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アメリカに残っている公文書より所謂従軍慰安婦


アメリカに残っている公文書より所謂十雨軍慰安婦の記述
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9 前線地域における日本軍慰安所

以下の記述は、CSDIS(I)において行われたM739の尋問、ならびに戦時情報局によりレド捕虜収容所において行われた朝鮮人「慰安婦」(20名)にたいする尋問(1944年9月21日付報告)に基づくものである。

情報提供者
1944年8月10日、ワインマウ付近において妻および20名の陸軍慰安婦とともに捕虜となった民間人の慰安所経営者M739。

M739と妻と義姉(妹)は、朝鮮の京城で料理店経営者としてかなりのお金を稼いでいたが、商売が不振に陥ったため、より多くの金を儲ける機会を求めて、朝鮮からビルマへ「慰安婦」を引き連れて行く許可を京城の陸軍司令部に申請した。この捕虜の言によれば、その示唆は陸軍司令部から出たもので、朝鮮に在住する何人かの同じような日本人「実業家」に打診された。

M739は、朝鮮人未婚女性22人を買い受けたが、彼女らの両親に対する支払額は、それぞれの性格、容貌、年齢に応じて300円から1000円であった。これら22名の女性の年齢は、19歳から31歳であった。彼女たちは、この捕虜の独占財産となったのであり、軍は彼女たちの人身売買からは何らの利益も得なかった。朝鮮軍司令部は。日本陸軍のあらゆる司令部宛ての書面を彼に渡したが、それは輸送、食料の支給、医療など、彼が必要とするかもしれないすべての援助を差しのべるよう、各司令部に要請するものであった。

M739とその妻は、料理店の経営を義姉(妹)に委ねたうえで、1942年7月10日、買い受けた女性22名を引き連れ、703名の女性(すべて朝鮮人)と90名ほどの日本人男女(ほからなぬ彼と同じように人格低劣な連中)の一行で釜山を出航した。彼らは、7隻の護送船団を組み、4000トンの客船で航行した。無料の渡航券が軍司令部から提供されたが、渡航中のすべての食事の代金はこの捕虜が支払った。彼らは台湾とシンガポールに寄港し、台湾ではシンガポールへ向かう女性が新たに22名乗船し、シンガポールで全員が別の船に乗り換え、1942年8月20日にラングーンに到着した。

ラングーンで彼女たちはそれぞれ20名ないし30名のいくつかのグループに分けられたうえで、ビルマ各地に分散配属されたが、それぞれグループは各地の連隊、部隊または部隊群に所属し、したがって、それぞれが別々の慰安所をもっていた。M739のグループは歩兵第114連隊に配属された。彼らはタウンジー、メイクティラ、メイキョーで何ヵ月かを過ごして業を営み、その後(1943年1月ごろ)、ミッチナに到着した。ミッチナにはすでに2つの慰安所が設けられていたので、合わせて3つの慰安所ができ、女の数は全部で63名になった。M739の慰安所はキョウエイと呼ばれ22名の朝鮮人女性がいた。キンスイ慰安所には20名の朝鮮人女性がいた。モモヤには21名の中国人慰安婦がいたが、彼女たちは、朝鮮人と同じ条件で広東から買われて来たのである。後方地域の慰安所には日本人女性がおり、例えば、メイキョーのような所では、そこにある8つの慰安所のうち2つは、日本人女性で成り立っていた。しかし、前線地域には日本人女性は、1人もいなかった。

「慰安婦」はすべて、次のような契約で雇われていた。慰安婦は彼女自身が稼いだ額の50パーセントを受け取り、交通費、食費、医療費は無料だった。交通費と医療費は軍当局によって負担され、食料は、軍の貨物廠の援助のもとに慰安所経営者によって購入された。経営者は、衣服、必需品、奢侈品を法外な値段で慰安婦に売ることによって余禄を得た。慰安婦は、彼女の家族に前貸しされたお金と、それに加えて利息を返済できた場合には、朝鮮へ帰るための無料の交通の便宜を提供され、あとは自由の身であるとみなされることになっていた。しかし、1943年6月、第15軍指令部が、債務から解放された慰安婦たちを帰国させる手配をしたのにもかかわらず、戦況のゆえに、これまでのところ、M739のグループではだれ一人として、帰国を認められた者はいなかった。そして、前述の条件を満たして帰国を希望したある慰安婦は、他愛もなく説得されて残留することになってしまった。

M739の施設では、慰安婦一人の稼ぎの最高額は月に約1500円、最低額は月に約300円であったが、この慰安所の規定により、慰安婦は、最低でも月当たり150円を経営者に支払わなければならなかった。

料金と利用時間割りは、連隊の指示によって定められており、時間割りは、将校、下士官および兵が同時に出くわすことのないように工夫されていた。時間割りは厳格に守られ、また下士官と兵は週に一度、将校は、希望すれば何度でも慰安所に通ってよいとされた。支払いは利用券制で処理され、慰安婦はその券をとっておくのであった。ちなみに、利用券は2インチ四方の厚紙でできていて、それには慰安所の名称、連隊印、利用券の値段が記されていた。M739の慰安所では、当初、時間割りは、次のように定められていた。

中略

避妊具の使用を求める厳しい命令が出ていた。したがって、M739によれば、性病罹患は、まったく兵士自身の不注意によるものであった。M739がミッチナで慰安所を経営していた1年半の期間をつうじ、性病患者はわずか6人で、彼らは、治療のため、第18師団第2野戦病院の軍医のもとに送られた。歩兵第114連隊の兵士のなかに何人かの性病患者がいたが、しかし、M739は、このことで連隊本部と厄介な問題にまきこまれることはまったくなかった。
http://ameblo.jp/qtaro9blog/entry-11801095728.html

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↑アメリカの公文書の一部です。


↓ここには募集したチラシも乗っています。
写真も更に詳しい概要が解ると思います。
更にコロコロと言う事が変わる自称従軍慰安婦の証言も載っています。
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従軍慰安婦の真実
http://makizushi33.ninja-web.net/
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アバター
2014/04/28 01:56
宗太郎様
日本はアジアの小国でさえ持っている弾道ミサイルを持っていません。
弾道ミサイルで攻撃されればあっという間に日本の昨日は麻痺します。

だから法律を替えて更に弾道ミサイルを装備しなければアメリカからの自立など夢のまた夢です。

今法律改正に反対して居るのは敵国の思惑を其の儘投影している連中です。

彼らは綺麗な耳障りの良い言葉を並べ立てて人々を惑わしています。

日本国民が目を覚まさないといけないのです。
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2014/04/27 18:04
このような事実を公表して広めたい。

アメリカの中途半端な態度に不信感がします。

尖閣も竹島も慰安婦も一番の当事者、同盟国なのに。


・・・でも、もう、アメリカから卒業して立派にひとり歩きしないと。

そういう時期なんだとつくづく思います。




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