善悪について
- カテゴリ:日記
- 2009/08/20 01:13:41
みなさん、包丁に善悪は有ると思いますか?
では、勉強が良くできる、頭が良いというのは善でしょうか?
私の意見ですが、どちらも善悪は存在しないと思います(^_^;)
もし善悪が有るとすれば、その使い方だと思います
包丁を使って、食材を食べやすい大きさに加工する
火を通り易くする、飾り包丁を入れて美しく仕上げる…
これは善です(^o^)b
そして、包丁を使って人を脅す、金品を奪う、殺す…
これは悪です(-_-メ)
同じく、一生懸命勉強して知識や教養を蓄えて
人の役に立つ事をする…
これは善(^o^)b
優秀な頭脳を使って、人をいじめる、騙す
犯罪を計画実行する…
これは悪だと思います(-_-メ)
※だから、勉強しろ~勉強しろ~と言うだけでは
片手落ちですね
そして、これは全ての物に言える事だと思います
愛、優しさ、友情、同情、真面目さ、礼儀正しさ
お金、笑顔、足が速い、腕力が強い
自衛隊を所有する、核兵器を所有する…
全て使い方次第で善にも悪にもなります
※「暗殺に失敗した~」と落ち込んでいるテロリストに
同情するのは間違いでしょう(^_^;)?
特に女性の方は、子供の頃から「優しくしなきゃ」とか
「笑顔でいなきゃ」とか、まるで強迫観念のように
捕われている人がいるけれど
それが自分を苦しめることになるのなら悪だから
止めた方が良いと思います(^_-)-☆
「自分が幸せ」&「他人が幸せ」&「周り(自然や環境)が幸せ」
これが最善ですね(‐人‐)❤❤❤
確かに、物事に意味を与えるのは人間というか自分自身ですよネ。犯罪というとサリンを思い出します。
いやー充実した文章とコメントです。感服致しました!
お邪魔しました(礼)。
「もし、どこまでも労働が善ならば、
農民はいかなる税率でも、喜んで労働力を捧げるでしょう。」
う~ん…それは無いと思います(^_^;)
私の書いたブログの一番下を読んで下さい
「自分が幸せ」&「他人が幸せ」&「周り(自然や環境)が幸せ」
これが最善です(^o^)b
相手を受け入れるのは「自分の幸せが脅かされない範囲で」です
(私はキリストほどの人格者ではありません。死ぬのは嫌です(笑))
自分の生活が苦しくなるほどの納税に対しては
断固として戦いますヽ(^o^)丿
もちろん武力には頼りませんが…(^_-)-☆
>> 「労働が悪だと思っている」
そういうイデオロギーは
あくまで日本人から見た外国人の奇妙な行動を
どうやって説明せしめようか、と考えたときに思いついた、ただの論理なので
私自身が労働に善悪の基準を設けているわけではないんです、
まぁ、敢えて言うなら、度が過ぎれば悪、とだけ申し上げておきましょうか。
過労死、事故死、過剰なまでの非正規雇用、ヘッジファンド、
まぁ、思いつく限りの悪がちらほらありますね。
>> 残されたのは朝廷の保護のおかげ
そういう見方もあるとは思います。
でなければ、なぜ班田収授法が失敗に終わってしまったのか
という説明がつきませんからね。
もし、どこまでも労働が善ならば、
農民はいかなる税率でも、喜んで労働力を捧げるでしょう。
そうならなかったのは、
「労働を善」とする朝廷側の貴族と、
「労働は善悪を超越して、明日を生きるための手段でしかない」という農民との間に
認識のズレがあったからだと思います。
古事記、源氏物語、枕草子…
こんなに古い物が現在にまで伝わっているという歴史的価値には
畏怖と尊敬の念を持ちます<(_ _)>
しかし、この3冊が現在まで伝えられた背景には
朝廷の庇護が有った事も忘れてはいけません
当時の文盲率の高かった日本で、庶民に読み伝えられたというのは
無理が有る考えだと思いませんか?
そして古事記にしても新約聖書にしても徳川家の系図にしても
時の権力者の都合の良いように改ざんされてきている
という事も忘れてはいけません(^_^;)
古事記も天皇の存在理由の意味づけとか地位の神格化をしたかっただけでしょう?
だから、創作という意味で「おとぎ話」と書いたんです(^_^;)
また、序文に天武天皇が「後世に伝えたい」と一筆書いてます
故に、これは朝勅であって厳重に管理されていたのだと思います
それが現在まで残った最大の理由だと思います(^-^)
ただ原本が残っていなくて、現存する最古の物は南北朝時代の
写本ですが…
南北どちらかの天皇が自分の地位を証明したかっただけかもしれませんね?
