Nicotto Town


すずのグータラ日記


死に対する価値観

今日は

週に1回の

茶道教室でした。

先生の家では

ジェリーちゃんという猫を飼っていました。

年齢は20歳・・・。

今日、知らされたのですが

去年の12月26日に

天国へ召されていったそうです。

とても複雑そうな顔をしていました。

私も、正直ショックでした。

なかなか顔を合わせることはなかったのですが

いつも声だけは聴いていたので

その声がないと寂しくて、寂しくて・・・。

先生は、初めて(動物)の死を体験したそうです。

ジェリーちゃんの死から

約1か月・・・。

先生はまだまだ立ち直れずに苦しんでいます。

猫の寿命は年々長くなっています。

20年生きられればいい方だと思うのですが

先生にはまだ理解できないようです。

私は、この春から動物の看護学校に通います。

動物と接するということは

沢山の死にも接するということです。

おかしいかもしれませんが

私は、死に馴れすぎてて

あまり悲しみというものを

感じません。

そりゃぁ、目の前で

もがき苦しみながら死んでいけば

一時的にですけど

涙は流れます。

そして、自分を沢山責めます。

先生も自分を責めていると言っていました。

私は、言葉で何かを表現するのが苦手です。

だから、先生になんて声をかけていいか

分かりません・・・。

今は、そっとしておいたほうがいいのかもしれませんね。

私は、生まれた時から猫や犬と生活を共にしてきました。

だから、死を今まで沢山体験してきました。

小さい頃は、ただただ泣くことしか出来ませんでした。

しかし、今はもう18歳・・・。

何でも分別はつく年頃です。

何が良くて、何が悪いかくらいは

分かります。

私は、いつでも全力です。

動物達は言葉を話すことが出来ません。

私と一緒で自己表現が苦手な動物です。

私は、今飼っている家族(ペット)に

悔いの残らない人生を歩んでほしいのです。

先生はジェリーちゃんに一生懸命だったし

ジェリーちゃんは幸せだったと思います。

きっとジェリーちゃんは虹の橋で待っていると思います。

先生にこんな質問をされました。

「すずちゃんは、猫が死んでからどれくらいで立ち直れた?」

私は、去年1か月のうちに3匹の猫を看取りました。

3匹って結構心にズンっときます。

なかなか立ち直れなかった。

悲しかったし、寂しかった。

今までいたものがいなくなるってこういう事なんだなと

実感しました。

今は、猫は3匹しかいません。

スコちゃんに、もくれん、えびね。

もし、今この子たちが死んだら

私は当分の間立ち直れないでしょう。

きっとまた薬漬けの毎日を送るでしょう。

私は、動物の看護学校を卒業したら

人間の看護師になるべく

人間の看護学校に通います。

どちらも「命」を扱う仕事です。

人間の看護師と動物の看護師の決定的違いがあります。

それは「命を殺す」ということです。

人間の看護師は一生懸命に病気やけがを治そうとします。

しかし、残酷ですが

動物の看護師は「安楽死」をせざるおない時があります。

そこが、決定的な違いです。

私は、心が弱いです。

しかし、専門学校に行ったら

「安楽死学」も学びます。

今からその授業に耐えられるか心配です。

年間約数千という

動物の命が奪われています。

悲しいことですよね?

私の家で飼っているスコちゃんは

元捨て猫です。

家族で保護団体に趣き

殺されそうだった命を救うことが出来ました。

でも、救えたのはたった一匹だけ・・・。

スコちゃんだけだったのです。

私が、ある程度大人になって

生活が安定して来たら

動物の保護団体を作ろうと思っています。

そして、一匹でも多くの命を助けたいです。

命を殺すのは簡単です。

しかし、助けるのはすんごく大変です。

#日記広場:日記

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2014/02/05 10:39
金沢では保健所で保護され、安楽死を待つだけの動物を保護し
里親を探す・・・と言う団体が存在します。
人間であれペットであれ、天寿を全うさせたいという思いは
誰しも持っているものではないでしょうか?
茶道教室の先生の猫もかわいがられて天寿を全うできたのは
それはそれで幸せ内ことだったのではないかと思います。
これから厳しいことも学んでいかなければならなのでしょうが
何度も家族(ペット)の死を目の当たりにしてきたすずさんなら
出来るはずです。
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2014/02/04 23:01
死を純粋に悲しみの出来事として受け取るか、
はたまた、死を生きるものの性として考えるか、

うーん、何となく宗教を考えてしまいます、僕の場合は。
特に宗教観は強いほうではありませんが、
あれって、死への弔いでもあるし…

やっぱり、手は合わせますよね。魂の様なものに

思い出の強いものの死は弔ってあげるのが残されたものの、感謝の意味かな?
って、考えてます。

ありがとう、あなたに会えて過ごせた日々に…の意味を含んでね。
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2014/02/04 21:21
すずちゃんなら、できるよ。
自分の道をまっすぐ進んでね。
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2014/02/04 19:56
すずちゃんは私が思っていたよりも、ずっと死に対する意識が高かったのですね。
私も、動物の死も人間の死も、同じくらいの重さだとは思います。
でもウチは母がペットが先に死を迎えるのが耐えられないからと、ずっと飼うことを許してもらえませんでした。
なので身近に体験したのは母方の祖母の死を中学生の時に、同居していた父方の祖母の死を高校生の時に、そして数年前に母方の祖父の死だけです(父方の祖父は私たちがブラジルにいる間に亡くなり、私はまだ幼稚園生だったので祖父の記憶すらありませんでした)。
最初は弱っている祖母に声をかけたりするのが恥ずかしくて、何もできずにお別れになって、後からすごく後悔しました。
だから次の祖母と祖父が最後の時を迎えようとしている時は、恥ずかしさなんて捨てて(というかそれを持っていること自体おかしなことだったと思います)、できるだけ長い時間一緒の空間にいて、触れたり声をかけたりするようにしました。
すずちゃんは死を身近に感じながらも敢えて、看護の道に進むんですね。
とても尊いことだと思います。
将来の夢も叶えて、多くの命ある動物(人間も含む)を幸せにしてあげて下さい。
これだけ命を大切に考えているすずちゃんになら、きっと幸せにしてあげることができると思います。
陰ながら応援していますね!



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