本日2度目で
- カテゴリ:人生
- 2013/10/27 23:45:48
大層なことは書けないけれど (操作ミスで消してしまったので書き直し)
俺がまだ手を出していないツイッターや、
アカウントだけ取得して使っていないフェイスブックは、
ある程度有名になれば 伝播性が とてつもなく速いらしいね。
その一方で、ニコタや mixiなんかのブログ系は、
途中下車有効な行き先も決めていない切符のように、
進みたいだけ進んだら、駅のベンチで休んでもいいし、
ちょっと遠くまで歩いたり、路線バスで移動して別の駅へ向かっても良い。
パソコン通信全盛だった19年半前に、俺は膨大な人と知り合った気になっていたし、
チャットも(かな打ちで) 今の3倍は速かったから、
みかか代(NTT料金)を気にしつつ、日々生き生きと暮らしていた。
発信が止まったら、俺の場合は「死んだ」と思ってもらいたい。
ときどき思考停止していることはあるんだけれど、
何らかの生存報告みたいもんで、足跡をつけに行ったり、
泣き言を書いたり、これからもしていくんだろう。
「誰に見られても恥ずかしくない文章」
「否の打ちどころ無い写真」
「誰からも尊敬される人生」
そんなものがあるとは思はないけど。
不完全ながらも「まだ生きてる」って言い続けるしかない
思考停止…足が竦んで動けなくなる。でも、考えるのをやめて無想するのは、心が楽になる。
思考が停止しそうな時は、あえて無心になるのはどうだろうか。
完全なものほど、退屈でつまらないものはない…と、私は思うけどね♪