、
相手を抱きしめる事を躊躇してしまうのは当然ですから。
私が育った福岡は、適当に都会でかなりの田舎で(笑)、諸問題がとても身近だったわけです。
雑な土地柄です(笑
同和問題にしても、そうね、在日の方々の問題にしても、拉致にしても、それはもうてんこ盛りで
小さいころから判断を迫られながら生活していたわけです。
みんながみんなだったかは、分からないのですが、知ろうとせずとも、勝手に入ってくる知識でした。
光が当たれば、影ができる。穂は実ればコウベをたれる。作用があれば反作用。
そんな普通の生活の中にあるものが、すべて先生であるのに、そこを受け止めるのにも、感受性が必要で。
簡単なのに、簡単じゃない。
chocoさんが、そういうことに気遣っていると、私はなんとなく知っていたように思います。
そこで心配なのは、顔に出さない(これは一部分の比喩ですが)ことを心に決めれば、
かなりの負荷が、自分自身にかかります。
心の痛みもさることながら、肉体の痛みに関しても、「訴えない子」になってしまうんです。
口に出しても、相手が感受性がなければ、大したこと無いと受け止めてくるわけです。
ただ、もうそのときは、自分自身、感情的に訴えるという術を、忘れてしまってるのです。
相手に対して「訴える」というのも、テクニック的には必要だ、と、ようやくこの頃知りました。
そうしないと、自分の体が持たないのです。
ライ病と呼ばれていた頃の差別の話しも、また同和問題も、その他の差別問題も、逆差別キャンペーン
も(?)知識としてしか知らず、その知識レベルすら低い私ですが。。。
心の教育、自尊心のレベルを上げる教育といえばいいのでしょうか?与えられる情報を鵜呑みにしない、
こういうことをする自分は人間的に恥ずかしいと思う水準上げ、そういうことの大事さには共感します、
とても。小さなことだと自分の病気でも友人の態度が変わったりして傷つくことありましたもん。
「知らない」という罪、できるだけおかさないようにして生きたいと本当に思います。すぐ下できなこさんが
書いている、すぐ表情に出さない、受け止める、ということは私も気をつけていることです。。。
あ、どうも、こんにちわ。
こちらこそありがとうございます。
加担しないとも限らない、その恐怖は常にあります。
おっしゃる通りです。
つねにシュミレーションしていないと。。。と思っています。
これってとどのつまりですよ、自尊心の強さの問題だと思うんですよ。
「自分が愛せる自分である判断」をし続ける事。
流される流されないは、対ヒトや対クニ、じゃなくって、対自分。
ここでこうしちゃったら、きっと格好わるいだろうなぁ、後々。
だからいまスポイルされても、曲げない事にしよう!
人を蔑んだり、虐めたりは、格好わるい事なので、そんな格好わるい事を私がするなんて
とんでもないっ!国が何と言おうと、私は格好わるい私をぶら下げて、生きていきたく無い!
そんな出発点です。いつでも。
私が家から受けた教育で、それは色々あるのですが、
「顔に出さない」ことでした。ドキッとする光景を見ても、顔に出さない。
その「ドキッとした顔」「嫌悪した顔」が、相手を傷付ける可能性があるから。
そこは堪えて、話しを聞いた後、また判断材料が出来た後、泣くも良し、笑うも良し。
ただ、表情を無警戒に、無防備に表すなってことでした。
訪問とコメント、ありがとうございます。
未熟なんだよなぁ、と、いつも自分にガッカリです。
言ってる事、スゴく解るのよ。解るの、その怒りどころね。
ただね、ここにあった「小西」ってひとが、善意で動いてないとは思えなかったんだ。
らい予防法以前は、ハンセン病ヘの扱いだどうだったの?世間は。。。ってことね。
発症した後は、物乞いの放浪を強いられてたよね。
見た目をやはり嫌っていたよね、うつらないってこと、経験上知ってたのにね。
感染は、やっぱり国のコマーシャルによる認識だ。そこはその通り。
家の話になって恐縮だけど、戦争を「負け戦」と解っていたのと同じ感覚で、
ハンセン病がうつらないって確信してたのね、ヒヒジジも。
炭坑の町に引っ越した話ししたよね、軍を退いた後。
その時にね、ハンセン病の人を匿うの。頼って逃げて来るからね。
知ってる人は知ってたのよ、ウツンナイって。
かくまっちゃ、見付かって連れて行かれる背中を見る。
その繰り返しだったのね。
チクったのは、やっぱり近所の人なんだろう。
負け戦って解らずハタを振って、熱狂していた国民は、
やっぱりバカだから、その感覚を同じくして「ライ病患者」を差別したのね。
国策に利用されるのは、バカで田舎モンだからってとても極論だけど、
「田舎モン」って言葉が、単に田舎に住んでるからって意味じゃないとするならば、
「バカで田舎モン」だから、乗せられる。
いくら言っても解らん訳だ。
卑しい心は、つねに自分より下を見つけたがる。
「差別」したがる。
それが無いと安心して暮らせないんだわ。
同和問題もそう。
(本人達もそれを利用してるから、いまは「逆差別!」と言いたくなる事多いけど)
今の生活が荒んでいるから、下見てどこかに「優位性」を見つけるんだわ。
人間なんか、ほっとけば貧しいんだと思う、心が。
国には頭に来るよ。確かに頭に来る。
だけどね、それに倣う国民に頭にくるのね、
ちょっとは考えろ!って思うのね。いくら国から言われてもっ!