歴史の話題は答えが出ないのが面白いところであり
また、色々な意見が存在して悩むところでもあり…
まぁ色々な議論が出来て面白いですよね(^_-)-☆
愛だと思ってやっていたことが、実はただお節介で、
むしろ憎しみを生み出す・・・
こういう経験ありませんか?
そうですね(^_^;)
お節介になる事も有りますよね
もしくは過干渉?
でも安心して下さい(^o^)b
私の愛の定義は「全てを受け入れる事」です❤
キリストも全てを受け入れ、人々に「許し」を与えました
そして十字架にかけられることも受け入れました†
アメリカが行ったイラク戦争は、相手を許し受け入れるという
私の愛の定義からは外れています
これは鶏さんと同意見ですね(^-^)
それと労働は悪だという価値観を持っているみたいですけど
世の中には「仕事が好き」「仕事が楽しい」と本気で言っている人もいますよ(^_-)-☆
私の知り合いで、仕事が好きで家庭を顧みずに働いて
久しぶりに家に帰ったら、家財道具も家族も空っぽだったと
笑って話している人もいます(^_^;)
とある観点が欠如しているように思われます。
話が急に変わったかのように思われるかも分かりませんが、
「古典的価値」というものをご存知でしょうか。
例えば、「源氏物語」や「枕草子」は有名ですが、それは平安時代にこの2つしか書籍がなかったからでしょうか。
そんなことはありません。これら以外にもごまんとありました。
それこそ、現代の文壇のように。
しかし、それらのほとんどは現代に伝えられることはありませんでした。
なぜでしょう。
それは、伝えようと思う者がいなかった、
もしくはそういう者たちが、寿命という時間枠の中で徐々に減っていったからでしょう。
単純に、既存ファンの消滅数が新規ファンの誕生数を上回れば、そうなるのは自明です。
そのような残酷な時流の中で、それでも現代に渡ることが出来たからこそ、
「源氏物語」や「枕草子」は「古典的価値」をもつのです。
「古事記」はこれらよりももっと前の書物ですから、「古典的価値」が半端なくあります。
この価値が成立するためには、源氏や草子のように、その当時の圧倒多数の支持が不可欠です。
そりゃそうです。
わたしが適当に書いた文章を掲示板に貼り付けても、駄文なら誰も見向きもしないでしょうし、
下手したら、書いたわたし自身も、そのことすら忘れてしまうかもしれません。
つまり、当時、「古事記」の国民的認知度は尋常でないものだったと推測できます。
そして、後世に見事伝え残されている以上、
親が子に語り継いでいったのは間違いないでしょう。
確かに中身はおとぎ話だったかも分かりませんが、
一種の寓話のように、「古事記」が経典的な性格を持っていたとは、
まぁ推測でしかありませんが、言えるものだとは思います。
外国圏において
労働が人間への枷になっている以上、
本来的には、キリストは愛という意味で
労働を課したのかもしれませんが、
それがそのままの意図で伝わるとは限りません。
愛だと思ってやっていたことが、実はただお節介で、むしろ憎しみを生み出す・・・
こういう経験ありませんか?
私はB'zの稲葉さんに感化されているので
イラク戦争がまさにこの典型的な例だと思っています。
これを「労働は罰」に敷衍(ふえん)すると、
「愛だと思って罰を科したら、それが人々に余計なお世話と潜在的に思われ、労働に対して憎悪を抱く」
ということになるでしょう。
労働に対して憎むんだから、
神にとって労働は、まぁ悪ではないにせよ、
人々にとってみれば悪以外の何者でもなかったんではないだろうか。
というのが私の見解です。
でなきゃ、例に挙げたようにあんなにはしゃぎませんって、ええ。
鶏さん、私も序文は同意見です(^o^)b
善悪は人間が作り出した概念です
仏教でいう「色即是空 空即是色」でしょうか(^-^)
(鶏さん、絶対に頭良いでしょう?進学校?)
でも神と宗教の話は疑問ですね(^_^;)
神が罰を与えるのか?
神は我々の成長を、忍耐強く愛情深く見守る存在ではないのか?
罰ではなく試練や成長の糧となる物を与えるのではないか?
だとすれば罰でもなく悪でもなく、与えられているのは愛ではないのか?
イエスキリストは真実の愛を説いたのではなかったか?
