Nicotto Town


出逢いのあの日に行こう


母の目

すいません~。ホントにすいません~。(最初に謝る。www)
今回は,年に何回か書きたくなる懺悔ものです。
今週金曜日が命日の母の最期と,
クソ生意気な 「ふみふみ少年」 の思い出です。
読後感悪い話です。
どうぞスルーしてください~。


母が最期の頃,
父は,母の病室に何日間も泊まり込んで付き添っていました。
家には,高2に上がった兄と中学生になった私がいて,
そして,母が強く頼んで,母方の祖父が北海道から来ていました。

午前1時か2時頃,祖父が兄と私を起こしました。
「父さんから,母さんが危ないからすぐ来いって電話あったぞ。
急いで着替えて,自転車ですぐ行け」
「お爺ちゃんは?」
「爺ちゃんは歩いて行くけど,爺ちゃんのことはいいから,
お前たちは急いで行け」

もうずっと前から覚悟していたけど,
いよいよその時が来たかと思いながら,
急いで着替えて,兄と自転車で出掛けました。

いつもは車がたくさん走っているバス通りなのに,
深夜は車一台走っていません。
広い通りを兄弟二人で独占して思い切り飛ばして,
自転車のシャーッという音だけが聞こえていて,
信号は,深夜のため,黄色の点滅になっていて,
私は,「夜って信号は青にも赤にもならないんだ~」 と,
妙なところにひどく感心しながら,
自分はきっとこの場面を一生忘れないのだろうなどと考えていました。

病院に着いて5階に上がり,
ナースセンターの隣の,母が入院していた病室に入ろうとすると,
父がひょっこり出てきました。
私たちと目を合わさず,どこかを見ながら,
両手を横に広げた後,それを体の前でパンと合わせて,
「母さん,死んだ」 とだけ言いました。
何というか,まるで,将棋に負けたぐらいな感じの,軽い言い方でした。
兄と私にショックを与えまいという,父なりの言い方だったと思います。

父とすれ違いに病室に入ると,母はまだ逝ったばかりらしく,
母のベッドの横には医師と看護婦さんが立っていました。

母は,それまでずっと痛がって苦しがって,
私や兄の前でも 「死にたい」 と言っていたのに,
最後は苦しくなかったのか,
何もかも終わったというような力の抜けた表情で,
半分開いた目で天井をぼんやりと見て死んでいました。

その表情を見て,兄は,
「なんだ! お母さん,死んでないじゃん」 と笑いました。
うわわわわ。なんでそんなこと言うんだよう。
そういう,ドラマにありがちな臭いこと言うなよう。

もし兄が,本気で母は死んでいないと思ったのなら,
そんなことを母の前で大きな声では言わなかったとも思うので,
本当は兄も,母が死んだことを分かっていたのかもしれません。
でも,なぜ,あんな抵抗を見せたのでしょう。
弟の私の方が,兄の言葉にサーッと引いてしまいました。

その後,誰がどう言って兄を納得させたのか,覚えていません。
とにかく,兄も母の死を受け入れ,家族三人で魂が抜けたようにしていると,
歩きで病院に来た祖父がやっと着きました。
祖父は,病室に入って母の顔を見るなり,小さい声で 「ああ」 と言いました。

それは,母の死を悟ったものでしたが,
自分の娘の死を悲しんで出した声でも,
娘の死に間に会わなかった無念さで出た声でもありませんでした。
祖父は母に近寄ると,親指と人差し指で母の両瞼を閉じました。
祖父の 「ああ」 は,
もう母の死をとっくに覚悟していたけど,
なぜ,この義理の息子や孫たちは,
娘が死後硬直する前に瞼を閉じてあげなかったのかという,
怒りと,悔しさと,娘を哀れに思う気持ちを込めた,
ごくごく短くて小さな 「抗議」 でした。

