Nicotto Town


ま、お茶でもどうぞ


トーマの心臓を読んで


有名な少女マンガ、古典の傑作とされる萩尾望都の「トーマの心臓」。
これを森博嗣が小説にしたものを、最近読んだ。
ずっと前から気にはなっていたけれど、文庫になるのをじっと待ちつつ忘れてもいたのだ。

ずっと気になっている作品というのは、まさに得るべくして手元に来るもので、失敗したためしはない。
森博嗣の「トーマの心臓」も、まさしくその類だった。

内容についての考察も書くので、ネタバレが好みでない方はスルーしてほしい。


物語は、ある寒い日にトーマという美しい少年が線路の橋から落ちて死んだことから始まる。
主人公は、オスカーというちょい悪の少年。
彼を視点に、トーマと付き合いのあった、寄宿舎のルームメートで親友でもある、これまた美しい「天使のような」ユーリという優等生と、トーマそっくりの顔を持つ転校生エーリクを見つめ続ける流れである。

オスカーらが通う学校は、科学系のおぼっちゃま男子高校。全寮制である。
大学と一貫しているらしく、上級生は院生と呼ばれ、ちょっとした権限も持っている。

原作はドイツが舞台なのだが、小説は「日本」。
オスカーとかユーリというのは、学園の偉い教授であるワーグナが全員に名づけたものらしい。
しかし本の挿絵は日本人離れした美しい(本当に美しい萩尾氏のイラスト)顔なので、日本の風景も人物も浮かばず、まるで霧の中のような、どこか異国を想像しながら読んでいた。

その雰囲気を作っているのが、洗練された文章と言葉遣い、理知的な心理描写、そして、章の冒頭に抜き書きされた、原作からの引用文。
原作を読んでいないので、それらの言葉がどこでどう使われたのか知る由もないのだが、一連の詩のようなそれは、まるでトーマがユーリに宛てた手紙の内容のように思わせられた。

この物語は、トーマの死という大きな謎を軸に、オスカーの重い過去、エーリクの背負う家族の問題、そして、トーマが死を選ぶに当たった原因たるユーリの過去という、3つの謎を解き明かす構成になっている。

面白い物語というのは、「なぜ?」と「答え」が絶妙に織り交ぜられている。
大きな「なぜ」への答えが、読者を最後まで引っぱりつつ、その間飽きさせないように、細かくホワイとアンサーが小気味よく入るものだ。
出来のいいミステリなどを読めば、そのテンポの良さがわかるだろう。

本作も、何げない学生生活を通しつつ、そのなぜと答えが織込められている。
じつに穏やかで、澄み切った描写のために、人間関係の重苦しさやなまぐささが取り払われ、ただひたすら、霧の中……ぼんやりと陶酔しながらも、先を知りたくてたまらず読み進めた。
これは、当時の少女マンガ……上質な作品にのみあった独特の雰囲気で、今ではもう失われた作風である。
それを、原作を敬愛するという森氏が、みごとに文章化したのである。

トーマはなぜ死ななければならなかったのか?
一読しただけだと、原作を知らなければさらにわからない謎。
しかし、読み終えたあとに、気になる部分だけ拾い読みしていったら、その理由が霧から晴れたように明らかになった。
この手法というべきか、森氏の構成や、そのシーンに置かれたセリフ、心理描写の巧みさに驚いた。頭から最後まで書くことをしっかり決めていて、自分で理解して言葉に置き換えていたからこそ、できたことである。

トーマが死んだのは、ユーリを愛するゆえだった。

自殺という行為が、現実からの逃避ではなく他者へ見せつけるための行為であるとしたら。オスカーはそう推測を立てる。

各章の冒頭を飾る詩は、みな、愛と自己犠牲を表すものだった。
それがすべてトーマの想いそのものだとしたら、彼が死を選んだ理由も納得できるのである。

あくまで文中ではほのめかしているだけだが、「傷」とか「汚れ」といった言葉が出てくるところを見ても、ユーリが、金持ちの不良サイフリートとその仲間に性的暴行を受けたのは想像にかたくない。
その事実を知って、ユーリを大切に思うオスカーや、同じく惹かれはじめていたエーリクが涙する。
ユーリに恋をしていたトーマは、その現場を見ていたのだが、恐怖のあまりユーリを救うことはできなかったのである。

みんなの背中には虹色の翼があるのに、自分にはない――。
トーマは愛するユーリを救えなかったことにずっと苦しみ、ユーリが受けた心身の傷を思って、さらに自身も傷ついた。

他人に傷つけられたことで、愛を見失ってしまったユーリに、トーマは、「それでも愛されなければ人は生きてゆけないんだ」ということを教えるために、自ら命を絶ったのである。
死という形で、ユーリの心に愛を刻みつけるために。

