メモリーズ・オブ・じーちゃんず~父方編~
- カテゴリ:日記
- 2009/08/14 22:49:03
昨日に引き続き、じーちゃんとの思い出を語りたいと思います。
今日は第2回。
お題は『父方のじーちゃん』
父方のじいちゃん、太郎(仮名)。享年72歳。
職業:高校の英語教師
感じとして一言で言うと、世間知らずのぼっちゃん。
うちの父方、戦前は結構やんごとなき家系だったらしく(信じられない話ですが、子爵ってやつだったらしいです)、都会の一等地にデカイ家を構え、何不自由なく育ったそうです。
で、昭和20年3月の東京大空襲で両親(私の曽祖父母)が行方不明になり、家を継ぐことになり状況が一変。
相続税とか色々ものいりになり、家の土地を一部切り売りして凌ぎました。
が、昔からの贅沢癖が抜けず、おいしいもの食べたい~とかあれ買いたいこれ買いたいとか、生活レベルを落としたくないとかで、またもや家の土地を売ったり家伝の絵とか掛け軸とかを美術商に売ったり(ばあちゃんによると、かなり足元を見られ買いたたかれたらしいです)、なんとかしのいでいきました。
が、生活はじり貧。
それでも本人は働く気なし(てか、昔の生活が「働くって何?」みたいな感じだったらしい)。
最終的にばーちゃんがキレて説教し、結局40代にして大学の時に取った教員免許とコネにより、某都立高校の英語教師に就職。
ただ、職場環境が本人に合っていたらしく、60歳で定年退職するまで何事もなく働いていたそうです。
退職後も別の学校で非常勤の英語教師をしていましたが、70歳の時、肺にがんが見つかり入院(本人は煙草をすいません。いわゆる『受動喫煙』ってやつだったらしいです)。
2年間闘病しましたが、72歳で肺がんで亡くなりました。
太郎じーちゃんが亡くなった時、私は5歳だったので、あまり覚えていませんが、覚えている限りの記憶では凄く優しい人でした。
ものすごい本好きで(うちの家族は全員そう)、私に絵本の読み聞かせとかよくしてくれました。
あと、「英語は早期教育が大事!」とのポリシーがあったらしく、私が物心ついたころから簡単な英単語とかマザーグース(イギリスの伝統的な詩集)の原文(つまりオールイングリッシュ)読み聞かせとか、色々やってくれました。
一緒にお風呂はいったときなんか、普通は「肩までつかって100数えて~」ですが、太郎じいちゃんの場合、「肩までつかってワンハンドレット」だったからな~。
しかも、私、小学校に入るまでそれが普通だと思ってたし(汗)。
おかげさまで、幼稚園に入るころには1~100まで英語でカウントすることができる子でしたよ、私。
あ、書けるようになったのは中学になってからです、念のため。
太郎じいちゃんのおかげで、中学入って本格的に英語の授業が始まっても、英語アレルギーが出ることはありませんでした。
そして、今でも英語をしゃべることは好きです。英会話教室にも通ってます。
単語力は微妙ですが、その辺は気合と根性でカバーしてます。
…書く方は勘弁して下さい………orz。
そういう意味では、太郎じいちゃんには大感謝です。
明後日、墓参り行くから待っててね~♪
今考えると、ある意味普通じゃないよね^^>肩までつかってワンハンドレット
よく途中で言えなくなって、湯の温度にのぼせてキューっとなって、太郎じいちゃんをあわてさせていたそうです。
うん、うちのばーちゃん(花子さん>仮名)、普段はおっとりしてて天然大ボケだけど、怒ると怖いよ~。さすが江戸っ子(花子ばーちゃんの実家は神田)。
英語は、聞く>話す>>>>>>書く、位の感じかな。
…もちっと書く方をなんとかしたいよ(苦笑)。
ん。ピアスの件、見に行きます~w
すげー!!言われてみたいー!!
幼稚園に入る前なんて多分えいごの「え」の字もなかったなー(´Д`;)
それが100まで言えるなんてしおるさんすごい!!
40代で就職って相当すごいコネクションじゃなきゃ無理っすよ!!
なんか働くまでは典型的なおぼっちゃまだったみたいですねー。
でもそこから更正させたおばあちゃんもまたすごい。
英語なんて書くより、聞いたり話したりのが重要なんで無問題ですよ!
って英語だいのだいのだいーーーの苦手な私が言ってみたりするw
ピアスの件返コメしてあるので、時間に余裕できたときにでも一読ください^^