私は,祖父を見て,
「ああ。そうだった。そういう場面は何度もテレビで見たことがあった。
僕がやってあげればよかった」 と後悔しました。

明け方,母の遺体は家に運ばれ,
母が使用していた布団の上に北枕で寝かせられ,
顔には白い布が掛けられました。

通夜は翌日と決まりましたが,
母が親しくしていた近所の人たちがチラホラと挨拶に来始め,
大人は葬儀の準備で忙しかったのか,兄と私が対応しました。

母が毎日通った近所の小さな食料品店の御主人も来てくれました。
御霊前を下さり,お線香を上げると,御主人は,
「お母さんのお顔を拝見してもいいですか」 と言いました。
兄が 「あ,はい」 と言って 母の顔の白い布をめくると,
母は,目を半分開いていました。
兄は,ギョッとなり,もの凄く驚いたそうです。
私は,
「ああ,病院ですぐに目を閉じてあげなかったからだ。
だから,後からお爺ちゃんが目を閉じさせだけど,
それまでの開いた形に戻っちゃうんだ。
あの時,すぐに目を閉じなかった僕たちのせいなんだ」 と気付き,
なんで,いつもいつも,最後の最後まで,
自分たちは母に何もしてあげられないんだろうと悔やみました。

母に関しては,悔やまれることばっかりです。


今日,久し振りに,カミサンのお母さんにメールしました。
来月のお母さんの誕生日に千葉に帰るから,
今年も何か美味しいもの食べにいこうね~ということと,
プレゼントに何が欲しいか考えておいてね~ということを書きました。

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2014/04/17 21:23
ぽこたさん

ちょちょちょ!
母が読んでいるかもしれないとか,余計なこと言う~!
下ネタ書けなく…,じゃなくって,えっと,
母が 「もっと謝れ!」 と言いそうなことは隠して書かずにいるのが,
母にバレていると思うと怖いじゃないですか~。
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2014/04/17 21:20
ねこまんまさん

冷たい娘だ~。www
でも,その時は,そんなもんですよね。

今は取り乱している場合じゃないぞ,しっかり落ち着いて,
やるべきことを手順よく片付けないと大変なことになるぞ,
とか思っちゃって。
ぜ~んぶ終わって,落ち着いて,ふと一人になるまで,
なかなか泣く時間は持てないものなのでしょうね~。
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2014/04/17 21:12
Misakiさん

最後に何か伝えようとしても,いろいろ想いはあっても,
口から声にしては出せないような気がします。
最後は心で話し掛けるしかできなさそうです。
テレビドラマみたいに美しく話せないですよね~。

カミサンのお母さんは,以前は悪戯好きで困りましたが,
もうかなりいい年になってきたので,大切にしたいと思います。
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2014/04/17 15:54
年末ぐらいに、なぜか陰陽師の方と話す機会がありまして・・・。
意外にも大半の方が、未練を残して亡くなることはないそうです。
奥様と娘さんと楽しく過ごせるのが、何よりの供養だと思います。

そして、ニコタをこっそりお母様が覗いているかもしれません・・・。
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2014/04/17 11:13
よく判らないけれど、お母さん最期に
みんなの顔をその目で見たかったんじゃないかなぁ。。。。

私は父の死に目に会えませんでした。
そんなに急な状態ではないだろうと、生後3か月の長男をお風呂に入れて
義母に預けに行ってから病院に向かったので間に合わなかったのです。
着いたときは医師が処置中だという事で病室にはすぐには入れず
父を前にしても実感がなく、もう一人の私がここは泣かないといけない場面だよ
なんて声がして・・・冷たい娘ですw
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2014/04/16 23:06
父の最期を取った時のことを思い出しました。。。
看護士さんから
「耳は最後まで聞こえてるから、話しかけてあげてね」と言われました。
言いたいこと、感謝の気持ちを伝えたくても
ドラマのようにはいきません。。。
一人だった私は、意識のない父を見つめながら 心の中でつぶやくのが精一杯でした^^;

亡くなって程なく 支度をするので部屋から出るように言われました。
きっとその時に 瞼を閉じたり、口を閉じたりしてくれていたのだと思われます。。。

父との思い出は 今も大切に心の中にあります。
こうして折に触れ思い出すことも 今はいいことだと思えるようになりました^^

奥様のお母様もいいお婿さんでお幸せですね(*´ω`*)
楽しい誕生日になりますように。。。^^

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2014/04/16 22:36
ヴィンチョコさん

ぎょぎょぎょ!
私が 「悪さをしないように」 って,
それ,「見守る」 じゃなくて 「見張る」 じゃないですか~!
ヤバイな~。
あ,いや,ヤバくないです。
何でもありません。
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2014/04/16 22:31
なごみさん

兄が妙なことを言うもんだから,
お医者さんは瞼を閉じるタイミングを逃しちゃったのかもしれませんね。

皆さんからコメントを頂いて,
瞼のことは気にしなくていいのか~と思いました。^^

よし! 今夜も飲んじゃおうかな!
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2014/04/16 22:08
まさひろさん