ユーリにしてみたら、ずっと袖にしていた下級生が突然死んだので、もしや自分がつれなくしたからかと、別の自責に捕らわれてしまった。
そこへ、トーマそっくりのエーリクが現れたものだから、過去の傷と自責が押し寄せてきて、とても平常心ではいられなかった。
俺に近寄るなとエーリクにはつらく当たり続けたのである。

けれど、ユーリは自分の傷を受け入れた。
ここに至るまでに、誰が何をしたということもない。
オスカーはユーリの過去を知りたくて、当時を知る者たちにいろいろ聞いてはいたけれど、ユーリが自分から話さない理由を慮って、見守る姿勢を貫いた。

過去に向き合うということは、むりやり克服することでもないのだと、彼らは教えてくれる。
誰かの力で引っ張り上げてもらうのでもなく、淡々と、そうあるべき事実だったと受け止めること。
それは、自分にしかできない清算だ。

ユーリは傷を受けた時からずっと、「許し」について考えていたようである。
だから、神父への道を志したのではなかろうか。

仕返しではなく、傷を負わせた者たちへの許し、傷ついた自分を憐れむでもなく、事実として受け止める許しを、彼は探していた。
もちろんそこには、自分のために死んだトーマへの許しもある。
供養とか、贖罪ではない。お前はそうしても良かったのだ、という許しだ。

純粋ゆえに、それしか道を選べなかったトーマの自己犠牲は、若さしかできないことである。多感な少年でなければできなかったことだ。
身勝手といえば身勝手。
けれど、自分はユーリを愛している。他の誰がさげすもうと。
彼は命を賭して伝えたかったのである。

その心の真実を知ったとき、ユーリは、オスカーやエーリクたちも含めて、自分がひとりではないと悟ったのだろう。

それを語るに、言葉はいらない。
文章のない絵はがきをもらって、オスカーとエーリクは微笑み合う。
最後に、オスカーがつぶやいたひとことに、エーリクが振り向かず「何て言った?」と言うラストは秀逸だ。

人はみんな、ひとり。
個人は誰かと同じではない。
一個の個性がそれぞれあるからこそ、人は生きて、輝くのだ。

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2014/04/27 01:38
さえらさん、コメント感謝です。

あ、森博嗣ってもりひろし、なんですね。ひろつぐかと思ってましたww
この人絵も上手いですよね。つぼやきのテリーヌに入っていたしおりに、クマとキツネのマンガが描いてあったんですが、なかなかの絵でしたw

萩尾望都の作品、気にはなっていたけど手にする機会もなくて。これを機に、古本でも探してみようと思います。
ほんとに、まんまとね、作者の思惑通り(笑)

はっきり主人公たちに言わせない良さを出すのって、よほどの才能、技がないとできないことですよね。
その点、萩尾、森両氏は優れていると思います。
小説に使われるほどに、萩尾氏のつむぐ言葉は美しいし、情感もあります。
そこに、理系である森氏の整理された描写が必要なだけ説明づけていて、読み手が的確に察するお話となりました。

ちょっと上の記事で間違えたんですが、冒頭の原作抜粋文には、オスカーやユーリの心理と思われるものもありましたね。
多感な時期に、親とか学校の生徒から受けるどろどろしたもの…そこに過剰なほど反応してしまう純粋さ。
これが少年だ!とは叫ばず、これが少年なのよ、ぐらいの独特の雰囲気がたまりません。

私の感想、ちょっと良かったですかね?それなら安心しましたw
なにせ、検索エンジンには良い感想に引っかからなかったもので。じゃあ私が書くかと。w

小説のラストは清々しいですよね。そして、エーリクを通じて、他人は他人なんだと改めて気づかされる。
エーリクはトーマの亡霊ではなく、彼自身なんだと。最後のセリフはちょっと主人公、および読み手を突き放す効果なんですが、その距離感が逆に心地よいです。
べったり馴れ合うだけが友情や絆じゃないってことですよね。そこは、オスカーも言ってますよね。家に愛情なんて閉じ込めるものじゃない、と…。

長く語ってしまいましたが、とにかくこれは、読み心地のいい作品ですね。
ほかの著書も読んでみたくなりました^^
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2014/04/27 01:22
ざくろさん、コメント感謝です。

ですね、2009年に単行本が出て、文庫はつい最近、2年前です。
アマゾンで購入したこの文庫がまだ初版本でしたww

その間、ずっと忘れず、でも手を付けず、今まさに手元に来たわけです。縁ってやつですね。
それも、ニコ友さんが森博嗣の作品についてブログを書いてくれたおかげですね。そちらにも感謝ですw

