Nicotto Town



少しずつ回復中


本当に眠ったのが何時なのかはわかんないんだけど、

とにかく11時には電気を消して、ベッドへ。
翌日は眠いながらも7時には目覚ましが鳴る。
実際はさっと起きられなくて、つい5分、10分とスヌーズが。

午前中のうちに一度外出して、
(買い物でも散歩でも)
昼ご飯を食べて、午後は少し家で休んで、
それから、仕事を始める。

今度担当することになる仕事の準備。

仕事の準備、やっていると落ち着く。

いま移動中や就寝前に読んでいるのはキリスト教について。

・加藤隆『歴史の中の『新約聖書』』ちくま新書、2010年。

私にとってキリスト教は信仰の対象ではなく研究の対象。
この国には八百万の神がいる、というように、多神教的というか、
「すべてのものの中に神様がいる」(万有内在神論)ような、
そういう「神々」はイメージできるけど、
「唯一の、絶対の、神」と「我」(人間)の関係というのは、興味深い。

宗教って近年軽んじられるような傾向があるけど、
私は、一番人間らしいものの集積ではないかと思う。

自己の行く末を案じる心が願い事をかけるとか、
人が誰かのために祈る気持ちとか、
あるいは、病や死への恐怖に寄り添う優しいものであったり、
そういう大切な、人間らしい思考や感情と、古くから深く結びついていると思う。

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2014/03/21 15:33
toraさんの言うように、確かにキリスト教はとても興味深いですね。
私は、どれも信じていないかなぁ~。
「愛」が人を救えると思ってます。 本気で。
人を救えるのは、相手を思う気持ち・・ 思われている気持ち・・心配する気持ち すべての愛。
それが、親子の愛 恋愛での愛 友情での愛色々あるけれど、人は「愛」が救ってくれるのだと思ってるよ。
仕事のことをしていると落ち着くっていうのは、そこに今 不安や期待色んな気持ちが詰まってるからかな。
少しずつでもよくなっているのだったら ほんとヨカッタ。
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2014/03/21 11:28
タキさん
「祟り」とかありますからね。
加藤隆がいうには、一神教としてユダヤ教が成立していく過程に、「神に見捨てられている」「神に祝福されていない」という認識があったそうです。「神に救われる我々にならなければいけない」ということから、厳しく自分たちを律する人々が現れたそうです。

「自然が信仰の対象」というのは、ごく素朴な、身近なものに対する感覚ですね。
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2014/03/20 22:37
私は神仏の存在は認めてますが神仏って祈って救われるのではなく
結構残虐な存在だと思ってます。

私はどちらかと言うと自然が信仰の対象かもしれませんね。



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