まさひろさんの御両親も長く患ってですか~。
私の両親も癌で何か月も闘ったのでしたが,あれは,本人も家族も疲れ果てますよね~。
でも,事故などである日突然というよりは,よいのでしょうね,きっと。

お母様は,頑張られたのですね~。
今はお父様と楽しくしてらっしゃるのかな?^^
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2014/04/16 21:52
もも☆さん

長い間闘病した人には,本当に 「お疲れ様」 と思います。

と,ところで!
故人を思い出す時って,近くに居るんですか?!

おお~。

う~ん。

う~ん…。

駄目だ~!

なぜか,今,この間亡くなった蟹江敬三さんばかり思い浮かびます。
近くに来ないでください~!
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2014/04/16 21:43
りんぷぅさん

いつも,ありがとうございます。

ところで,りんぷぅさんって,「おたんこナース」 なんですか?!
「やっぱり!」 と納得し…,あ,いえ,いや,意外だな~。

全然違う話になっちゃいますが,
私とカミサンが結婚を決め,
まずは私の兄夫婦とカミサンの両親の顔合わせをすることになり,
その場所に選んだ寿司屋の名前が 「御旦孤」(おたんこ) でした。
「普段着で」 って約束して集まったのに,兄だけビシッとスーツを着て来て,
「なんで約束守んないんだよ~」 と思いました。
懐かしい~。^^
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2014/04/16 21:25
とんとんさん

はいはい。
B型の女性には敵いません。^^
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2014/04/16 17:39
お母さま、逝かれたあと半眼だったんですね。

きっと、ふみふみさんが悪さをしないように天国で見守るつもりだったのかも。

合掌
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2014/04/16 14:26
↓ 同じ感想になってしまいますが、やはり病院の方から一言欲しかったですね。

おじいちゃまは長年の経験が有って、多分何人かお見送りしているから
瞼の事に気が付かれたんでしょうけど
お母様を亡くし、それをまだ受け入れられ無い状態の高校生、中学生には分らないですよ。
分らなくて普通です
分らなくて当たり前
分る筈がない!

残された者は、それまでできる限りの事をしたとしても悔いが残ります。
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2014/04/16 10:37
おはようございます
うちも両親ともに早く亡くなっていますが、それでも大学に入ってからの事。
ふみふみさんところは中学生なんて早かったんですね。多感な時期だというのに…

うちの両親ともに長患いの末だったので、亡くなった時は、これでしんどいのも終わりだ、よく頑張ってくれたよなーっとどこかほっとしたのを覚えています。
父は最期声が出なくなって、耳が遠くなったので筆談で話をしていましたが、そのメモが今でも残っているので、命日には読み返したりしております。大きくなってから父とはそんなに話はしなかったんですが、最期にいい時間をもてたのではないかと思っています。
母に関しては父が療養中だったので自分の病気を言いださず、一人で頑張らせてしまったことが悔やまれます。
もう少し何かできたのではないかとか…
でも父が亡くなって1年もしないうちに逝ったので、“仲のいい夫婦だったしな、親父がはようこい!こっちは楽だぞーって呼んでたんだぜv”と笑い話になっています。

ふみふみさんの話を聞いて、俺も妻のお母さんにもっといろいろしたいなって気持ちになりました。



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2014/04/16 09:08
おはようございます^^

ブログを読んでいて現役だった頃を思い出しました。
最後まで頑張ってこられた患者様を、私はエンゼルケアーをしながら
「 お疲れ様でした。これからゆっくり出来ますね。。。 」
そう心で呟きながら最後のケアーをしていました。
私の祖母は長い間入退院を繰り返し、私にふみふみさんのお母様と同じ様な事を
病室に来る度に言ってました。だから余計に亡くなった時は
「 ばあちゃん、本当にお疲れさん。これからはゆっくりしてちょうだいね 」
そう思いながら顔を撫でてあげた事を思い出します。