ほんと迷うんだよ。
解らない事だらけだ。
でもね、だれが弱者かって考えるとね、そっちに顔向けてて間違いなかったりするんだよ。
この弱者の判断が、難しかったりするんだけどね。
臓器の件、私も判断が出来ない。
ただね、自分の事であれば、簡単だ。貰わないよ、臓器は。
あげれるものは、あげるけど。
じゃ、子供だったら。。。。判断出来ないから、子供を生まない選択をしている。
コマーシャルの国ですものね、その国は。
そんでもって万人肉食で単純と来てる。直情的だ。
もうちょっと考えようぜ!と言いたい国です(笑
与えられた情報を、つねに自分で判断するには、それなりの資質っていうか
土壌っていうか、イマジネーションっていうか、この教育がなされてないところには
育ち難いもので、はたしてどんだけいるのさ、そういう人。。って思う訳です。
「考えない」ことを強いて来た教育要件?他に言い方あったよね、なんだっけ、忘れた。
まぁそういうカリキュラムの中でね、育った世代にどうしろっていうのさ、と思う。
家庭しかもう、無い訳ですよ。
でも、それを教えられる親ってのも、どうなんでしょう。あんまりいない。
高校選択で、ほぼ一生が決まって来るってこのごろホント思う。
「行くだけ」の高校を選択すると(また選択せざる得ないと、成績の所為でね)
後々にこんなに響いて来る訳っすよ。
「?」って思う気持ちだけでいいんですよね。
与えられる情報に「?」って思うだけで良い。
そこからですもんね。
と、話しが随分横道ですが、危惧するのはそゆことなんです。
訪問ありがとうございました。
KINACOさんの文章からも、問題の大きさと痛ましさが十分に伝わってきます。
折に触れ、できれば避けて通りたい問題を掘り起こして考えるのも、やっかいですが
大切なことです。
この問題は一口で言うと、怖い、がわたしには一番ぴったりします。
何かしら落ち着きのないザワザワした感情
それは、やっぱり「共犯」という怖さですね。
その時代に生きた時、身近にいたら、どうしたか。
人として問われる決断を、最終的には法律だから従うしかないけれど
切り捨ててしまったのだろうか、と。
わたしの持っている写真集「絆」には、ハンセン病の元患者さんたちが
実名で写されています。
最初はドキッとする容貌の方もおられます。
施設に収容されて、辛い思いで怨みを持たれても当然なんですが
自分の為に親族に害が及ぶことを心配し、耐えられた人も多かったようです。
ご家族の皆さんも、残された親族を思い泣く泣く別れたケースもあります。
決して他言しない決断は、それぞれの胸の奥に重たい罪を背負わせたことでしょう。
その時、自分ならどう決断したか。
知っていても、どうしようもないことは、実はこの世界にたくさんあります。
それでも知らないでいれば選択する機会を失うことになります。
常日頃、機会があれば、考えておかないと
本当にそういう決断を前にした時、大多数の意見に流されかねません。
いえ、むしろ、わたし自身が当事者ではないという
保障もないし、
でも、一番怖いのは、加担することです。
KINACOサンの提示してくれた書類、読みました。
なるほど、民衆の無知蒙昧振りが、ハンセン病患者の社会復帰を妨げた一因なのでしょう。
でも、旧らい法制定にあたり、人的資源の健全さを害する者を強力に排除するため
「恐ろしい伝染力を持つ」病気であると喧伝したのは、政府ではなかったですか。
その情報操作に踊らされ、永年にわたり、ハンセン病を恐れ白眼視した国民が
無知蒙昧で、愚かでないとは言えません。
けれど、己でまいた種が見事に実っているのを見て、
刈り取る努力もせずに、「環境が整っていない」と言い放つ態度については
怒りを禁じ得ないのです。
KINACOサンの提示なさる問題は、
難しく奥深いものが多く、言いたいことはたくさんあっても
上手くまとめられない自分が、大変もどかしいです。
さらに、この件については、本当に調べるのが難しいです。
実は未だに、臓器移植法などについても
悶々と細々と調べたり考えたりしてるわけで。
トロい上に愚かで、本当に情けないっす。
情報操作は行われていないだとか
本気で信じている人が多くを占めている以上は
知らないという罪は重ねられてしまうね。
全てに立ち向かえる勇気も力も無いのが情けないけど
無力は無力・・・無力なりにできることは
やはり、ちょとした気づきと知ろうとする気持ちかな?
