Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


モンスターハンター  騎士の証明~121

【英雄の帰還・承前】

 息を呑んだユッカに、ギルドマスターは語った。
 かつてロジャーは、手ひどい人間の裏切りを見た。ユッカが彼自身から聞かされた、下位イャンクックの虐待事件がきっかけだと老人は言った。
 ――あれが根深くロジャーの心に憎しみを植えつけてしまった。窮地を救い、犯罪者を裁いたティオに深い恩義と憧れを抱くとともに、この世を善悪でふたつに分けてしまったのです。
 彼がギルドナイトを志願したのは、やはり、己の手で犯罪者を断罪する目的もあったのでしょう。
 でも、世界は白と黒、双方が混ざり合ってできている。愛と憎しみが、裏返せば同じものからできているように。
 自分だけが特別だと、彼が思いあがっているわけではありません。けれど、心のどこかで、モンスターの方が世界の主だと信じている。
 この世界の均衡は、すべての生き物が混在しているからこそ保たれているのですよ。我々ギルドや書士隊達の生態保護活動。それすらも、均衡の一環なのです。
 つまるところ、どちらかが尊くて、残りはそうではない、ということではない。みんな、大地の上では等しき存在なのです。
 だからこそ、ギルドはハンターの命を全力で守り、サポートするのです。
 誰が欠けてもいけない、この世界だから。
 目が覚めたように見つめるユッカに、マスターはにこりと笑った。
 ――だからね。ロジャーに、言っておやりなさい。彼は意外に頑固ですからね。何度でも、彼が不安に思うたびに、言っておやりなさい。

「――あなたは……ひとりじゃない」
 薬が完成した。黄玉色だった液体は、紅玉のように澄み切った赤に変化している。ユッカは静かに微笑んだ。見上げるロジャーの両目の端から、透明な粒が転がって落ちた。
 ユッカは薬を別の空瓶に移し替えると、ロジャーの後頭部に手を当てて軽く持ち上げ、薬瓶を唇にあてがった。
 ロジャーは努力して、まだぬくもりの残る赤い液体を飲み干そうとした。ユッカはゆっくり口に含ませてくれたが、浅く弱くしか動けないロジャーの胸は、三分の一ほどしか薬を受けつけてくれなかった。
「……すまない……」
 弱く咳き込むロジャーに、ユッカはかぶりを振った。
「少しでも口に入れられてよかった。きっと、効いてくれます」
 草の焦げる臭いが強くなってきた。火脚が迫ってきている。風向きが変わったのだ。
「さあ、戻りましょう」
 ユッカは励ますように微笑んで、ロジャーをおぶった。


