雑文「心中」
- カテゴリ:人生
- 2008/10/06 00:12:59
今でも「しんちゅう」と読めば心の中のこと。
もともとはそういう意味でした。
それが”まごころを尽くすこと” 特に男女の間で
誠意を見せることをいう時に使われるようになって
行きました。これを「心中立て(しんじゅうだて)」と
言っていたのが略されて心中ともいうようになった
のだそうです。
江戸時代の遊郭ではさまざまな”心中立て”が行われ
次第にエスカレートしていったようです。
起請文(きしょうもん)、髪切り、指切り、爪放し、入れ墨
そして情死・・・・・
まごころを目に見える形にしようとすればするほど、
相手も自分も傷つけてしまう。でも
愛は傷つけるものではないと思いたい。
奪うものではないと思いたい。
ちなみに「起請文」とは・・・
江戸時代、男女間の愛情の変わらないことを互いに誓い合って
書いた文書。遊女が客に誠意を示す手くだとして用いた。
起請。起請誓紙。
「指切り」とは
女性、特に遊女が、心の誠実さのあかしに小指の先を切って
男に贈ることだそうです。指切りげんまんと違いますからw
「殺したいほど愛してる」という気持ちも分からなくはない。
「失楽園」のような愛の形を否定するつもりもないし、
ある意味その感情も理解はできるけれど
好きな人とつながっていると感じることが出来るのは
固体だからこそ。違う個性を持った人間だからこそだと思う。
相手を理解したいという気持ちが愛だと思う。
そういう意味では理解できない部分があるほうが
二人はもっと上手くいくと思うのです。
死んだところで1つにはなれない。
一体感は味わえても
人間はやはり、どうあがいても
心まで1つにはなれません。
解っていてもそれができない
だって人間ですものd(`・ω´・+)
愛しているなら別の個体として
感じていたいもんですよ
( ゚∀゚)・∵.