あの自由が売りの大国だって、大衆操作で成り立っている。
いまさ、ふと思ったんだけど、「マックスファクター」ってさ、あの化粧品の。
最高の成分ってことかい?
要因とかの他に、成分って意味もあったよね!
「犯さない」ってことが大前提だよね。
「幸せを望む」域にまでいかなくっていいから、せめてよ、人の生活を脅かさない、犯さない。
せめて、せめてよ、それがあるといいね。
ほんとだねぇ。
病気ってさ、なんなんだろうね。
前アナタがいったじゃん?抗酸化の話しかなんかの時にさ、
「んじゃ、永遠の命?」ってこと。
でもさぁ、永遠の命も拷問だよね。いらない。。。
でもさ、私を残して死なれたく無いよね、誰にも。。。
でも、私を残して死んでくんだよね、いろんな人が。。。
なんて考えたら良いんだろうね。。。
人の心にはそんなもんもあるんよなぁ。
誰もが生きたいと思っているし、あわよくば幸せになりたいんだ。
それを邪魔する権利は誰にもあるはずが無いのにね。。。
そして病気ってのも辛いわ。
病気になるファクターってなんだよ。
運命かよ。
そんなもん、いらんわ。
bジェーンさんの好きなとこってね、
自分が差別心があって、でも、それじゃいけないと思っててってこと
隠さないでしょ?
率直な人だなぁっていっつも思うのね。
そこ大好きです。
誰だってね、あるよ。
知っていても、やっぱり躊躇ってある。
それを打破するのは、かなり「飛び越える勇気」が必要で、
それは私だって同じ。
それってね、必ずしも「差別心」ってのじゃなくって、自己防衛なのかもしれないよ。
うつらないって知らなければ、警戒するでしょ?
知ってっても「ホント?」って。
だってね、エイズだってね、そうじゃん。
安全だからと言って、わざわざセックスはしたくない。
なんの手違いがあるか解らない。
愛があって乗り越えるけれど、自分の差別心の無さの証明で、わざわざ性行為に臨みはしないよね。
どうしても防衛は考えてしまうんだよ。
相手の人権を守るってこと、それが大事なんだと思うよ。
今も昔も、塀で囲われている中では何が起きているか、誰か?が見ていなくては
いけないということですね。
自分の中にある正義感と差別心と、色々な思いがあって、複雑。。。
今となっては実名を探そうとしても、
尽力した方々の名前は容易に出ても、あの法撤廃後においても尚
「触るのもイヤだ」と宣った、日本ハンセン病学会の会長の名前がなかなか出て来ません。
末代まで恥を晒して欲しいものなのに。
私は、そこそこぶっ飛ばして読みました。
そうしないと、上等な頭は、すぐにショートです。
大事なとこだけ、巧く拾っちゃって下さい(笑
後で、必死に読みます。
私はとても簡素な言葉を選択するクセがありますし、それしか出来ないともいえます。
生来の気質もあるのでしょうが、フラットに聞こえる書き方しか出来ません。
大きな問題が、大した事無いようなっていうか、重く書けないのです。
正確に伝わっていないのではないか。。。という心配もあります。
とにかく軽い訳です。ワタクシは。
皆さんの読解力と、構築して来た人間関係に(笑)委ねている部分が大きいのです。
亀吉兄さんのお友達「黒猫手鞠さん」の6月23日のブログを教えて頂きました。
この件に関して、私のブログよりも、正確で真摯でいらっしゃいます。
お時間があれば、どうか覗いてみられて下さい。
私の筆力は、この程度なので、心配なのです。
あと
http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/5.pdf
このレポートを覗いてみて下さい。
途中で、何故法律撤廃が遅れたか。。。差別側でない人まで二の足を踏んだ訳が、ここにあります。
「知らない」という「罪」を、見せつけられた気がしました。
ありがとうございます。
訪問させて頂きました。読んできました。
亀吉兄さんも