何故、労働を悪だと決めつけるのでしょうか?
それとシャーマニズムと古事記を関連付けるのは強引ではないかと思います
むしろ神道と関連付ける方がベターではないのかと思います
古事記はおとぎ話ですよ(^_^;)
天照大神が天岩戸に隠れたって…日食の事だよね?
話がそれました<(_ _)>
犯罪が無くならないのは寂しいですが、犯罪にも何か理由があって
起こっているんだと思います
そんな世の中を少しでも住みやすくしていけたら良いなと思います❤
自分、他人、周囲の自然…全てが幸せでありますように (‐人‐) ☆☆☆
※自分や他人が不幸せになるから、殺人は悪です
2ヶ月ほど前まで↑↑でしたw
みんなで仲良くしないと・・・笑顔でいないと・・・て無理して、鬱になって、気狂って・・・w
今思えばほんとあれゎ悪でしたね^^
この日記で再び考え直せてよかったです☆ありがとうございます♪
使い方や考え方によって善悪があるだけで、
存在が善悪と言う訳ではないですもんね(^~^)
包丁が無ければ料理できませんし、自分の心に嘘をついていたらそっちの方が最悪ですもんね(汗)
私も考え方を見直していきたいと思います!!
後編
これに対して、われわれ日本人は
仏教が入ってくる以前は、無宗教、というわけではなく、
「千と千尋の神隠し」に出てくるような
いわゆる「やおよろずの神」の存在を信じていました。
要するにシャーマニズムですね。
つまり、万物には神が宿っている。
自然そのものが神である。
そんな思想が一般的だったようです。
そんな宗教に、経典なんかあるわけがありません。
だからこのことを考えるときには
現存する一番古い書物を参考にすることになります。
つまり「古事記」です。
この「古事記」に出てくる
一番えらい神様って言うのが
「天照大神」っていう女の神様です。
この天照大神が
“機織小屋からいでたまえ~(中略)~神々は野に出て働いていた。”
とあります。
ということはつまり、一番えらい神さんも働いていた。
他の神さんも一緒に野良仕事をしていたということです。
神々がやることなんだから、罰なわけがない
つまり、「労働は善」です。
これを裏付けるかのように、
欧米の方々が退職したらどうなるか。
シャンパンを開いて大喜び。
ほとんど、お祭り状態になりますよ。
そして、滅多なことがない限り
絶対に働こうとはしないでしょう。
退職金や貯金、若輩世代の世話などで自由に生きようとします。
まるで重責から逃れられたかのように。
対して、日本ではどうか。
現代では、だいぶ欧米的な価値観がはびこる中でも、
退職することで虚無を感じたり
ひいては、再就職を積極的に図ろうとする方もいらっしゃいます。
こんな光景、日本では当たり前かも知れませんが
外国人が見たらきっと驚嘆するでしょう。
それぐらい、日本人の労働観というのは特異なのです。
だから、欧米諸国でニートが急増しているのです。
そもそも、NEET自体が英語ですし。
そして、そういうのが徐々に日本を蝕んでいくんだと
思います。
話が脱線しすぎた気もしますが、
とにかく、「善と悪」というものは
それぞれでどうしても異なってしまう、ということです。
極端な話、
「殺人が善だ」なんて思っている人もいるでしょうしね。
だからこそ、犯罪がなくならないんでしょう。
前編
私が思うに、善悪というものは
「人間がどれだけ人間的であるか」
つまり、倫理観にしか基づかないものではなかろうか。
そう考えている次第です。
そもそも、「善悪」という概念は人間が生み出したものです。
だから、人間の中身が変わってしまえば、
「善悪そのもの」が変わってしまうんです。
面白い例を挙げましょう。
宗教じみた話になりますが、
イスラム教、ユダヤ教、キリスト教
それぞれ元来の経典っていうのは
いわゆる旧約聖書ってやつです。
そこに例のアダムとイブってのが出てきます。
神との契約とやらを破ったアダムに対し
神が与えた罰というのは何か。
「労働」です。
つまり「労働とは罰」であり、
言い換えれば、「労働とは悪」であると言えるでしょう。
物質や事象に善悪はないと思います。
そこに関係する人の思いや行動が決めていくことなのでしょうね。
私は自分が幸せになるというイメージができないので
たぶん子供のころの体験からなのでしょうね・・・
だから、周りの人が幸せにしている姿を見ることが楽しみ?幸せです。
そうはいっても、自分を犠牲にしたりすることはNGだとも思っています。