Nicotto Town



10月期小題 「蕎麦/新三の店」

漁村のはずれにある田んぼの先に森を背にして小さな掘っ立て小屋があった。破れ障子戸には、“きそば”の大文字の脇に小さく“新三”と書かれてある。それが新三の蕎麦屋だった。
『こぎゃんなとこで蕎麦屋って何ば考えちょっとだろうか。蕎麦も流行らんばってんが、客が来る訳きゃなかろたい』と、初めは誰もが思っていたが、店を開いて五年、周囲の思惑に反していつの間にか不思議と客足の絶えない店になっていた。

「おやっさん、熱燗ば頼んます。それとこれ。いつもの肴に使うちはいよ」
惣太はこう言うと、籠からこぼれ落ちそうなほど入っている鯵と鰯を厨の手桶に移した。
「惣ちゃん、いつも済まねえな」
新三は、受け取った籠の中から鰯を数匹焼き網に乗せ、鯵を一匹まな板に乗せると、いつものように慣れた手つきで捌きはじめた。すぐに店の中に魚の焼ける香ばしい匂いが立ち込めた。
一人で切り盛りする新三は、もう五十路に届こうかと思われる年でほつれ毛にも白いものが目立っている。惣太とは新三が店を開いた時からの知り合いだった。

「おまちどうさま。どうだい惣ちゃん、くってくかい」
熱燗と鰯の塩焼き、鯵のたたきを出しながら新三は尋ねた。
「ああ、もらいます。おやっさんの蕎麦は美味かけん」
新三から酌を受けると、惣太は注がれた酒を飲み干して『くーっ』と一声上げて微笑んだ。それを見る新三の顔にも笑みが浮かんだ。
「あいよ。じゃあ今切るから、ちょっと待っててくんな」
厨に戻った新三は、棚台に用意してある蕎麦をこね直すと、これまた慣れた手つきで引き伸ばして手早く切り始めた。細く切り出された蕎麦はつなぎなしの十割蕎麦で、切り出されると蕎麦の香りが一層漂った。これだけ香りの強い蕎麦を打つからにはもちろんつゆも濃く、鰯節を使ったかえしを色の濃い地元醤油で割った新三特製のつゆだった。

「惣ちゃんとはもう五年になるか」
蕎麦を出しながら、新三はこう言って惣太の顔を見直した。初めて会った時からすでに一人前だったが、今では村一番の信頼を受ける青年漁師になっていた。こんな辺鄙な蕎麦屋に客足が絶えないのも、惣太行き付けの店だという評判のおかげだった。

「おやっさんには、『何で好きに蕎麦食っていかんとか』とかて、酔って迷惑かけたけんね」
そう言って蕎麦をつまみ上げると、蕎麦猪口のつゆにほんの少しだけ浸してズルっと一気にすすった。そして、三口も噛んだところでゴクンと飲み込んだ。
「こん食い方も、おやっさんに教わったけんね。『蕎麦は蕎麦を味わうもんで、つゆを味わうもんじゃねえ』って」
「偏屈なおやじで困ったろう」
「うんにゃ、今はそぎゃん思っとらんです。まあ、初めはうるさかおやじて思うたばってん。はははっ」

新三は、江戸にいた頃になかった人とのつながりを感じさせてくれる惣太の笑顔にいつも救われる気持ちになった。

…おしまい

アバター
2013/11/02 18:40
こんなお店に行きたいです。
人との繋がりを感じるお店って、きっと一見で入ってもすぐに分かるんでしょうね~
常連さんなら尚のこと。
方言がお話に素敵な色をつけてくれてます^^
アバター
2013/10/30 20:28
信頼されているお客が常連だと、客足も違うのでしょうね。

田舎の常連客だけのお店の雰囲気がよく出ていてほんわかしました。
アバター
2013/10/29 16:22
あああ^^ いいお店ですね~^^
ほんとのお蕎麦好きさんは、きっとこういう食べ方をされるんでしょうね。
とれとれの鰯の焼いたのと鯵に潮の香りをかいだ気持ち~。

BENクーさんは海辺にお住まいなのかなぁと感じました^^

方言もストーリーの魅力を引き立てていますね。
アバター
2013/10/28 21:56
漁師町って肴には困りませんね。

九州男児ってなんかこんな感じですよね^^
アバター
2013/10/28 05:27
そうそう、忙しい時は800字前後のスケッチがいいんですよね

38アクセスありました

『なろう』のわがサイトでは、1200字~3000字で、
20を越えれば可
30で良
40超で優
 と考えてます
アバター
2013/10/27 10:42
うわー、打ち立てのお蕎麦、美味しそうーーー!!
きゅっ、とお酒も飲みたい…
焼き魚の香りもそそります。
客足の絶えないというのに、納得。
アバター
2013/10/27 08:23
料理は人と人の心をつなぐ
故郷ではなおさらなのでしょうね^^



カテゴリ

>>カテゴリ一覧を開く

月別アーカイブ

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.