http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/5.pdf
時間があったら、このレポート読んでみて下さい。
自分自身が加担していたのだ、この法律撤廃の遅れに。。。と思ってしまいます。
無知は、人を傷付けます。
自分が不当な扱いをされる側にもなり得ます。
いま考えておかないと。。。そればかりでアセります。
限られた人生の中で出来る事なんか、ほんとわずかです。
自分が当事者だったらとか、今みたいに情報や、知識がなかったら、
同じように、差別していた側の人間になっていたかもと思うしね。
お友達に、黒猫手毬さんというステキな女性がいらっしゃいます。35725島。
6月22日の、「ハンセン病、名誉回復と追憶の日」にちなんで、
6月23日に、ブログを書いています。時間があったら、読んでください。
楽しい念って残り難いけど、悲しみとかはグルグルするから、残るのかなぁ。
苦しみも、憎しみも。。
何か言いたいんだね、きっと。
なにか知ってもらいたいんだね。
平和って一言だけど、大きな事だね。
>それだけ、いろんな人々の、苦しみと悲しみが、
>染み付いている土地なんだろうなぁ。。。
壁の外の人達にも何かを訴えたかったのかも・・・
苦しみや辛さ。そこにはそーゆー念が渦巻いているのかな・・・
誰もが心やすく平和でありますように・・・・
それ、とっても解ります。
弱く無いです、たしかに(汗
ただですね、その方達へのフラストレーションが、寝たきりの人に向けられたり、
判断力を欠いてる人達への、不当な扱いに現れるのを懸念しています。
ですから、介護の方々、看護士の方々の立場を、もっともっと高いものにして貰いたいの。
評価してもらいたいの。
お金に換算して差し上げて欲しい。。。
高給は、心も育てる場合が有ります。
正当に評価された方は、なかなか卑しい心は出難いもんです。。。
うん、ベンハー見ました。。。そうでしたよね。。。
栄養事情も有るんでしょうね。今は日本での発症は、年間0〜1人らしいですね。
じゃあ、過去に不当な扱いを受けて来た人達に、どうすれば良いのか。。。
むずかしいです。
もう、その方達もご高齢です。
間に合わなかった人達は、無念のママ亡くなったって事ですよね。
それに今更名誉を回復といったにしても、受け入れる側の私たちの意識は育ったんでしょうか。
そんなことを考えると、ますます。。。なのですだ。
でしょでしょ?
なんでヤツらはくっついてんでしょうね〜、いつの間にか(笑
難しい問題だよね、人権を守るって言う事は。
そもそも「人権」ってなにさ。。。まで立ち戻ると、ほんとツライ。
自分の人権、相手の人権。。。
そうなの。。。
さっきねでも、見つけたレポートにねあったんだけど、
撤廃が遅れた訳、これは必ずしも差別的な見地からではなかったってこと。
世の中の理解が追いついていない時に「保護」の側面もその当時は出来ていた施設から、
解き放ってしまう法律よりも、もっと先に、一般人の理解が追いつく時期を待たないと。。。
という側面が生まれていたとのこと。
隔離施設としての予算が取れないと、成り立って行かない。
成り立って行かなくなると、入所しているいまの人々が立ち行かない。
かといって、「さぁ働いて来い」といっても、受け入れ側の認識は、育っていない。
そのジレンマも有ったみたいね。
http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/5.pdf
難しい問題よ。
こういう問題はきっと、いつでも新たに生まれるね。
そのときに私はどうするか。。。いつでも考えておかないと。。。と感じてはいるの。
お年寄りは決して弱くは無いですよ。
職員を殴ったり蹴ったり噛み付いたり、暴言吐いたり…と感情の赴くままに生きておられます。
きれいに死ねないのは罰だと思ってますw
カメムシですか?