亡くなられたら時間と共に、口が開いてしまったり 瞼が少し空いてしまったりします。
だからふみふみさん、瞼の事はそんなに気にされなくても良いと思いますよ^^
それにね、亡くなった方の事を思い出す時って、側に亡くなった方が居るそうですよ^^
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2014/04/16 01:29
偶然 今日は 父の亡くなった時の話を母としていたので 重ねて考えてしまいました。
部分的にですが、とても鮮明に覚えているから 不思議です。
病院に向かう途中「この日の事は一生忘れないのだろう」と私も思いました。
ふだんはおたんこナースなのですが、亡くなったときのエンゼルケア(清拭とお化粧)はできる限り私がしたいと思っていたので、看護師さんと 一緒に 父の清拭をしました。
まだ 父の体もあたたかくて すごく悲しくて 涙がとまらなかったのと 母はアッサリ 私と一緒に清拭するのを断ったので看護師さんとペアですることになり、夜勤で人でも足りないだろうし 急いでしなければと 変なところで気をつかっていたことを覚えています。

亡くなった方の お目めなのですが、亡くなった直後に閉じても また 薄く開いておられる方もあり、何回か 閉じても また 開いてしまう方がおられたのを思い出しました。
なので もう お目めに関しては 悔んだりなさらない方が お母様も安心されると思います。

 祖父が亡くなった時に、ずいぶん後悔したことがたくさんあって、ある時母に、それを話したら、
「誰が亡くなっても 残された側は 後悔するものなの」 と言われて ずいぶん心が軽くなりました。
まだ 中学生のふみふみさんには 早すぎるお別れですし もっと いろんなことをお母さんにしてあげたかったと思いますが、お母様は特にふみふみさんに何かをしてもらわなくても 優しいふみふみさんが生れてきてくれたことが一番の恩返しだったのではないでしょうか・・・
 お母様は いつ何時も 全力で家族を愛する ドーベルマン所長を 誇りに思っておられると思います。 
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2014/04/16 00:13
なになに?これだからB型の女性は魅力的?!

わかってるじゃないですか、所長さ~~ん♪
アバター
2014/04/15 23:59
とんとんさ~ん!

ぎゃははははは!
さくらももこさんのお爺さんの話は,笑っちゃうっしょーっ!
しんみりした雰囲気,吹き飛ぶっしょーっ!
折角,下ネタ以外も書くんですよってアピールしようとしてたのに~。
これだからB…,あ,いえ,何でもありません!^^
アバター
2014/04/15 23:53
さくらさん

私なんて,全然優しくないですよ~。
全然,駄目駄目です。全然,駄目駄目なんです。

でも,せめて,同じ失敗をカミサンにはさせないよう,
カミサンのお父さんとお母さんにはたっくさん親孝行をしたいと思います。
(カミサンのお父さんは亡くなりましたが,生前もその後も親孝行しています!)
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2014/04/15 22:58
え??まぶたを綴じるのって、お医者さんとか看護婦さんがやってくれるとか
「とじてあげてください」とか言わないのかな???
そういう現場に慣れているだろうに・・・

あ・・・のりさんも同じ事を書いてるwww


そういえば、さくらももこさんのお爺さんの御遺体は、口が開きっぱなしになっちゃってて
どうにか閉じさせようと、お祭りの豆絞りの手拭いで顔を縛ったら祭りの風情が漂ったって・・・
エッセイに書いてあった気がする・・・

そ・・・それよりいいよね^^;

奥様のお母様に、いっぱい親孝行してあげようって、気持ちが溢れているふみふみさんは
とてもすてきなお婿さんですね
アバター
2014/04/15 22:52
とてもいいブログでしたよ。

ふみふみ少年の優しさいっぱい感じられました。

奥様のお母さんの誕生日に千葉へ帰って、みんなで一緒に食事!
今も優しさいっぱいですね(*^▽^*)

のりさんが書かれたように目を閉じるのは、
お医者さんがやるんじゃないでしょうか。。。
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2014/04/15 22:27
のりさん

あ,え? 損はしていないですか?
じゃ,まいっかー。(笑)
アバター
2014/04/15 22:17
え・・・?!?!?!?!?!
そこ?!?!?!?!?!
損はしてないから大丈夫だよ←(何がだか・・・)
アバター
2014/04/15 22:04
のりさん

あ! 医者! そうか! 医者がやればいいのか!
くっそ~~~~~~!
ずっと母に申し訳なく思っていたのに,損しちゃったな~。(笑)
アバター
2014/04/15 22:02
そういった事はお医者さんが
やってくれるものではないのかなぁ???
でもこうやって命日や何かがある時に
色々思い出してくれることは
きっと嬉しいと思うよ



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