とにかく世界や文章、少年たちの生き様が美しい。
言葉の一言一言に息吹があって、ただ事実を述べた味気ない小説が多い中で、これは「小説」だと実感できる作品でした。
これを読んで、私もこんな文章を…小説書きたいと思いましたw
もし手に取る機会があったら、冒頭だけでも読んでみて下さい。自信を持っておすすめする本です^^
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2014/04/27 01:15
ハルさん、コメント感謝です。

おお~、原作を読まれていましたか。私はずっと読んだことがなくて、小説で世界観に触れました。
マンガの方と小説はユーリの設定が違うそうです。
ネタバレのブログなど読んでみたら、ユーリがサイフリートに何かされたことはないらしく。
あくまで、トーマとの恋愛における葛藤がメインのように見えたんですが、間違ってないですかね?^^;

しかし小説は小説で、大変美しい物語でした。
はっきりした事実描写や結論づけをしていないのですが、読み手がしっかりと理解できる書き方なので、私の感想も間違いではないと思います。
小説のユーリは高根の花っぽくて、やや冷たい印象ではありますが、どうしてそういう態度を取るのかが分かると、切ないんですよこれが。

行間を読む、という言葉がありますが、まさにこの作品は、行間を読む小説ですね。
得も言われぬ雰囲気といえば、初期のパタリロ!を思い出すんですよ。パタリロでも、雰囲気を出すのに霧を使っていて、なんともいえない艶めかしさと神秘性があったなと。ちなみに、トーマのパロディも入ってました。
たしかパタリロとトーマは同じ時代のマンガでしたっけ。
耽美って言葉も当時はやっていたような。今では同性愛ものは即物過ぎて、この「得も言われぬ」雰囲気がなくなっちゃいましたね。
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2014/04/26 23:58
実は、私は「もりひろし」とPCで打つと「森博嗣」と一発で変換される程度には、森ファンだったりしますw
なので私が原作の漫画を読んだのは、森博嗣の小説を読んだからでした。
蒼雪さんと同じく、作者の思うツボだったわけです。
萩尾望都さんとうい漫画家さんの存在は知っていましたし、その作品には興味がありましたたので、導かれるように流れのままに手に取ったという感じでしたっけ。

原作を読んだら、「あぁ~、なるほど」という納得が得られました。
が、やはり漫画においても、明確な表現はないので、読者の想像の範囲内ではあるのですが。
漫画を読み終えてから、もう一度、小説のほうを再読した記憶があります。
当時は、あの静謐な、それでいて何かを秘めているような空気を味わいたくて仕方なかった。
独特な空気が流れているんですよね。それが、なんというか病みつきになっていまして。

作品の内容に関する蒼雪さんの文章は、お見事というか、流石というか……。
まさに、そう! って思いながら読ませて頂きました。
私も、あのラストシーンが大好きです。思わず「やられた!」と^^
原作を壊さず、それでいて森博嗣らしい「トーマの心臓」になっているのが素敵です。
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2014/04/26 21:38
いつも行く図書館で調べてみたら、文庫が出てから4年くらいたってるんすねー! 時間の経過ってはぇぇ!
予約も入ってないみたいだったんで、今度図書館に行った時に借りてみるっす^^

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2014/04/26 21:32
蒼雪さん、ばんわーっす!
トーマの心臓っすか! 古典的名作っすよね(//∇//)
実は俺、読んだことないんすよー! ポーの一族とか、11人いる!とかところどころ、読んだ作品もあるんすけどね~^^;

森博嗣の小説版に関してはどこかで出版の記事を読んだ記憶がおぼろげにあるっす。結構前っすよね?
文庫になったんだから2年か3年前かな?
興味は持ったんすけど、そのままになってたっすよー。
わー気になる!
蒼雪さんの解説でますます気になるっす!
チャンスがあったら、読んでみよーかなー❤

そそ、巡り合うべき本とはしかるべきに巡り合うって言うのは、俺も同じ考えっす❤
運命ってあるっすよねぇ(^m^)


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2014/04/26 19:56
わあ…懐かしいです!
高校の頃、何故か友達の間で流行って、借りて読みました♬
もちろん、当時においても古い古い少女漫画でしたが、その世界観の透明感や人物の美しさ、それに垣間見えるドロリとしたリアルな現実……
そういうものが混ざりあって、えもいわれぬ感情を抱いたものでしたよー(*^◯^*)

なにしろ、蒼雪さんの読んだ小説もそうだと思うけれど、何も結論づけてないですよね。
ふわりとしたなにか、があるけれど、掴みきれないというか、想像するしかない気持ち、というか…
そのぶん、もわもわとこころの中で色々考えたり思い出したり切なかったり…

とにかく独特でしたねー!
冷たいユーリが当初あまり好きではなかったけど、彼は誰より辛かったんだなあ…と思います。
また読み直したくなりました^^



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