うれしいか嬉しく無いかと言われれば。。。ごめん、嬉しく無いです、カメムシ。
引き連れて歩きたく無い、でもこのこと、カメムシ達には言わないでやってね、気にするから。
林芳信、他二人のことかな?
それとも1996年の廃止させまいと騒いだ人かな。
そこ良くわからなかったんだけど、これ見てみて!
http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/5.pdf
さっきね調べてたら出て来たんだけどね、これって側面なのよ。
なるほど、って思わせるものが在った。
廃止が遅れた訳が、必ずしも「差別的であったから」だけでないということ。
このレポートは興味深かった。
私たちの有り様が、撤廃を遅れさせたんだわ。。。
それとね、アイレディースの件。。。
当時ね、その予約を受け付けた人から、直接話しを聞くことが出来てね、私。渦中に。
「まったくその件を隠して、というか言わずに予約を入れて来た」らしい。
だからね、一度は予約を受け付けたのだと言う。
あとづけで、その話しを聞いて、対応を迫られたらしいのね。
その当時はまだ、一般的に認識が不足していた頃よ。
「対他のお客様」への配慮を考えた。。。ということだったの。
すでに先に予約が入っていたからね、結構な数。
その方に、お一人お一人、理解を求めるのか、そこまでは話しをしていないじゃないか。
療養所側とも。。。
急速に事を運ぼうと、ネジ込められている気がした。。。という事だった。
一般のお客様でも、そんな理不尽は言わない。。。との感想は抱いたらしい。
英断はツキモノで、ただ、そのように急に言われても、客商売だ。
「はいどうぞ」とは言い兼ねただろう。
もっと、キャンペーン期間が有って良かったはずだ。と、私は、今でも思っている。
その点、アイレディースは、「被害者」であったのかもしれない。
妄信的に何かを成し得て行くエネルギーは、「兼ね合い」を取り落とすときがあって、
それは私は好きじゃないのだ。
そうやね、ハンセン病って言う頃には、治療薬も出来ていた。
らい病って言ってる時期は、みんなからうとまれる病気でしかなかった。
それで、不当に差別された時期が長すぎる。 今、かつての患者さんたちが、名誉回復を言っておられるけれど、人類の歴史の中で、どれだけの人が迫害されたことか・・・・・・・・
古い映画、ベンハーでも主人公の母親と妹が・・・・・・・・
家に帰って着替えると、
ボタッと音とともにカナブンさんが…。
そのあと逃がしてあげた!
いまだに人身売買があるくらいだからね。
難しい問題あるよ。
当時はまだ高校生くらいだったから、ニュース聞いて「ふーん」みたいな感じだったけど。
知識のなさがお恥ずかしい。
私のように、一般人は法律の内容とか実情とか、ほとんど知らなかったんでしょうね。
一国民として反省です・・・。
うん、驚きでしょ?
見た目が激しい病気だったので、そういう差別も起こったのでしょう。
隔離された環境下では、さらに差別的な屈辱的なものは、増長しますよね。
人間扱いしてませんもんね。
私ね、スゴく心配なことが有って、今は「監視」する機能が昔よりはあるけれど、
「老人施設」
ここもある意味とても閉鎖されてる場所。
こういう場所で、行き過ぎた感情は生まれるじゃないですか。。。
人間の本質って、動物だからね、「よわいものいじめ」で自分が「優越」するので、
目を離せば必ず生まれる問題。
ここを押さえ込むには、かなりの精神的な訓練が必要な部分だと思ってる訳です。
野生の王国って番組が、なぜかそういう意識を私に植え付けました。
らい予防法に関しては、慄然とするほかないです。
確か、あの法律に一人強烈に推進しようと動いた医者が居ましたよね?
薬害エイズに深く関わった、安部英のような。
ああ、ちゃんと調べ直して出直します。
この法律がつい最近まだあった事は、
日本人として深く恥じなければなりません。
裁判の事はニュースで聞いてたけど、詳しくは知らなかった。
こんな最近まで、こんなにひどい差別があったこと、驚きです。
遺伝の事は何も書かれてなかったけど、
子供がうつりやすいからといって、そんな手術まで・・・・・
薬害エイズといい、国は、少者、弱者にはいつまでも冷たかったんだなあ。
きっとこれからも、国民が知らない限り・・・・・