 薬の効果を確かめる余裕はなかった。少しでも速く走るために、荷物をその場に置いて、ユッカはロジャーを背負うと全力で走り出した。
 ぐったりした身体は相当重いはずだが、呼吸が乱れないのは、おそらく強走薬Gを飲んできたからだろう。
 力強く走るユッカの背に、ロジャーは黙って身をゆだねていた。木々の間をくぐり抜け、風のようにユッカは走る。
 はっ、はっ、という規則的な吐息の音と足取りがもたらす振動に、ふいに、子どものころの記憶が蘇った。
 ロジャーは東国の生まれだった。両親は隊商で旅をする商人だったが、旧大陸の樹海を通過していた時にモンスターに襲われ、隊商ごと壊滅したのである。
 襲ったのはティガレックスだった。護衛のハンターが数人いて、ロジャー達が逃げるのを助けてくれたが、奮戦むなしく命を落としていった。
 父はモンスターの爪に裂かれ、母が死に物狂いで幼い姉の手を引き、まだ幼児だったロジャーを背負って懸命に逃げた。
 だがティガレックスに追いつかれ、母は恐怖でつまずき、転んでしまった。足をくじいたのか、立ち上がれなかった。迫る轟竜に怯えながらも、母は姉にロジャーを連れて逃げるよう叫んだ。姉は泣き叫ぶロジャーをおぶって、森から離れたのだった。
(……おかあさん)
 頬の下で、しなやかな肩の筋肉が息づいている。胸や腹に、男とは違う、ひと回り小さくて柔らかな身体を感じたとき、無性に、女性というものがいとおしくなった。
 走るさまたげにならないよう、ユッカの首にゆるく回していた両腕に力を込める。ふっくらした頬と耳たぶに顔を寄せ、立ちのぼる甘い汗と息遣いを感じた。
 ユッカは気づかないふりをしてくれていた。ただまっすぐに前を見すえ、仲間が待っている船の逗留地点まで走り続ける。
 ちょうど風下にいるために、火の回りが速くなってきた。灰色の煙が背中越しに流れてくる。生木が弾ける音がユッカを急かした。
「もうすぐです。夜明けも近い。空が、明るくなってきましたよ」
 荒い息の合間に、ユッカは励ましてくれた。ロジャーは声に出さず、唇だけで微笑んだ。
 恐怖はなかった。このまま炎に呑みこまれたとしてもかまわないと思った。
(君と一緒なら……)
 ロジャーは安心しきったように目を閉じた。とても眠かった。暗闇に意識をゆだねると、身体の中で、いろいろな機能が閉じていくのがわかる。これで役目は終わった、と。
 命を刻む胸の鼓動がゆっくりと弱くなっていく。痛みが生へ向けてあがくものならば、そこから解放されるのはある意味恩寵なのだと、昔誰かが言っていた。
 たとえようもない安堵のなかで、ロジャーは、必死にもがくもうひとりの自分を感じていた。
(……生きたい)
 このまま眠りたい衝動にあらがい、ロジャーは重いまぶたを開けた。半分しか開かなかったその目は、暗闇しか映し出さなかった。
 涙が、あふれた。
(……生きたい)
 ユッカのぬくもりが、どんどん遠ざかっていく。こんなにも近くにいるのに、離れていくのは、自分の方なのだ。
 きーんと弱く耳鳴りがして、全ての音が遠ざかった。ひどく寂しくなって、ロジャーはしゃくりあげて泣いた。でもそれは、ユッカには伝わっていなかったかもしれない。

「見えてきましたよ!」
 弾んだ声で、ユッカは言った。
「もうすぐ海です!」
 ロジャーはわずかに顎を上げた。目の前の木々の隙間から、淡い光が差し込んでいる。その向こうに、浜辺に着陸した飛行船と、暁光に色づきはじめた白い海があった。
 それが正しい光景なのかどうか、ロジャーにはわからなかった。光を失った瞳が最後に見せた幻影なのかもしれない。
 たとえそれが幻でも、うれしかった。
(帰ってきたんだ……)
 深い安心に包まれて、ロジャーは再び、目を閉じた。

「……ロジャーさん?」
 林を抜けるところまであと少しというところで、ユッカは足を止め、息をつきながら背中のロジャーに語りかけた。
 ユッカの肩に伏せられた男の顔は、動かなかった。両腕や脚は力なく垂れ、意思なく揺れている。
 ユッカはそのまま立ち尽くしていた。毅然と上げた白い顔に、涙はなかった。
 やがて、わずかにロジャーの頭に顔を向け、そっと語りかける。
「……帰ってきましたよ。船も、みんなも、無事です。ほら……手を振ってます」
 動かぬロジャーの髪を、海の風が優しくなでていった。真っ白な頬を、昇りくる朝日が照らしていく。
 帰還した英雄の瞳は、閉じられたままだった。その唇は、かすかに微笑んでいた。

アバター
2014/02/16 12:57
ハルさん、コメント感謝です。

まだ最終回ではないです。続きをお待ちいただければと思います。

ここは、ずっと書きたかった場面でした。
書くのに苦労するかと思ったけど、すんなり筆が進んでくれました。
はたして読む人が面白いと思うかどうかという、不安もなく。
書いてる私が泣けたので、自分という読者を満足させられただけでも、納得の出来です。

書きながら私も思いましたが、ロジャーって、本当にいろいろ抱えてたんですね…。
アバター
2014/02/15 13:11
ロジャー…
なんという…
せっかくユッカが来てくれたのに…
ここまで頑張ったのに…

まだ、だめです!(/ _ ; )

この後どうなるのかわからないけれど、ここでユッカに会えて、ひとりではないんだと確認できて、ロジャーのこころはずいぶん楽になった気がします…
はう…



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